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信濃の修羅〜現代人の俺、存在しないハズの真田の三男坊として転生す〜  作者: ギュネイ山本
第八章【来るなら来やがれ!源四郎対『会津国衆合議連』の段】

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其之三

――話は戻って現在――

――真田屋敷、広間――

真田屋敷の居間に、源十郎の告白が終わった後の静寂が訪れる……のも束の間。

「……げんじゅうろおおおおおおおおお!!」

獣のような咆哮とともに、源三郎がしのと源十郎をまとめて抱きしめた。

鼻水と涙で顔をぐしゃぐしゃにした長兄の体当たりに、源十郎も、そして抱きすくめられたしのも、あまりの衝撃に目を丸くする。

「ちょっ!? 兄上!?」

「源三郎様っ!?」

二人の困惑などお構いなしに源三郎は源十郎としの、並んで座る二人の頬に顔を押し付け、慟哭のような声を上げた。

「室賀にて御母堂共々地獄を見てきたお前が! 犬畜生以下の扱いを受けたお前が!! かの清永殿に! お諏訪様に連なる方に認められた!! かように……かように喜ばしい事があろうか!! ああああああ!!」

源三郎にとって、源十郎は単なる弟ではない。

真田という一族が、そして自分自身が、その出自ごと抱きしめた、絆の証そのものなのだ。

その源十郎がこの信濃の地でも格式ある神職の家に【家族】として迎え入れられた事実は、源三郎の心にある【情愛】をどこまでも熱く震わせていた。

その騒ぎを冷めた、しかしどこか温かな眼差しで見つめる藤五郎と、左衛門。

「全く、騒がしい家だこって……」

藤五郎が呆れたように呟く。

だが、その表情には微かな笑みが浮かんでいた。

それに答えるように、左衛門はしみじみと言う。

「そうは言うが……私はこの真田という家、一族が好きになったぞ。おぬしもそうであろう、藤五郎?」

左衛門の問いに、藤五郎は窓の外へと視線を移し、奥州の冷たい風を懐古するように小さく頷く。

「……まぁな。見てて飽きぬからな」

二人が見つめる先には、泣きじゃくる兄、戸惑う許嫁、そして照れくさそうにしながらも、初めて自分の居場所を確信したような面持ちの源十郎がいる。

そこには、奥州の冷徹な家臣団や勢力争いの中では決して育つことのなかった、泥臭くも温かな【真の絆】が渦巻いている。

二人はその光景を、どこか羨望にも似た眼差しで見つめながら、自分たちの中にも「真田」という場所が、家が、確固たるものとして根付き始めているのを感じていた。

「はっはっは! 清永らしいわい! あやつにとって武家の血がどうこう、出自がどうこうなどは瑣末事!! 大事なのはお諏訪様を信じているかどうかのみなのよ!! かっかっか!!!」

そんな中で昌幸が腹を抱えて笑い、障子の向こうにまで届きそうな朗らかさで清永という男の気質を言い当てる。

その様子を見ていた源十郎は、ふと口を開いた。

「……あ。そうか、父上と『とと様』は、本当に幼い頃からの仲だったんだな」

「んぉ? 『とと様』とな?」

昌幸が、その聞き慣れぬ呼び名に眉を上げ、源十郎の顔をじっと覗き込む。源十郎は少し照れくさそうに、だが誇らしげに答えた。

「はい。清永殿に……いえ、とと様から言われたのです。『そなたにとって父上は喜兵衛、母上は薫様。なれば、私たち夫婦の事は“とと様”、“かか様”と呼べ』と……」

その言葉を聞いた瞬間、昌幸の笑みがふっと和らぎ、深みを帯びたものに変わった。

その脳裏には、泥に塗れ、血の臭いが充満する戦場で、隣り合って槍を振るっていた若き日の清永の背中が鮮明に蘇る。

「……あやつは昔から、そういう男よ」

昌幸は、遠くを見るような目で静かに呟いた。

「自身がどれだけ苦労しようとも、わしや父上をよぉ立ててくれよった。……そうか。清永め、今度は源十郎…おぬしを我が息子として立てておるのか」

かつては戦友として共に戦場を駆けた男が、今度は家族の絆の中で互いを尊び合っている。

昌幸はその事実に胸を熱くし、源十郎の肩をポンと力強く叩いた。

「源十郎よ。とと様、かか様と呼ぶがいい。それだけの義と情けを持った男だ。清永がそう言うなら、それはもう、真田の家が保証する、おぬしのもう一つの背骨よ」

昌幸の言葉に、源十郎は深く頷く。

が、直後。

昌幸は悪い顔をして言う。

「だがな、源十郎。覚えておけ。清永めは……運だけは無い。ゆえに、これからおぬしに面倒事が振りかかるやも知れぬぞ?」

「え?運……??」

源十郎はきょとんとして首を傾げた。

清永という人は、立ち居振る舞いも凛としていたし、しのを守る父親としての威厳も十分にあったはずだ。

だが、昌幸は心底楽しそうに言葉を継ぐ。

「うむ。あやつ、おぬしと話しておる時もしきりに腰を擦っておったりせなんだか?」

「は、はぁ。確かに……。時折、苦しそうにしてました」

「あれはな……昔わし共々、父上の落馬を防ぐべく駆け寄った折……あやつだけ泥濘ぬかるみに足を取られたというのに、父上の身体を無理に支えようとしてな。盛大に腰をやってしまったがゆえよ。あやつの運のなさは、あの時を境に始まったのやもしれぬな! かっかっか!!」

昌幸の豪快な笑い声が屋敷に響き渡る。

源十郎は呆然として立ち尽くした。

「え、えぇ〜……。戦場での古傷とか、激戦の末の栄光の傷跡とか、そういうのじゃないの……?」

源十郎の中で神格化されつつあった清永の姿が、今、音を立てて崩れ去っていく。

真面目な顔で「お諏訪様を信じているか?」と問いかけていたあの渋い義父が、ただの「足場が悪くてぎっくり腰になったおっちゃん」だったとは。

「『古傷』? 馬鹿を抜かせ。あやつにないのは運『だけ』と申したぞ?? あやつの腰が万全なれば……今頃はかの本多忠勝に比肩する槍の名手となっておったわ!!」

昌幸は「古傷」という言葉を聞くと鼻で笑い、清永の不遇な才能を惜しむようにさえ言った。

その熱の入りように、源十郎も「とと様」の潜在能力の高さだけは察した。

だが、源十郎の思考はその次の瞬間に急停止した。

「……父上」

「なんじゃ?」

「本多忠勝って……誰?」

その問いが放たれた瞬間。

居間にいた者全員が、まるで精巧な糸操り人形のごとく、一斉に盛大にズッコケた。

「……げ、源四郎ぉ。……教えてやれ」

天下の真田昌幸も、源十郎の戦国知識のあまりの欠落に眩暈を覚えたのか、珍しくこめかみを抑えながら、次兄である源四郎へ丸投げした。

源四郎は呆れ果てた溜息をつき、座り直すと源十郎に向き直った。

「ったく! 源十郎、オメェはよぉ! 武家の倅になったんだからそんくらい知っとけ! 特に今後間違いなく事を構える徳川家臣だぞ!? いいかぁ、本多平八郎忠勝っつーのはなぁ……」

源四郎は呆れながらも、かつての旅路…薩摩へ向かう道すがら、浜松城で徳川家康と共に目にしたあの男の姿を語り始めた。

ただそこに立つだけで周囲の空気を支配する、異形の殺気と圧倒的な武の気配。

「えぇ〜!? 兄様、そんなすげー人と会ったことあるんだ! ……やっぱり兄様でも勝てそうにない??」

源十郎の素直すぎる問いに、源四郎は口角を歪め、自嘲気味に肩をすくめた。

「……まぁな。対峙しただけで察したよ。俺ですらまだまだ、あの『武の高み』には至れてねぇ。サシでやり合ったら……確実に負ける」

源四郎が自分より強い存在を認めたことに、居間の空気がわずかに緊張する。

しかし源十郎は、兄の底知れぬ強さを知っているからこそ、悪気なく続けた。

「へ〜……京から姉上と兄者(茂誠)を連れ帰る時に、明智? とかいう連中を叩き斬りまくったってのに??」

その一言に、源四郎の顔から笑みが消えた。

「……おめぇ、それ誰に聞いた??」

「姉上やばば様♫」

「……全く、あの人たちは……」

源四郎が頭を抱えて溜息をついた、その直後だった。

源十郎が、あどけない顔でとんでもないことを口にする。

「じゃあさ! 兄様が常々口に出す()()()って人と、二人がかりなら勝てるかな??」

「!!!!!」

居間が静まり返る。

源四郎の眉が跳ね上がり、昌幸も目を見開く。

「………あいつと二人がかり! それなら!!」

源四郎の瞳に、ギラギラとした焔が宿る。

かつて薩摩の地で共に汗と泥、硝煙にまみれ研鑽を積んだ相棒・又七郎。

その狂おしいまでの闘争心に雑ながらも確実に致命の一太刀を叩き込むタイ捨流の技…そこに源四郎自身の戦術が合わされば!

源四郎の脳裏に、槍を担いで立つ【東国無双】、本多平八郎忠勝の姿が重なる。

徳川との一戦は、真田が真田である以上、避けては通れぬ宿命だ。

その戦場で、己の武の限界を試すような大物との打ち合いを想像し、源四郎の武者震いは止まらなくなっていた。

(そうだよな……又七郎、あいつとなら! たとえ相手が誰だろうと! あの本多忠勝だろうと、食らってやれる!!)

鼓動が高鳴る。

源四郎の興奮は、ただの武人の狂気ではなく、真田の血が求めていた「最高の昂ぶり」そのものだった。

その様子を、昌幸は満足げに、そしてわずかに危ういものを見るような眼差しで見守る。

「ほう。源四郎、おぬしの武者震い…なかなか珍しいものを見た気がするわ」

「……父上。又七郎と俺ならやれます!【東国無双】が首、とってみせまする!!」

源四郎の言葉に、居間の空気はピリピリとした緊迫感に包まれた。

奇しくも、この時……

真田の若き両翼が放ったこの熱情は、()()()()()()()()()()…後世に語り継がれることになる一戦を予見していた。

皆の前で夢想したその打ち合い、いや、血肉が飛び散る【死合】は、決して絵空事ではなく、歴史の必然として確実に源四郎、そして又七郎に近づいていたのだ。

だが、それはまだ先の物語。

今はただ、源十郎がしのという新たな家族を得た吉報のもと、男たちが己が獣性を研ぎ澄ませる時が過ぎていく。

そんな若人たちの熱気と、源十郎の初々しい幸せに満ちた広間。

しかし、その喧騒を眺めていた頼綱は、一人腹の底で激しい算段を巡らせていた。

(……まったく。何が【許婚】じゃ、源十郎め。清永めも……どうせしのと互いに元服と裳着を済ませたら、すぐ祝言とでも言うに決まっておる。……いいとこ五年とないではないか!)

頼綱は、若者たちの未来を想うと同時に、残酷な現実と向き合っていた。

(……他家の領地となっとるかもしれぬこの信濃で、祝いの酒を酌み交わすなど格好がつかんわ! それに源四郎も源四郎じゃ。薩摩の(ともがら)とならあの【東国無双】の首が取れる? 柄にもなく目をギラつかせよって!! ………なれば!!)

若者たちの情熱に当てられ、老将の胸の中にある「火」が燃え上がった。

沼田を預け、会津へ戻る。

それは真田の地盤を捨て去るような決断ではない。

若者たちが堂々と祝言を挙げられる「真田が所領」。

これを外から取り戻すための戦略的()()だ。

頼綱は広間にいる皆の視線を一身に集めるほどの大音声で言い放った。

「えぇい! 若人どもがやいのやいのと!!わしを置き去りにするでない! ……左衛門!!」

突然の叱責に、左衛門が驚いて顔を上げる。

「むっ? なんでしょう頼綱老??」

頼綱は、迷いの消えた、かつての戦場を駆けていた頃の鋭い眼差しで宣言した。

「おぬしの言う通りにしてやる……! この頼綱、再び向羽黒山城に入ってやるわ!!!」

居間の空気が凍りついた。

沼田を明け渡し、会津の拠点へ戻る。

その意味を察した昌幸は、目を見開き、そして深く……満足げに頷いた。

「……叔父上。本気か?」

「おう!若人の前途に『他人の土』など踏ませておれるか! 沼田は()()()()()。だが、その代わり我らは会津の地を盤石にする。源十郎の祝言は、真田が真田として誇り高く迎えられる場所でやらにゃあ、納得がいかんのじゃよ!!」

そして源四郎を見ながら頼綱が続ける。

「そうして伊達家に真田が家を挙げて恩を売れば…ゆくゆくは家督を継いだ政宗殿がこの信濃、返してくれるやも知れんからな!それまでこの()()、おちおち隠居など出来ぬわ!!」

「!!!!!」

歴戦の老将のその覚悟に、源十郎も源四郎も、言葉を失ってただ頼綱を見つめた。

それは、若者たちの小さな幸せを守るために、老雄が己の残りの命と矜持をかけて「後に信濃を取り戻す為の巨大な賭け」に出た瞬間だった。

頼綱の宣言に居間が静まり返る中、源四郎の胸の内は激しく波打っていた。

(……じーちゃん……! 俺の狙いを、薄々気づいて……!?)

源四郎が内心でたじろぎ、言葉を失う。

自分が仕掛けようとしていた政宗への恩の押し売り、そして信濃を、小県を奪還するための数多の布石。

それを、隠居も近いはずの頼綱に見抜かれていたという事実に、背筋が凍るような衝撃を受けた。

そんな源四郎の動揺を見透かすように、頼綱はわざとらしくニヤリと笑ってみせた。

(未熟者めが! 顔に出とるぞ! わしを誰だと思っている? この信濃で海千山千の戦場を兄上……おぬしの祖父・一徳斎と乗り越えてきた、矢沢頼綱ぞ?)

頼綱の瞳には、かつての戦場で敵を欺き、窮地を脱してきた老獪な妖狐のような光が宿っている。

彼は源四郎の「青臭い企み」を全て飲み込んだ上で、それを「真田の家としての公的な大義」へと昇華させようとしていたのだ。

(ほれ、気を引き締めよ! 藤五郎と左衛門に気取られるぞ!!)

頼綱は鋭い視線を源十郎たちに向けながら、源四郎に対してだけ、誰にも気づかれぬよう小さく目配せを送った。

「どうした、源四郎? わしが再び戦の支度をすると聞いて、腰を抜かしたか?」

「……いや。覚悟決めたじーちゃんがさ……これ以上なく真田らしいな、って思っただけだよ♫」

源四郎は精一杯のポーカーフェイスを取り繕い、小さく会釈した。

その表情には、自分を凌駕する「真田の長老」の底知れぬ器に対する、畏怖と敬愛が混ざり合っている。

一方、藤五郎と左衛門は、そんな二人の緊迫した視線の交錯には気づかぬまま、頼綱の突拍子もない決断にただただ圧倒されていた。

「ったく、なんつー家だよ! 嫌がってると思ってたじーさまが…孫同然の源十郎が嫁連れてきた途端にこれかよ!?」

藤五郎が呆れ半分、感嘆半分といった様子で叫ぶ。

「そう言ってやるな、藤五郎。それが真田という家なのだろうよ……。とにもかくにも頼綱老、会津へ再び赴くというご決断、感謝致しまする」

左衛門が深々と頭を下げた。

奥州と言う冷徹な政略渦巻く地に身を置いてきた彼にとって、個人の幸せのために城を明け渡すこの「真田のことわり」は、眩しくもあり、憧れでもあった。

その姿に、先ほどまでの毒気を孕んでいた頼綱の溜飲は完全に下がった。

「うむ!」

頼綱は短く、しかし力のこもった声で応える。

そこへ昌幸がさらに事態を加速させる【新たな議題】を放り込んだ。

「……ふっ。なれば信濃の【伊達飛び領地化】の話はまとまったのぉ。であれば……藤五郎殿?」

「はっ。なんでしょう、安房守殿?」

昌幸の眼差しが、どこか未来を見通すように鋭く光る。

「貴殿には……出来れば手勢を率いて、『新たな城』の普請がその麓で始まる……虚空蔵山城へ入って頂きたい」

(!!……そっか! 時期的に【上田城】の普請が始まんの、このくらいか!!)

源十郎は心の中で叫んだ。

歴史の教科書や書物で見知った真田の伝説。

その中心地となる「上田」という地名ではなく、あえて「虚空蔵山城」と呼ぶところに、今まさに歴史が動こうとしている息吹を感じた。

藤五郎も、ただの城普請ではないことを察し、背筋を伸ばす。

「虚空蔵山城……。上田の地を抑えるための、いわば真田の本拠かなめでございますな?」

「左様。如何に伊達がこの信濃に入るとは言え……家中で内乱が起きている上杉はともかく、徳川や北条が手を引くとは到底思えませぬ。その証拠に、此度の普請に絡む費用は全て徳川が負担する……と申し出てきておりまする」

昌幸は冷徹な笑みを浮かべ、さらに続けた。

「自らが入城するつもりとみえる。…腹を空かせた狸めが。我らが差し出す餌に、まんまと飛びついておるわ」

「ほぅ……あの三河の狸を、だまくらかすつもりでありまするか?」

藤五郎が問いかける。

普段は戦のことばかりを考えている彼にとって、昌幸の描く「城を建てるという行為そのものが罠」という発想は、戦場の武力とは異なる別次元の暴力……

まさに「知略」の恐ろしさそのものだった。

「いかにも」

昌幸の短くも力強い肯定に、居間の者たちは息を呑む。

徳川の金で上田の基盤を作り、それを最終的には徳川に渡さぬどころか、喉元に突きつける刃とする。

これぞ真田。

そんな緊迫と高揚が入り混じる中、源四郎が突然立ち上がった。

「……なれば父上! 見て頂きたいものが御座います! しばしお待ちを!」

源四郎は居間の者たちが問い返す間も与えず、足音も荒く自室へと駆け出していく。

源三郎は、源四郎の背中を見送りながら、深々とため息をついて頭を抱えた。

「……あやつめ。また突拍子もない事を抜かす気だな。まったく」

長兄としての苦労を滲ませるその言葉通り、予感はすぐに的中する。

慌ただしい足音と共に自室から戻ってきた源四郎の手には…紛れもない【設計図】が握られていた。

「各々方……これがそれがしが考える【新しい城】に御座いまする!」

源四郎が居間の中央にその図面を広げると、居合わせた者たちは一斉に覗き込んだ。

そして、その異様な形を目にした瞬間、昌幸ですら「……なんじゃこれは?」と絶句し、藤五郎と左衛門は目を丸くして固まった。

そこに描かれていたのは、日本伝統の城郭が持つ方形や曲輪の概念を根底から覆す、鋭利で複雑な幾何学模様だった。

「……星、だと?」

頼綱が震える指で、図面の中央から放射状に伸びる五つの角をなぞる。

それは、本来であれば数百年後の時代に、遠く離れた異国から伝来することになるはずの……【星型城郭】。

いわゆる【五稜郭】の雛形であった。

「……兄様、これは一体……?」

源十郎の問いかけに対し、源四郎は目を輝かせながら図面を叩く。

「おぅ! これは薩摩でご禁制の伴天連(バテレン)の書物持ってた豪商を、又七郎たちとしょっ引いた時に……ホントは駄目だけど兵法書みたいなのを日ノ本言葉に直したモンがあってな。それを盗み見たんだ! 日ノ本の言葉だと……【五稜郭】っつーらしい!」

源四郎は、もちろんそれが「未来から来た知識」などとは言えず、薩摩の喧嘩旅行での「戦利品」であるかのようにハッタリをかます。

「「「「「「ご、【五稜郭】……」」」」」」

居間の空気が一瞬にして凍りつき、直後にどよめきが走った。

聞き慣れぬ響き、そして見たこともない幾何学的な城の縄張り。それが徳川の軍資金で造られるという、あまりに壮大かつ狡猾な企み。

昌幸は設計図を指先でなぞりながら、低い声で笑い出した。

「ふはははは!面白いぞ源四郎!!なればこの城の利点、申してみよ!!!」

昌幸の哄笑が屋敷の梁を震わせた。その熱量に呼応するように、源四郎の語り口もさらに熱を帯びる。

「はっ! まずは……この星形の形により敵がどこから攻めてこようとも、死角ができませぬ! 突出した角(稜堡)から、迫り来る敵を二方向からの射撃……すなわち【十字砲火】で網にかけられまする!」

源四郎が指先で星の角をなぞりながら解説すると、戦場を知り尽くした頼綱、そして源三郎がまるで雷に打たれたかのように顔を見合わせた。

「な、なるほど……! 敵が城壁に取り付こうとすれば、隣の角から横っ腹を叩けるというわけか!」

源三郎が図面に身を乗り出し、その巧妙さに感嘆の声を上げる。

「な、なんつー守りやすい城じゃ! 従来の方形の城郭なら、一箇所突破されたら雪崩を打って負け戦になるが……これならば、敵がどこへ群がろうとも、そこがそのまま敵にとっての『死に場所』となるのか!」

頼綱の目には、既にこの星型城郭を攻めあぐね、無残に散っていく徳川兵の姿が見えているようだった。

ただの老人による感想ではない。

長年真田の守りを築いてきた老将ならではの…戦術的確信に満ちた叫びである。

昌幸もまた、髭の先を弄びながら目を細めた。

「十字砲火か。敵を城壁に近づけさせぬ、あるいは近づいた敵を四方八方から削り取る……。これならば、たとえ徳川の猛将が束になってかかってこようとも、この『星』の棘に刺さるのがオチよ」

広間に流れる空気が変わる。

ただの図面が、もはや無敵の要塞としての質量を持って、全員の心の中にそびえ立った。

その異様なまでの軍事的合理性と、それをいとも容易く口にする真田の面々の才気。

今まで「騒がしいが温かい一族」と見ていた伊達の二人は、この時初めて、自分たちが「とんでもない怪物たちの巣窟」に身を置いているのだと悟った。

藤五郎が、冷や汗を拭いながら隣の左衛門に言う。

「さ、左衛門……」

「なんだ、藤五郎……」

左衛門の声もまた、先ほどまでの余裕を失い、どこか引きつっている。

藤五郎は視線を源四郎に向けたまま、震える声で吐露した。

「俺は……俺は今日ほど! 源四郎が()()()()でなくて良かったと思うたことはないっ!!」

「……それがしもだ!!」

二人の言葉は、冗談などではなかった。

奥州の戦乱の中で修羅場をくぐり抜けてきた彼らが、戦慄するほどの「殺意の計算式」を見せられたのだ。

真田という一族が本気で牙を剥いたとき、天下の徳川といえどもただでは済まない。

その二人の様子を、昌幸は愉快そうに眺めていた。

「どうした、お二方?そんなに顔を青くなされて??源四郎めが策が、それほど恐ろしくあらせられるか?」

「……恐ろしい、などという言葉では足りませぬ」

左衛門が苦笑いを浮かべ、設計図の上に広がる「星」の形を見つめる。

「これは、城ではございませぬ。徳川を飲み込み、食い殺すための【(あぎと)】にございまする!……恐るべきは、この城を造る金すらも徳川から掠め取るという、その強欲さと冷徹さ。これぞ真田!我らが結ぶべきは、やはりここであったと確信いたしました!」

左衛門の感嘆の言葉に、頼綱は満足げに鼻を鳴らす。

「ふん。やっと分かったか。真田とは、ただ戦うだけの武骨な集まりではないわ。……源四郎! おぬしが描いたこの五稜郭、ただの紙屑にするには惜しすぎる。……喜兵衛!直ちに普請の準備にかかろうぞ!」

鼻息荒く普請の開始を推す頼綱。

それを源三郎が制止する。

「お待ちくだされ大叔父上!」

「なんじゃ源三郎! これほどの物を見せられて異を唱えるつもりか!?」

「違いまする大叔父上! これほどの城なれば……人足の問題がございます。源四郎が蘆名より迎え入れた千五百の兵共があれど…ともすると藤五郎殿の軍勢の手も借りねば……」

言いかけて、源三郎はチラリと藤五郎に目をやった。

伊達の家臣という立場でありながら、ここまで真田の懐に深く入り込んでくれた彼に、さらなる負担を強いてよいものか…

その逡巡を察した藤五郎は、豪快に笑い飛ばした。

「なっはっは! 心配めされるな、源三郎殿!! 同じ伊達の家臣たる源四郎が実家に…これほど見事な城を普請すると言うのだ!我が手勢共々、喜んで手伝おうぞ!」

「かたじけない、藤五郎殿! ……しかし、問題はもう一つ……金でございまする」

源三郎は藤五郎に感謝を述べつつも、深刻な面持ちで昌幸を見た。

どんなに優れた縄張りでも、莫大な費用がかかれば徳川の出資額を上回り、結局は真田の台所を圧迫する。

すると、源四郎が余裕たっぷりに口を開いた。

「大丈夫だよ兄上♫これまでの城普請より、金は格段に割安になると思うよ??」

「……どういうことだ?」

訝しむ源三郎に、源四郎は指を立てて続けた。

「城普請において一番金がかかるのは、名のある石工いしくを招いての石積みと、巨大な城壁造り、さらに堀を掘った時の土の運搬だ。けど、この【五稜郭】にゃ、それらは要らねぇ!!」

源四郎は設計図の「堀」の部分をトントンと叩く。

「なんたって……堀を掘った時に出る土をそのまま丈夫な布袋に詰めればいいんだ。そう……【土嚢どのう】にして壁代わりに積めば、石積みにも劣らぬ強固な防御壁になるんだよ!」

その一言に、居間に一瞬の静寂が訪れた。

石を積み上げるという城郭の常識を覆し、土を袋に詰めて積むだけで城が完成するという、あまりに斬新かつ合理的な工法。

皆の脳内でその意味が理解された瞬間、全員の顔が驚愕に歪んだ。

コンマ数秒の遅れの後、一同の絶叫が屋敷を揺らした!

「「「「「「な、何ぃーーーーーーっ!?」」」」」」

即座に頼綱が反論する。

「た、確かに種子島や矢など……土袋や土を入れた俵の前には止まろう! じゃが……高い壁なくして大筒は如何にするつもりじゃ!? 敵の大筒が直撃すれば、土嚢など一溜まりもなかろう!」

言いかけたところで、源四郎が待ってましたとばかりに食い気味に答える。

「いやさ、じーちゃん! 大筒の『作り』を考えてくれよ。あの重い鉄の筒、土台の木枠……どうやって撃つ?」

「作り? ……あ。」

頼綱の目が見開かれる。

続いて、隣で図面を睨んでいた昌幸が「……ふむ」と深く頷き、源十郎が「あ〜、前に大筒のこと教わったな……そ~言う事か!」と唸った。

「げ、源四郎……。お前、こと戦の話となれば、どこまで頭が回るのだ!? 」

源三郎も弟の意図を理解し、背筋に電流が走るような感覚を覚えた。

しかし、軍事知識の毛色が違う伊達の二人は、まだキョトンとしている。

「な、なんだ? どういう事だ、源四郎? 城壁が低くても大筒に勝てるのか?」

左衛門の焦れったそうな問いに、源四郎は親指を立ててニヤリと笑った。

「えーと……お二方。大筒ってのは、基本的に重い砲身を支え、反動を抑えるために『斜めにその口を設えて』おりますよね? だからこそ、逆に『地に対して真っ直ぐ、真下を向くようにその口を構える』のはその作りの上では…極めて不得手では??」

その言葉が突き刺さった瞬間、藤五郎と左衛門の脳裏に、大筒の構造と、低い土塁の向こう側に潜む自分たちの姿がリンクした。

「「……あああああ!!」」

二人が声を揃えて驚愕する。

「そうか! 大筒は遠くを狙うためのもの!しかも世の大筒師どもは普段高い城壁を狙うのは慣れていれど…低い場所を狙うた事など皆無!なれば城壁を()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

「それだけじゃねぇ。敵がしびれ切らして近くまで寄ってきても、大筒を地面に向かって撃つことはできねぇ。つまり、この五稜郭は『大筒の死角』を、土の盛り方一つで自在に作れるってわけだ!!」

源四郎の淡々とした解説に、居間の空気が再び凍りつく。それは、武士が長年かけて信じてきた「石垣こそが守りの要」という概念を、ただの「土袋と城自体の低さ」で無効化する、あまりにも残酷な軍事革命であった。

藤五郎は設計図を見つめ、最後には乾いた笑いを漏らした。

「……なぁ左衛門。俺たちはとんでもない男を(ともがら)にしちまったな。これ、もし徳川の連中が攻めてきたら、大筒を無用の長物に変えて、ただの鉄の塊を運ばせるだけで済むぞ」

「ああ……。真田の戦は、戦場に出る前に終わっておるのかもしれんな」

その広間の空気が、まるで何層もの策が噛み合い、巨大な歯車が回り始めたかのような熱気に包まれる。

「なれば狸めに……普請代を確約させねばな。無論……これまでの城郭の普請代、それと同じ額をな」

昌幸が喉の奥で低く笑う。

その目には徳川との決戦を見据えた、冷徹なまでの算盤が弾かれていた。

源四郎は父の意図を即座に汲み取り、ニタリと特大級の悪い笑顔を浮かべる。

「流石父上! ただ堀を掘った土をそのまま固めて土袋に詰めるだけの五稜郭なら、石を切り出す莫大な費用も、石工を雇う賃金もいらない。本来使うはずの金をそのまま『軍備』に回せることに……お気づきでしたか♪」

本来、莫大な「見せ金」が飛んでいくはずだった普請が、真田にとっては「徳川から軍資金を合法的に引き出すための錬金術」へと変貌する瞬間だった。

しかし源三郎が、なおも落ち着かない様子で眉を寄せた。

「……そんなにうまくいきますかな。徳川の目付役どもは百戦錬磨、銭の使い道には殊更うるさいですぞ。あ奴らを丸め込んで、その額を引き出すなど……」

源三郎の懸念はもっともだ。

だが、昌幸は動じるどころか、屋敷の外、霧が立ち込める山を見つめて不敵に言い放った。

「なぁに、あやつがおる。……信尹がな」

その名が出た瞬間、源四郎の全身に電撃のような衝撃が走った。

真田の切り札。

外交と調略において、昌幸の頭脳と並び称される男。

源四郎は震える拳を握りしめ、高揚を抑えきれずに叫んだ。

「………信尹叔父上!」

その名は、真田家にとって「突破口」そのものだった。

叔父がいれば、徳川の重臣たちの懐をくすぐり、家康の疑心暗鬼さえも「真田への投資」へと書き換えてみせる。

だが、源四郎はすぐに現実に引き戻され、ふと青ざめる。

「……待てよ、叔父上は今、どこの風に吹かれているんだ? 数年会っていないぞ……」

その時、暗がりから影が滑り込んできた。

昌相である。

昌相は源四郎の焦りを見透かすように、静かに、しかし力強く言った。

「案ずるな源四郎。そんな時の為に我ら出浦の素破がおる。信尹がどこで何をしていようと……必ずや、この真田の窮地を救う一筆を届けてみせよう」

出浦のその一言で、源四郎は確信した。

これで、役者は揃った。

信尹が徳川の懐を荒らし、出浦が闇を走り、源四郎が信濃で「死の罠」を造る。

「父上、叔父上さえ動けば……徳川は、自らの金で墓穴を掘ることになりますね」

真田の広間に、勝利を確信した者たちの笑みが広がった。

信濃の地に築かれようとする死の顎【五稜郭】(゜A゜;)ゴクリ

さて、物語は新たな局面へ向かい動き出しました!

源四郎の更なる悪魔的調略をどうぞお楽しみに!

次回を刮目して待て!!

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