其之五
――米沢城、謁見の間――
謁見の間は重苦しい静寂に包まれていた。
凍てつく重圧の中、泥と返り血に汚れた源四郎は、あえて膝を折ることなく、しかし決して不遜には見えない、絶妙な距離感で輝宗の鋭い視線を受け止めた。
「向羽黒山の始末は、弟の源十郎と大叔父の矢沢頼綱に任せております。俺が今、こうして米沢まで足を運んだのは、単なる戦勝の報告だけが目的ではございませぬ」
源四郎は語調を抑え、信濃を取り巻く過酷な現状を切り出した。
「父・昌幸が進める『信濃国衆合議連』ですが……あれは、もはや潮時かと。上杉、徳川、北条という巨大な影が信濃を覆う中、小勢力同士が傷を舐め合っているだけでは、火に油を注ぐようなものです。このままでは、真田も信濃も、強大な隣国たちに飲み込まれるのは時間の問題でございましょう」
輝宗は微動だにせず、ただ源四郎の言葉の深淵を覗き込むように沈黙を保っている。
源四郎は、その沈黙を好機と見て、一歩だけ踏み込んだ。
「今の真田のやり方では、伊達様の御武運を支えることも、真田が生き残ることも難しい。……そこで、伊達様の覇業を加速させるための『とっておき』をご提案したく存じます。俺が密かに習得した、火薬を自在に増やす方法でございます」
源四郎は恭しく床を指差し、静かに続けた。
「火薬の要である硝石というものは、実はそこら中の泥や汚物から作れるのです。城の床下や便所、あるいは戦場で転がっている死体……そうした場所の土を溜め込み、尿をかけて寝かせておく。数年かけて醸せば、大地そのものが火薬の素を吐き出すようになります。これは古来の書物には載っていない、俺だけの…外法なる禁呪【古土法】にございます」
源四郎が語る手法は、武士の矜持や供養といった感傷を排した、極めて合理的かつ冒涜的なものだった。
「敵の死体であろうと汚物であろうと、輝宗公の力になるのであれば、すべて使い倒す所存。堺や京の商人を頼らずとも、この奥州そのものを巨大な火薬庫に変えてみせましょうぞ。もしこの『外道の智謀』を伊達の軍勢に役立てていただけるのであれば、火薬調合の全権を俺に預けていただけぬか……御一考いただければ幸いでございまする」
源四郎が提示したのは、戦国大名が喉から手が出るほど欲する「火薬の完全自給」という未来。
そして、それを実現するための、武士道を地に落とすような「外道の術」。
輝宗の双眸に、それまでの冷徹な問いかけとは異なる、野心と凶暴な期待が混ざり合った光が宿る。
が…
ここで神職の家の出たる小十郎の叱責が飛ぶ。
「敵の屍を……だと!? 源四郎、貴様、神仏をも恐れぬ所業をするつもりか!?」
小十郎の糾弾は、神職の家系に生まれた者なりの正義と矜持によるものだった。
静まり返る間の中、源四郎は静かに、しかし冷徹なまでの冷静さで切り返す。
「……それは異なることをおっしゃいますな、小十郎様」
「何!?」
「数多ある生きとし生けるものの中で、己が生きるため以外に他の命を殺めるのが人。つまり、生きているだけで……小十郎様の言う『神仏を恐れぬ所業』、これをし続けているのが人ではございませんか?」
「!!!!」
小十郎が絶句する。
その論理はあまりに冷酷で、しかし否定しがたい真理を含んでいた。
生きるということは、他の命を奪い、糧にすること。
戦場であればなおのこと、敵の命を奪い、その亡骸の上に勝利を築くことが人の営みであるならば、そこに捧げ物としての供養を強いることこそが生者側の傲慢ではないのかと…源四郎は突きつけたのだ。
源四郎は一歩、小十郎へと歩み寄った。
その瞳には微塵の迷いもない。
「小十郎様は、泥にまみれて戦い、死んでいった者たちの魂が、ただ土に還ることを望むとお考えか? 俺は違う。死者は勝者のために捧げられ、その骨の髄まで軍の糧として利用されることこそが、戦場で散った者たちの、唯一残された『価値』だと考えておりまする。それが、俺の考える供養であり、最強の戦術でございまする」
謁見の間に、重苦しい沈黙が降りる。
小十郎の顔には激しい困惑と、源四郎の歪んだ論理に対する底知れぬ恐怖が浮かんでいる。
一方で、輝宗はこの「死生観」のぶつかり合いを、まるで品定めでもするかのように楽しげな眼差しで見つめていた。
「面白い……。供養を『価値』の変換と言い切るか」
輝宗が低く唸る。
源四郎の放った言葉は、神仏の加護を信じる戦国武将たちの常識を根底から揺さぶる毒であった。
しかし、その毒こそが、伊達という強大な勢力が【常識】の外側へ踏み出すための、甘美な呼び水になることを輝宗は直感している。
「小十郎、おぬしはこれを『外道』と呼んだな。だが、この童が申す通り、戦に正義も聖域もなし。伊達が天下を獲るなら、神仏の慈悲よりも、この源四郎のような『冷徹な算段』の方が頼りになるかもしれぬ」
輝宗の言葉に、小十郎が苦々しく口を閉ざす。
源四郎は勝ち誇ることもなく、ただ淡々と続ける。
「……それに小十郎様。それがしは何も、屍の全てをただの肥料にすると申したわけではございませぬ」
「……どういうことだ?」
小十郎が怪訝そうに問い返す。
源四郎は静かに、しかし力強く、真田の郷の【種床】で行われる慣習を口にした。
「我ら真田の郷では、たとえ敵であっても、首から上は別格として扱います。洗い清め、丁寧に供養し、首塚を築いて丁重に葬る。……首から上は人としての尊厳を象徴するもの。そこを等閑にすれば、兵の心に過度な怯えや狂気が宿り、道を誤るからにございます」
源四郎は一呼吸置き、その冷徹な瞳で畳み掛けた。
「首から下は、大地に還るための『資材』。首から上は、弔うべき『人間』。……この峻別こそが、兵を壊さず、かつ最も効率よく戦力を回収する理にございます。これを外道と呼ぶなら、戦場において命を奪い合うこと自体、もはや言葉もございませんな」
謁見の間が、再び静まり返った。
それは単なる残虐行為の弁明ではなく、殺戮の中に一筋の「武士の慈悲」という名の合理性を混ぜ込むことで、小十郎の道徳観を強引に中和する説得術だった。
「……首から上は供養し、下は軍の糧とする、か」
小十郎は吐き捨てるように呟いたが、その表情から先ほどの激昂は消え、代わりに深い思索が刻まれていた。
神職の家出身である小十郎にとって、その「供養の境界線」は、宗教的な反発を最小限に抑えつつ、軍事的な実利を最大化させる狡猾な提案として響いたはずだ。
輝宗は、源四郎の語るその歪なまでに整った死生観を、興味深そうに眺めている。
「首一つで供養を済ませ、体は硝石の種にする。……なるほど、真田の戦術がなぜあのように恐れられ、かつ粘り強いのか、少し分かった気がするぞ」
輝宗が面白そうに目を細めた。
小十郎もまた、源四郎のその非情なまでの論理の整合性に、何も言い返せずに唇を噛んでいる。
源四郎の提案は、単なる「外道の兵法」から「伊達家の覇業を支えるための冷徹なシステム」へと、確実に昇華されつつあった。
「はっは! 屍に糞尿を浴びせ、それを醸して玉薬(火薬)を作るとな! 泥と腐肉から地獄の種を錬成するとは、実に面白い!」
不意に笑い出したのは、輝宗の傍らに控えていた政宗であった。
その爛々とした瞳を源四郎に向け、その狂気じみた兵法に隠された奥州の未来を瞬時に見抜いたように不敵な笑みを深める。
「なればこの戦乱続く奥州は、伊達にとって格好の……いや待て?……くっくっく! 源四郎! 島津の連中がなぜ九州で天下に背くような暴れ方をしておるのか!この政宗、これで合点がいったぞ! お前……その外法なる技、奴らにも伝えたな?」
政宗の鋭い指摘に、源四郎は隠そうともせず、悪童のような面持ちで口元を歪めた。
「……ご明察でございます、政宗様」
その一言で、謁見の間の空気が一変した。
小十郎は戦慄し、輝宗は獣のような笑みを浮かべる。
源四郎が薩摩という遠方の地で、なぜあれほどまでに厚遇され、重用されたのか。
その理由は単純明快。
自身がもたらした「外法の知識」が、島津軍の圧倒的な火力を裏から支えていたからに他ならない。
「薩摩の猛者たちが、この【古土法】で増やした火薬を携えておるとなれば……そりゃあ、他の九州の連中が勝てるわけがないわな!はっはっは!!」
政宗は面白くて堪らないとばかりに膝を打ち、源四郎へ一歩近づく。
その目はすでに、源四郎という男を伊達家の戦略の中枢としてどう使い潰すか、あるいはどう飼い殺すか、その策で満ちている。
「源四郎、お前のその知識は、伊達にとって『切り札』だ!薩摩に与えた以上の恩賞を俺が保証してやる!!その代わり、伊達の領土を、信濃の地を、この世で最も火薬が湧き出る『死の地獄』に変えてみせろ!できるな?」
源四郎は深く頭を下げた。
その顔は、冷徹な計算で塗りつぶされていた。
「仰せのままに、政宗様。伊達の敵には、それこそが望むべき『最期の姿』でございましょうから」
謁見の間に、張り詰めていた空気が一気に凍りついた。
輝宗は扇で口元を隠し、冷徹なまでに楽しげな笑みを源四郎へ向ける。
「げにおもしろき男よ……だがな、源四郎。この輝宗を、ひいては【伊達の家そのもの】を動かすには、あと【一押し】たらんな」
「!!!」
その一言を聞き途端に青ざめる源四郎。
「ふっ、肝心なところで腹の中が顔に出るな。まだまだ父・安房守には及ばぬと見た。おおかた……向羽黒山奪還に動く蘆名本隊を、背後からこの輝宗に襲わせようという腹であったのであろう?」
輝宗の言葉は、源四郎の策の核心を的確に射抜いていた。源四郎の顔から笑みが消え、苦渋に満ちた表情に変わる。
「……弁明のしようもありませぬ、輝宗公」
源四郎は深く頭を垂れた。
だが、その深くうなだれた視線の先、床板を睨みつける瞳には、決して消えることのない業火のような野心の炎が激しく宿っている。
源四郎は、瞬時に頭を上げ、ギラリと輝宗を射抜いた。
「なれば! なれば輝宗公! そこまで読まれておられるのでしたら……この源四郎、さらにもう一つ、提案がございまする!」
輝宗がわずかに眉を動かす。
「……申してみよ」
源四郎は、喉の奥から絞り出すような、しかし確信に満ちた声でその爆弾を投下した。
「蘆名が討ち滅び、伊達が会津を平らげた者としてその名を轟かせた暁には……虚空蔵山城、沼田城、岩櫃城……それら真田の拠点を、伊達の手勢に明け渡します。……つまり! 小県を丸ごと、伊達が信濃へ足がかりを築くための【飛び領地】にしていただいて構いませぬ!」
「……何と」
傍らにいた政宗が目を見開き、小十郎ですら息を呑んで立ち尽くす。
小県を伊達の飛び領地にする。
それは、真田が伊達の「直轄領」になることを意味し、同時に信濃全土への伊達の介入を意味する。
父・昌幸が死に物狂いで維持しようとしている「信濃国衆合議」という体裁を、息子である源四郎が内側から破壊し、伊達の軍門に捧げると公言したのだ。
源四郎の狂気じみた提案に、輝宗の瞳に初めて、底知れぬ「貪欲」の色が浮かんだ。
「源四郎、おぬし……父・昌幸を裏切るというのか?それとも、信濃の全てを伊達の『硝石の畑』にしてでも、覇を獲りたいというのか??」
輝宗の問いに対し、源四郎は迷いなく顔を上げた。
その眼差しには先ほどまでの狂気じみた外法の論理はなく、ただ呆れるほど真っ直ぐな、そして青臭い熱情が宿っていた。
「そのどれも違います、輝宗公。それがしは……それがしはただ! 愛する妻・みおと、穏やかで明るい行く末を共にしたいだけでありまする!」
謁見の間に、しんと静寂が訪れた。
戦術、火薬、領地、覇業……そんな血生臭い言葉ばかりが飛び交っていた場所で、突如として投げ込まれた個人的な【愛】の告白。
輝宗と小十郎が困惑に顔を見合わせる中、静まり返った室内を突き抜けるような声が響いた。
「おぉ! 源四郎! お前、その年で嫁がいるとな!? どんな女だ、詳しく話してみせい!!」
声を上げたのは、先ほどまで冷徹に戦略を練っていたはずの政宗であった。
前のめりになり、興奮を隠そうともしない政宗。
傍らに控える小十郎は「あちゃ〜……」と小さく呻き、盛大に頭を抱えた。
(……は? ええっ!?)
源四郎は内心で激しく混乱した。
(いや待て。俺の記憶が確かなら、この頃の政宗様とめご姫様といえば、めご姫様の侍女たちによる暗殺嫌疑やらで、とんでもなく険悪なムードのはずでは……? やっぱり歴史書や後世のドラマなんて、アテにならねぇのかよ!?)
「で、どうなんだ! その妻は、貴様をどう支えておる? 飯は美味いのか? 戦から戻れば、笑顔で出迎えるのか!?」
政宗の無邪気ともとれる食いつきように、源四郎は引きつった笑みを浮かべるしかなかった。
先ほどまで「最強の軍団」や「死の地獄」を論じていた男たちの会議が、一瞬にして若侍の世間話へと変貌したのだ。
「あ、ええ……みおは、妻はその…それがしの荒んだ心根を唯一温めてくれる存在でして……この会津、米沢へ行く際も、ただ無事に戻られませと、それだけを……」
「なんと! 羨ましい限りだ! 源四郎、お前は最高の宝を持っておるな!」
政宗が膝を叩いて絶賛する。
その瞳には、将来の一国の主たる覇気とは別に、年相応の青年の「純粋な渇望」が滲んでいた。
隣で小十郎が天を仰ぎ、輝宗すらも呆れたように、しかしどこか目を細めてその光景を見守っている。
(あぁ……この人、俺に自分と同じ『愛妻家』の匂いを感じ取ったんだな。分かる!分かるよ政宗様!この仕官の話が終わったら、俺が夫婦仲をすげー良くするための極意や、妻を喜ばせるアシストの限りを尽くしてやるよ!!)
源四郎は、政宗の瞳に宿る純粋な共鳴を感じ取り、内心で強く拳を握った。
同じ【嫁バカ】として…政宗との距離が急激に縮まったような気がしてならない。
この奇妙な【嫁バカ】という絆に源四郎がほくそ笑んでいた、その時だった。
「なれば是非もなし! 父上! 源四郎は今日より我が【馬廻り】としましょうぞ!」
「………はい?」
源四郎の間抜けな声が、謁見の間に響いた。
いくら気に入られたとはいえ、いきなり嫡男の直属である「馬廻り」へ抜擢とは、出世の階段を数段飛ばしどころか、屋根まで飛び越えるような話だ。
しかし、輝宗は呆れたように息をつき、頭を揉みほぐすような仕草を見せた。
「……………はぁ〜。愛姫のことが絡むと、お前という奴は。……あい分かった。源四郎の提案、認めよう。それに蘆名討伐の先陣として、二千ほどの兵もくれてやる」
(おいおいおい!? 息子が嫁バカなら、オヤジは親バカかよ!?)
源四郎は呆然として、開いた口が塞がらない。
たった一言、「嫁と穏やかに暮らしたい」と言っただけで、政宗は身内として囲い込み、輝宗はその息子を喜ばせるために二千もの精兵をポンと差し出した。
「どうだ源四郎。これでお前の愛妻との行く末は約束されたも同然よ」
政宗が勝ち誇ったように笑う。
その笑顔の裏に隠された「めごとの仲を取り持ってくれるんだろうな?」という凄まじい【圧】を、源四郎は肌で感じ取った。
(やべえ……。この伊達って家、思ってたより遥かにやべえところだ!だが、この『嫁バカ』同士の結束があれば……信濃の飛び領地どころか、伊達と真田の境目すら俺の庭みたいなもんになるんじゃねえか?)
源四郎は震える拳を隠し、これ以上ないほど恭しく床に額をこすりつけた。
「勿体なきお言葉! この源四郎、伊達の火薬と政宗様の御為、骨の髄まで使い潰していただきまする!」
伊達家という巨大な獣の腹に、源四郎という名の「やべー種」が、夫婦仲という奇妙な潤滑油と共に、深く、深く植え付けられた瞬間であった。
――翌日――
――米沢城――
翌朝。
米沢城の客間で目を覚ました源四郎は、これ以上ないほど晴れやかな顔で伸びをした。
「んぁあああ……よく寝た。やっぱ米沢の飯は旨いし、布団はふかふかだな」
向羽黒山城で今頃、蘆名本隊とドンパチやっているであろう頼綱と、源十郎。
しかし源四郎の頭に、彼らの安否を懸念する色など微塵もない。
(じーちゃんは真田が誇る『城守の達人』だ。そんなじーちゃんが守る【要塞】向羽黒山城…その鉄壁の守りを崩せる奴など奥州にはいねぇ。それに源十郎は【空間認識能力】を持つ観測手だ。正確無比に【竹龍】を運用できるあいつがじーちゃんの言う事ちゃんと聞いてるなら…不覚を取るわけがねぇ)
彼らへの絶対的な信頼があるからこそ、源四郎は平然と米沢で羽を伸ばしていられるのだ。
しかし、そんな平穏は一瞬で打ち砕かれた。
朝の静寂をつんざく、怒気を含んだ荒々しい怒声。
「真田の小倅ってのはどこだ! 出て参れ!!」
「んあ?」
源四郎が寝ぼけ眼で客間の敷居を跨ぐと、そこには威風堂々とした若武者と、対照的に冷ややかな笑みを浮かべた青年家臣が立ちはだかっていた。
「………誰、あんたら?」
源四郎の率直すぎる問いに、若武者が顔を真っ赤にして吠えた。
「あぁん!? この藤五郎をして『誰?』と抜かすか、この田舎国衆の小倅が!」
「これこれ藤五郎、そうかっかするな」
(あ〜、なるほど。この二人が小十郎様と並び称される【伊達三傑】か……。血気盛んなのが伊達藤五郎成実様、冷静に値踏みしているのが鬼庭左衛門綱元様、ね)
源四郎は内心で納得しつつも、あえて気の抜けた態度を崩さない。
「ともかく! 新参者の分際で藤次郎(政宗)の馬廻りなどと! どう取り入ったかは知らんが、俺は認めんぞ……!」
成実が言葉を荒らげながら、腰に差した木刀へ手をかける。
その瞬間、源四郎の空気が変わった。
さっきまでの嫁バカな寝ぼけ男の気配が霧散し、戦場で血を啜ってきた【死を纏う者】の冷徹さが立ち昇る。
「……認めねぇなら、どうするんだ?」
源四郎は、成実が木刀を抜くよりも速く動いた。
「っ!?」
成実が目を見開く。
源四郎は地面を蹴るでもなく、まるで空間を滑るかのように、一歩で成実の懐へ飛び込んでいた。
その間合い、喉元。
木刀を抜く間など与えない、最短距離での殺し合いの距離。
「貴様ッ……!」
成実が反射的に放った強烈な蹴りが空を切り裂く。
だが源四郎は、まるで落ち葉を避けるかのように涼しい顔で上体を傾け、流れるような動作で成実の軸足に自分の足を引っ掛けた。
「ぬぉっ!?」
重心を完全に崩された成実は、その体に見合わぬ派手な音を立てて廊下の板張りに背中から叩きつけられた。
「……はぁ〜。朝飯までに片付けっか。ここだと板が傷むし、広場にでも向かいましょうぞ? えーと……」
源四郎は呆れたように首をすくめ、倒れた成実を一瞥もせずに振り返る。
「ん? あぁ、すまぬな源四郎とやら。それがしは鬼庭左衛門綱元。そこで寝っ転がっているのは……」
「寝っ転がってるんじゃないわ! 今の足は卑怯だぞ、この外道め!……伊達藤五郎成実!」
成実が顔を真っ赤にして跳ね起き、木刀を構え直そうとする。
綱元はそんな同僚を横目に、苦笑しながら源四郎と視線を合わせた。
その瞳には、最初のような値踏みする冷徹さではなく、どこか面白がるような好奇心が灯っている。
「………では参りますか、左衛門様、藤五郎様。広場でお手合わせ、願いますぞ」
源四郎は無造作に木刀を拾い上げ、先ほどまでの「殺気」をスッと消した。
その切り替えの速さに、綱元は一瞬だけ背筋が冷えるのを感じた。
(……何者だ、こいつは。藤五郎の蹴りを完璧に見切った……あんな動き、ただの国衆の倅ができるはずがない)
廊下を歩き出す源四郎の背中を見つめ、成実が唇を噛みながら追いかける。
「おい待て真田の! 次こそは分からせてやるからな! その『外道の知恵』とやらも、俺たちの前ではただの戯言だってことをな!」
「へいへい、お手柔らかにお願いしますよ」
広場へと向かう三人の背中。
後にこの三人に小十郎を加え…【伊達四天王】と呼ばれるようになるとはこの時この三人は思いもしなかった…
――米沢城、広場――
広場は、朝霧を切り裂く木刀の風切り音と、鈍い打撃音に支配されていた。
成実の「手加減などしたら、俺も藤次郎も貴様を打ち首にするぞ!」という理不尽極まりない宣言により、これは殺し合いに近い【かかり稽古】へと変貌していた。
「てりゃああああ!」
成実が全身のバネを使い、渾身の突きを繰り出す。
伊達の若獅子たる成実の剣筋は、確かに重く、速い。
しかし、源四郎の目には、その動きはあまりに「教科書的」に映った。
「………遅いですぞ」
源四郎は半歩だけ横へ滑り、成実の突きを無駄な動作なく受け流す。
その直後、源四郎の鍛え抜かれた足が、成実の脇腹へ深々と突き刺さった。
ドスッ!
「がっ……!」
鈍い衝撃音とともに成実の体が吹き飛ぶ。
砂煙が舞う中、成実は土を噛みながらも、血相を変えて立ち上がった。
「………まだやりますか?」
源四郎は、木刀をまるで棒切れのように持ち、涼しい顔で問いかける。
額には一滴の汗もなく、呼吸の乱れも皆無。
その圧倒的な「脱力」と「殺意の不在」が、かえって成実の闘争心に火をつけた。
「おぅよ!!」
成実が咆哮し、再び地面を蹴る。
端から見れば、若き猛将が執拗に新入りを追い込んでいるように見えるが、その内実は、成実が源四郎という壁に自らぶつかり、その正体を探ろうとする必死の試行錯誤であった。
(何だ……この童の動きは。呼吸の合間に隙がない。かと言って、武芸者のような理屈っぽさもない。まるで……最初から相手の首を掻き切る手順だけを叩き込まれたような動きだ)
その様子を、綱元が脇で腕を組みながらじっと観察している。
綱元は成実の危うさを感じつつも、源四郎が伊達家に持ち込んだ「異物」の正体を、この手合わせを通じて解き明かそうとしていた。
「おい藤五郎! 少しは頭を使え! 真っ直ぐ向かっていくから、そんな風に『手玉』にされるんだ!」
綱元の野次が飛ぶ。
しかし、成実はそれに応える余裕もなく、再び源四郎の懐へ突進する。
「黙ってろ左衛門!……おい真田の、次で決めるぞ!」
「よろしいですぞ。なら、今度は俺から行きまする」
源四郎が木刀を構え直す。
その瞳に、ほんのりと先ほどとは違う、戦場の「地獄」の色が混ざり始めた。
「(……! 纏う気が変わった!?)」
綱元が成実の異変に気づき、警告の声を上げようとした瞬間だった。
その一撃は、風よりも速く疾走った。
「………かはっ!」
成実が何かを叫ぼうとして口を開いた瞬間、視界から源四郎の姿が消えた。
気づけば、源四郎の木刀の柄尻が、成実の鳩尾に寸分の狂いなく深々と突き刺さっていた。
「………【体】を捨て、敵の懐に飛び込む。我が流派【タイ捨流】の教え、その基礎でありまする」
源四郎は表情一つ変えず、静かに木刀を引いた。成実がその場に崩れ落ち、荒い呼吸で土を掴む。
「タイ捨流……! 源四郎、おぬしまさか九州に縁があるのか!?」
綱元が愕然として言葉を継ぐ。
肥前で丸目長恵が興した、実戦特化の剣術、【タイ捨流】。
九州との繋がりを疑わせるには十分すぎるほどのヒントだった。
しかし、源四郎は先ほどまでの殺気など嘘のように、ふにゃりと笑みを浮かべた。
「………それは朝飯でも食いながら話しまする♫ さ、藤五郎様を運びましょうぞ?」
源四郎は手際よく成実の肩を担ぎ上げると、まるで何事もなかったかのように歩き出した。
(……この男、本当に食えん)
綱元は、地面に残った成実の荒い足跡と、源四郎の足跡を交互に見比べ、深いため息をついた。
伊達家に舞い降りたこの風来坊は、単なる火薬使いではない。
その底知れぬ実力と出自に、綱元の背筋には冷たい汗が伝っていた。
成実のうめき声と、源四郎の軽やかな足音が、朝の広場に響いている。
米沢城の長い一日が、ようやく始まろうとしていた。
そうして広場を後にする一行。
成実は源四郎の肩に寄りかかりながら、いまだ鳩尾の痛みに顔を歪めつつも、精一杯の強がりで口を開いた。
「……認めてやるよ。真田の……いや、源四郎。お前、只者じゃねえな」
「そりゃどーも。(……あんちゃんも、俺と又七郎に無茶な突っかかり方をされてた時は、こんな気持ちだったんかな)」
源四郎はふと遠い空を見上げ、胸中でごちる。
その脳裏に浮かんだのは、遥か西国・筑前の地。
島津軍の圧倒的な猛攻を、父・主膳正(高橋鎮種/紹運)と共に死に物狂いで押し返しているであろう、あの誇り高き兄貴分………弥七郎の姿だった。
(今頃、親父さんと二人で、島津の鬼共を相手に火花を散らしてるんだろうな。……その島津に【古土法】や【空挺体操】なんて鍛錬法、伝えちまった俺が言えたことじゃねぇけど)
かつて薩摩で又七郎共々自身をしごき、【武の高み】をその背中で見せた兄貴分。
そんな弥七郎の戦いぶりに比べれば、この米沢での出来事など、まだほんの幕開けに過ぎないのだ。
「……おい、何ニヤついてやがる。俺を馬鹿にしてんのか?」
「いやいや、とんでもない。ただ、藤五郎様みたいな熱い人と戦えて、少し懐かしい気分になっただけですよ♫」
源四郎は成実を小突くようにして笑い飛ばした。
その様子を後ろから眺める綱元は、源四郎の纏う「空虚なほどの余裕」に、得体の知れぬ底冷えを感じていた。
この男は、奥州という枠に収まる器ではない。
そう確信させる何かが、今の源四郎の瞳の奥には確かに宿っていた。
こうして後の歴史書に『戦国三大やべー家(大名家)』として伊達、島津、真田は名を連ねるのであった(大嘘)
さて、成実と綱元にも実力を見せた源四郎!
ここから蘆名殲滅へ、物語は加速します!!
次回を刮目して待て!
※作者からのお願い※
幸いなことに今や本作は平均PV(日間)1000を超えるようになりました!これもひとえに読者の皆さんのおかげ…ですが!
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