其之四
――城代頭切腹より数刻――
――向羽黒山城、城門下広場――
夜空が白々と明け始めた頃、向羽黒山城の中腹、郭の内側は異様な熱気に包まれていた。
真田本隊の兵たちが土を掘り起こし、郭の防壁を修復し、仮の小屋掛けに忙しなく動き回っている。
「急げよぉー! 明日には蘆名の本隊が軍議を終えてやってくるぞぉ!」
「一先ず丸太を切り出してこい! 柵の強化が先だ!」
怒号が飛び交う。
だが、兵たちが掘り進めているのは防衛用の壕、古土法を用いるための【種床】用の穴だけではなかった。
同時に進められているのは、首から上を清められた敵兵たちのための『首塚』の造成である。
『首から上は丁重に葬る』。
これは真田の郷の…徳川や北条の間者の亡骸を用いた【種床】でも行われる不文律でもあった。
そうして古土法用の穴が一つ掘られるたびに、四、五の屍と糞尿が投げ込まれ、土が被せられていく。
それは硝石を育てる種床であると同時に、蘆名兵を戦慄させるための生きた地獄の準備でもあった。
その喧騒からわずかに外れた隅で、源四郎は独り、ムシロの上に腰を下ろしていた。
隣では、源十郎が死んだように眠っている。
あれほど正確かつ冷徹に測距をし、敵を蹂躙すべく【眼】となり続けた弟は、今はただの疲れ切った少年の顔をしていた。
源四郎は、硝煙に汚れた弟の寝顔を、静かな眼差しで見つめる。
その瞳には、指揮官としての冷徹さは影を潜め、ただ兄としての慈しみだけが宿っていた。
「……よくやったな、源十郎」
誰にも聞こえないほど小さな声で、源四郎は弟の乱れた髪をそっと払う。
「今は眠れ。地獄の続きは、また明日だ」
戦火の夜が明け、太陽が冷酷に向羽黒山城を照らし始める。
しかし、源四郎はその背中を壁のようにして、眠る弟を仮普請の喧騒から守り抜いていた。
そんな折…
「源四郎様」
低い呼びかけに振り返れば、特務隊の面々が揃っていた。杣師、猟師、農夫、行商人。
戦場には似つかわしくない雑多な風体だが、その眼光の鋭さは、すでに真田の兵として研ぎ澄まされている。
「準備、整ってございます」
弥五郎の報告に、源四郎はすくっと立ち上がった。
全身に溜まっていた戦いの疲労を、意思の力だけでねじ伏せる。
「皆、よくやってくれた。だが、休むのはまだ早い。これより事後の行動を下達する」
源四郎は特務隊を見回し、淡々と、しかし一点の迷いもない声で命じた。
「各々、二人一組で近隣の村々、および黒川城下へ散れ。任務は【流言の拡散】だ」
「「「了解!」」」
「重要なのは情報の錯綜だ。あちらの村では『城代たちは真田に寝返った』と囁け。黒川城下では『真田は盛氏公寄りの旧臣と結託した』と噂を流せ。また別の村では『真田は相討ちで疲弊しきっている』と弱り切った姿を吹聴しろ。場所ごとに意図してバラバラの情報を流せ。敵の脳を混乱させ、蘆名の軍議を疑心暗鬼のどん底へ叩き込む」
「「「了解!」」」
一呼吸置き、源四郎は声を張った。
「そして最後に……俺は米沢へ赴く!伊達家との仕官話をまとめ、軍勢を引き連れて戻る。四日で戻る予定だが、俺が戻ろうと戻らなかろうと、三日目の朝には各地で一斉に触れ回れ!『真田が向羽黒山城を攻めた真の狙いは、山中で見つかった金山だ』とな」
特務隊の面々の顔に、ニヤリとした笑みが浮かぶ。これこそが、敵を【金】という欲に狂わせ、本隊の足並みを崩す最終通告だ。
源四郎が短く敬礼する。
「事後の行動にかかれ」
「了解! 事後の行動にかかります!」
弥五郎の鋭い答礼が響き、手勢に向き直った。
「下達内容に沿い、各自前進せよ! 別れ!」
「「「別れます!」」」
互いに敬礼を交わし、特務隊は早春の陽光の中に溶けるように散らばっていった。
向羽黒山城の周囲、山々全体が、源四郎という指揮官の手によって、一つの巨大な「罠」へと変えられていく。
あとは、蘆名という名の巨人が、その蜘蛛の巣に絡め取られるのを待つだけである。
「源四郎、よいのか?」
背後から怪訝そうな声が響く。
振り返れば、頼綱が眉間に深い皺を刻んで立っていた。
この老練な男には、山中の喧騒も、源四郎が吐き出した命令も、すべて筒抜けだったらしい。
「んあ? 何がだ、じーちゃん」
源四郎はとぼけた顔で首をかしげる。
その態度は、先ほどまでの冷徹な戦術家の顔とは別人のようだ。
「白々しい奴め」
頼綱は鼻で笑うと、背後の木立の方へと視線を投げた。
「割とでかい声で命を下しておったが……おぬし、気づいておらぬわけではあるまい? どこぞの【間者】がそこらで耳を尖らせていたのをな」
源四郎はニヤリと、特大級の悪い笑みを見せる。
木立の奥。
微かな気配が複数、まだいるのがわかる。
伊達の黒脛巾組。
彼らは蘆名の情勢を探るついでに、この地で暴れる真田という新興勢力が【拾いもの】になるか、あるいは【害虫】かを値踏みしに来たのだ。
「気づいてるよ。あの気配は伊達の犬だ」
源四郎は、わざと周囲に聞こえるような明瞭な声で言った。
「……いいか。俺たちの狙いは、この向羽黒の地下に眠る金脈だ。蘆名の連中が腰を据えるまでもなく、俺たちが独占する。そのために必要とあれば、伊達の輝宗公と直接取引してもいい」
木立の奥で、気配がわずかに揺れた。……食った。
「金山、のぉ…ホラ話もここまで来ると清々しいわい」
黒脛巾組に聞かれぬように声を落とし、頼綱が言う。
そう…金山なんてあるわけない。
源四郎はニヤリと笑い、頼綱に視線を向ける。
「じーちゃん、ただ混乱させるだけじゃ面白くねぇだろ? 伊達の犬に、わざわざ『真田は金山を掘り当てた』という特大のホラを拾わせてやるんだ。あいつらにその情報を先んじて持ち帰らせ、伊達輝宗という強大かつ思慮深い主君に、『真田は蘆名を出し抜くほどの金脈を持っている』と誤認させる」
「……おぬし、本気で伊達を騙すつもりか。後で嘘だとバレれば、ただでは済まんぞ?」
頼綱の警告に、源四郎はふっと空気を緩め、いつもの少年のような屈託のない笑みを浮かべた。
「でーじでーじ♪ その為の備えはもう考えてあるって」
「……なんぞ嫌な予感がするが、一応聞いてやる」
頼綱が心底うんざりしたように、そして少し青ざめた顔で溜息をつく。
源四郎の言葉や行動には、往々にして常人の理解を超えた地獄、およびその尻拭いが伴うことを、この老人は息子三十郎、そして源四郎の兄たる源三郎の姿を見て知っているのだ(特に【帳簿付け】の面で)。
源四郎は悪びれる様子もなく、人差し指を立てた。
「昨日の砲迫陣地……源十郎が目を覚ましたらでいいから、大量の火薬で一気に吹き飛ばしてくれ」
「……あ?」
「あそこを『金山を掘り当てた』という証拠の『穴』に見えるように仕立てるのさ。そのままにしておけば後で検分されて嘘がバレる。だからこそ崩落したかのように跡形もなく消し飛ばすんだよ。山火事が出ないよう、綺麗にな」
「……ほら来た!」
頼綱は天を仰ぎ、こめかみを強く押さえた。
砲迫陣地を構築したその場所を、あえて粉々に爆破して証拠を隠滅する。
それは、伊達に「金山の夢」だけを植え付け、肝心の「現物」を確認させないための、完全なる隠滅工作だ。
「じーちゃん、これはな、『金山はあったが、真田がマヌケにも崩落させた』という新たなホラに繋がるのさ。伊達は疑うだろうが、現場が崩れ去っていれば、俺が何を言っても信じざるを得なくなる」
源四郎は屈託なく笑い、源十郎の眠るムシロへ視線を戻す。
「証拠がないからこそ、嘘は真実より強く輝く。そうだろ?」
その笑顔の裏側に潜むのは、山肌を消し炭にしてでも、自分の「ホラ」を真実に変えようとする執念。
頼綱はもう何も言うまいと口をつぐみ、ただただ、この恐るべき又従兄弟の背中を見つめることしかできなかった。
――壱刻後――
湯浴みで血の臭いを洗い流し、石鹸で髪と肌を清めた源四郎は、別人のような涼やかな顔で馬上にあった。
手綱を握るその手はすでに、戦場から政略の場へと意識を切り替えている。
そこへ、ようやく目を覚ました源十郎を伴い、頼綱が歩み寄ってきた。
二人は源四郎が用意した馬を一目見るなり、呆れたように顔を見合わせる。
「源四郎、おぬし。……こりゃ軍馬じゃのうて、そこらの畑仕事に使う駄馬ではないか」
「そうだよ兄様。いくら急ぎとはいえ、これじゃ今日中に米沢に着くなんて無理だよ……ふぁああ」
源十郎は欠伸を噛み殺しながら、やる気なさげに鼻を鳴らした。街道を駆け抜けるにはあまりに鈍重な、小柄で毛並みの荒い農耕馬だ。
だが、源四郎は手綱を軽く揺らし、ニヤリと笑った。
「馬鹿言え。この一頭だけで米沢まで行くわけねぇだろ」
源四郎は懐から、源三郎に無理を言って工面させた軍資金の袋を軽く放り投げてみせた。
ずしりと重いその音に、二人が眉を上げる。
「街道近くの村々で、元気な馬を乗り継ぐんだよ。疲れたら返し、新しい馬を強引にでも借りる。そのための『通行料』はたっぷりある。……軍馬なんて目立つものより、この辺の村でいくらでも調達できるこいつらの方が、よっぽど都合がいいのさ」
源四郎は馬の首筋を叩くと、一気に街道へと駆け出した。
「源十郎、じーちゃん! 四日後だ。俺が戻らぬか、あるいは伊達の軍勢がこの山を囲むか。……地獄の沙汰は、それまで待っててくれよ!」
風を切って去っていく源四郎の背中を見送り、頼綱は苦笑いして首を振るしかなかった。
「……金稼ぎと、馬の乗り継ぎと、死体を使った硝石作りか。あの歳で、一体どこでそんな知恵を学んだのやら」
そうして会津の山々を背に、源四郎はひたすら北を目指した。
村に着くたび、名主の家へと踏み込み、金子を投げつけ、そして木札を突きつける。
「蘆名の使者じゃない。真田の源四郎だ。この馬、乗り換えるぞ。文句があるなら、米沢の伊達へ訴えに来い!」
強引に馬を差し替え、休む間もなく鞭を当てる。
疲労した馬を村に置き去り、次の村ではまた一番足の速い駄馬をひったくる。
その手荒な強行軍により、源四郎の体は土埃と汗で汚れ、目には血走ったような鋭い光が宿っていた。
だが、その狂気じみた走りが実を結ぶ。
空が茜色に染まり、家々の煙が夕闇に溶け始める頃……眼前の視界が大きく開けた。
街道の突き当たり、【伊達者】…その名を表すかのような威容を誇る城郭が見えた。
伊達家の本拠、米沢城だ。
源四郎は馬を止め、荒い息を整えた。
夕日に照らされたその城は、蘆名の山城とは比べ物にならぬほど高く、堅牢に見える。
だが、今の源四郎の目には、それはただの懐に飛び込むべき巨大な獲物にしか映らない。
「……見えた。……米沢の城だ!」
源四郎は、乾燥してひび割れた唇を舐め、新たな玩具を得た子供のような笑みを浮かべた。
金脈という名の虚構と、島津という名の権威。そして、山一つを更地にしたという狂気の手土産を抱え、策士はついに、奥州という巨大な盤面の中心へと駒を進めたのである。
「たっのもー!」
城門へと駆け寄った源四郎は、アポなど存在しないことを逆手に取り、これ以上ないほど爽やかな笑顔を浮かべて門兵の前に立った。
「あ? なんじゃ坊主? ここが伊達の本城と知らんのか?」
「そうじゃ! どこの手の者じゃ?」
不躾な視線に、源四郎はあっけらかんと胸を張る。
「んぁ? 真田だ、【真田】!」
その言葉が響いた瞬間、空気が止まった。次の瞬間…
「「【真田】ぁ……? ぷっ! あっはっは!!」」
腹を抱えて笑い出す門兵たち。彼らにとって真田など、遠い信濃の辺境で燻る雑魚に過ぎない。源四郎は小首を傾げたが、門兵の口から放たれた言葉が、その脳内の導火線に火をつけた。
「さ、真田って……あの武田の遺臣の? 嘘をつくならもっとマシなのを申せ童!」
「そうじゃ! 今や武田の威光は風前の灯! 信濃の田舎国衆が、この伊達になんの用があると……」
彼らが「田舎国衆」と嘲笑を漏らしたその瞬間だった。
ゴスッ!!
乾いた重低音が、門前に響き渡った。
源四郎渾身の膝蹴り、いや…中◯真◯もかくやなボ〇イェが炸裂したのだ!!
源四郎の膝が、笑い転げていた門兵の顔面に容赦なく突き刺さる。
鼻骨が砕ける音と同時に、男が白目を剥いて路上にのたうち回った。
「…………てめぇ……誰がカッペだ、ボケェ!」
源四郎の瞳から、先ほどまでの少年のような笑顔が消え失せていた。
そこにいたのは、戦場ですべてを刈り尽くす獣の顔だ。
「なっ!?やりおったな…曲者じゃあ!者共出やえ!!」
残る門兵が腰の刀に手をかけ、顔を青くして後ずさる。
城門の空気が一瞬にして凍りつき、門内の詰所から屈強な衛兵たちが殺気立って飛び出してくる。
源四郎は、鮮血に染まった膝頭の辺りを拭いもせず、ニヤリと口角を吊り上げた。
「……おう、もっと呼べ。……この俺をカッペ呼ばわりした事、後悔させてやらぁ!」
そしてしばし後…
「「「う、うーん…」」」
「「「な、なんて強き童じゃ…」」」
ものの見事に転がる衛兵たちの上で、源四郎は頬杖をついたまま、不敵に言い放った。
「かぁああああ! 口ほどにもねぇなぁ! 【伊達者】ってのは、もっとこう、背筋の凍るような奴らだと思ってたぜ!」
悪態を吐き捨てたその時、城門の奥から響く足音が、空気を一変させた。
重厚な門扉が開き、現れたのは二つの影。
一人は、凛とした気品と、若さに似合わぬ深淵を湛えた瞳を持つ若武者。
その右目は黒い眼帯で覆われ、しかし隠された方の眼光すら見えるかのような鋭いオーラを纏っている。
もう一人は、その背後に控える、冷徹な理性を宿した歴戦の重臣。
「……こんな有象無象を転ばせたくらいで、【伊達者】を倒したと思うな。そこな童」
眼帯の若者が、冷ややかな視線を源四郎に投げる。
「政宗様、手勢を有象無象などと申されますな」
「事実だろうが小十郎!」
(……間違いねぇ)
源四郎の脳裏に、前世の歴史知識が電撃の如く走る。
眼帯をした若武者、伊達政宗。
そして、その『竜の右眼』と謳われる、冷徹なる智将・片倉小十郎景綱。
源四郎はすっと立ち上がり、血に汚れた手を無造作に拭うと、二人の前でわざとらしく仰々しい礼をしてみせた。
「……伊達当主、輝宗公がご嫡男……政宗様とお見受けします」
「おぅ」
政宗は不遜極まりない態度で、鼻を鳴らすように応じた。源四郎は顔を上げ、平然と続ける。
「それがしは信州信濃は小県が国衆……真田安房守が三男、真田源四郎と申します」
「……」
政宗は無言で小十郎に目配せをし、顎先で源四郎を指し示した。
『やれ』という無言の勅令。
ダッ!
小十郎の身体が、一瞬にして消えた。
洗練された殺気と、大地を砕くような踏み込み。
伊達が誇る知将であり、同時に並ぶ者なき剣豪である男の、初手から殺しにかかる一撃だ。
(……だと思った。けどよ)
源四郎は胸中で冷笑した。
(俺がどんな『やべー奴ら』相手に薩摩でしごかれたと思ってんだよ)
かつて自身をコテンパン、ケチョンケチョンしてくれたあの男達…『あんちゃん』弥七郎、『お師さん』蔵人佐、『門弟筆頭』藤兵衛…薩摩の、九州の猛者達の影が脳裏をよぎる。
あの異次元の速さや化け物じみた体裁きに一閃と比べれば、今の小十郎の踏み込みなど、あくびが出るほどバレバレだった。
シャッ!
まるで身体の一部を動かすかのような、流麗にして暴力的な動作。源四郎の腰から放たれた愛刀【不落】は、鞘走る音さえ鳴らさぬうちに小十郎の首筋に吸い付いていた。
「「なっ……!?」」
政宗の瞳が見開き、小十郎の表情から初めて余裕が消え失せた。
「おせぇよ」
源四郎は鼻先で笑い、刃先を小十郎の頸動脈にわずかに食い込ませる。
「挨拶代わりの御手合わせにしちゃあ、随分と性急じゃありませぬか?小十郎様…でしたか。俺の首を取るには、貴殿の『目』と『腕』、もう少し精進が必要みたいですな…」
静寂が支配する城門前。
後の奥州の覇者と、真田の化生。
二人の視線が交わり、奥州の歴史が大きく音を立てて狂い始めた。
「くっくっく……はっはっは!」
政宗が腹を抱えて笑い出した。その瞳には、恐怖ではなく、かつてないほどの好戦的な輝きが宿っている。
「流石は堕ちたとは言え、武田が遺臣の小倅というわけか……大したものよ! なあ、小十郎!」
「………そうですな、政宗様。この小十郎、ここまで冷や汗をかいたのは藤五郎(成実)様と手合わせした時以来ありませぬ」
小十郎はゆっくりと刀を収め、自らの首筋をなぞった。あの刹那の接触、源四郎の刃には迷いもためらいもなかった。小十郎は眼光を鋭くし、源四郎を見据える。
「源四郎と申したか? そなた、これほどの剣技……到底、小県の国衆の技とは思えぬ。どこで学んだ?」
源四郎はスッと刃を収め、先ほどの傲岸不遜な態度を一変させた。まるで古くからの礼法を心得た侍のように、深く、美しく一礼する。
「……【薩摩】、でございまする小十郎様。俺の剣はかの地にて、修羅の如き鍛錬の中で学んだ【タイ捨流】にございます」
「なっ!?」
小十郎の瞳が、初めて大きく見開かれた。
薩摩という言葉は、奥州に住まう彼らにとって、遠く離れた未知の強国を意味する。だが、それ以上に……。
「お、お前……【薩摩】!? まさか、かの島津家とも繋がりがあると申すか!?」
政宗の表情から笑みが消え、鋭い政治的思惑が浮かぶ。
島津といえば、西国に覇を唱える武門の雄。火薬の調達能力においても、最新の戦術においても、奥州の政宗にとって無視できぬ巨大な影だ。
源四郎は顔を上げ、政宗と小十郎の二人を交互に見つめた。その眼差しには、もはや野盗の如き凶暴さはなく、己が切り札を提示する商人のような冷徹な落ち着きがあった。
「……繋がりがある、というよりは…それがしは島津家久公より、この愛刀【不落】を直々に賜り……なにより、家久公が嫡男、島津又七郎とは【終生の友】であります」
源四郎は平然と言い放ち、腰の【不落】の柄を愛おしげに撫でた。
(……こんくらい、言ってもいいよな? 又七郎)
心の中で、今は遠き薩摩の地で共に汗を流し、松葉サイダーを酌み交わした友へ詫びる。
だが、これも奥州の戦乱を越え、野望を成就させるための必要な【ハッタリ】だ。
(ってもまぁ…アイツも俺のこと、【相棒】と思ってくれてんだろうけどな)
腹の底で一人ごちる源四郎。
「島津の……家久公の嫡男と」
小十郎が呻くように繰り返した。
薩摩の鬼島津が末弟にして稀代の軍略家・家久。
その嫡男と友誼を結ぶということが、どれほどの意味を持つか。
伊達家の重臣である彼には、その価値が痛いほど分かる。
政宗は沈黙を貫いていたが、その隠された右目の奥では、算盤が弾かれているはずだ。
源四郎という若者が、ただの風来坊ではないこと。
そして、この男を手に入れることは、西国の最先端の戦術と、喉から手が出るほど欲しい火薬の供給網を、伊達が握ることに他ならない。
「……面白い」
政宗の口元が、ゆっくりと歪んだ。
野心家特有の、獲物を噛み殺す直前の笑みだ。
「真田源四郎。その言葉がハッタリか、それとも真実か……確かめる術はいくらでもある。だが、お前ほどの【化生】なら、ハッタリすらも真実にするだけの力があろう」
政宗は一歩、源四郎に踏み込む。
その若き覇者の覇気が、源四郎の全身をビリビリと震わせた。
「我が伊達の懐に飛び込んできた獲物は、そう簡単には逃がさん。……源四郎、お前が蘆名をどう食い荒らそうが、金山をどう掘ろうが知ったことではない。だが、お前のその『薩摩のツテ』と『タイ捨流の腕』……この伊達政宗の夢のために、使い潰してやろうぞ」
既に黒脛巾組より金山の件(無論ハッタリ)と向羽黒山城陥落の件は伝わっていたのであろう…政宗が不適にほくそ笑みながら言う。
「……御意」
源四郎は深く頭を下げながら、同じく口元に不敵な笑みを浮かべた。
(喰った。……最高の釣り針に、奥州の竜が掛かりやがった)
米沢城の正門前。
こうして、真田源四郎という「劇薬」は、伊達という「巨大な容器」に注ぎ込まれたのである…
「なればまずは父上へのお目通りよ! 小十郎、コイツを連れ支度させよ!! はっはっは!」
政宗は血に染まった門前の惨状など意に介さぬ様子で、高笑いと共に踵を返した。その背中は、若き覇者の昂揚感に満ち溢れている。
「はっ。……聞こえたな、源四郎。なれば……」
小十郎は腰に手を当て、氷のように冷徹な、しかしどこか獲物を品定めするような眼差しを源四郎に向けた。先ほどの殺気は霧散し、今は「伊達の右眼」としての冷静な事務的態度がそこにある。
「はっ! 恐悦至極にございます、政宗様! 小十郎様!」
源四郎は深く頭を下げた。
頬には血飛沫が一筋、まるで戦の勲章のように付着しているが、その表情は完璧なまでに従順な家臣のそれである。
だが、下げた頭の中で、源四郎は獰猛な笑みを浮かべていた。
(……これで、伊達輝宗という『大山』の首根っこまで手が届いた)
門番を半殺しにし、次期当主を剣技で黙らせ、薩摩の影をちらつかせて信任を得る。
全ては、この瞬間のための布石であった。
――米沢城内、謁見の間――
案内される城内は、外の喧騒とは対照的に整然としていた。
張り詰めた緊張感の中、源四郎は伊達輝宗を待つべく謁見の間へと通される。
伊達の全権を握る当主・輝宗に対し、真田の若き策士はどうやって「存在しない金山」と「伊達を引き込む絵図」を語るのか。
源四郎は、愛刀【不落】を傍らに置き、深々と息を吸い込んだ。ここからが、彼の人生で最も贅沢で、最も危険な「嘘の真実化」が始まる!
そうして小十郎の「平伏せよ」という冷厳な声に従って額を畳につけた源四郎。
やがて、部屋の空気が重厚に震える。
伊達家当主・輝宗が、政宗、小十郎を従えて入室してきた。戦国乱世を生き抜いてきた男特有の、燻し銀のような殺気と、大地を揺らすような覇気。
彼らがドガッと座に腰を下ろすと、間には真空のような静寂が訪れた。
「……面をあげよ」
源四郎がゆっくりと顔を上げると、正面に座る輝宗と目が合った。
次の瞬間、輝宗が腹の底から絞り出した雄叫びが部屋中に響き渡る。
「わしが! 奥州伊達が当主! 伊達左京大夫輝宗であるッッッッ!!」
ビリビリと障子が震え、源四郎の鼓膜が熱くなる。
そのあまりの迫力、そして溢れ出る「俺が主役だ」と言わんばかりの圧倒的自己主張に、源四郎は一瞬、我を忘れて内心でツッコんだ。
(……あんた、江○島〇八かよ!?)
かつて現代日本で読みふけった週刊◯年○ャンプ黄金期を支えた名作漫画の名物キャラを思い出し、思わず吹き出しそうになるのを、源四郎は奥歯を噛み締めて堪えた。
目の前の輝宗は、戦国の世を象徴するような猛者でありながら、どこか豪胆すぎる武人特有の「圧」が過ぎる。
その上(くだんの【塾長】とは違い)輝宗はハゲてないとは言え…風貌、体躯はまんまかの【漢】と同じであったのである。
(……くっ、いかん。ここで笑ったら、ホラ話もろとも首が飛ぶぞ)
源四郎は瞬時に表情を引き締め、薩摩の空気を纏った武士の顔へと切り替えた。
「……伊達左京大夫様。真田安房守が三男、源四郎。謁見の栄に浴し、身震いするほどの光栄にございます」
淡々と、しかし一点の曇りもない堂々たる声。
輝宗は、そんな源四郎をじろりと睨みつける。
その目は、獲物の内臓まで見通そうとする猛禽類のようだ。
「真田の小倅か。政宗から聞いた。……何やら我が伊達をも動かすほどの『面白い話』があるそうだな。その喉元、噛みちぎる覚悟はあるのか?」
源四郎はニカッと、先ほどまでとは違う、商人のような獰猛な笑みを浮かべた。
「噛みちぎる? とんでもございませぬ。俺が持ってきたのは、伊達家が、輝宗公が奥州の頂に立つための『鍵』です。……それも、金と硝石と、血の味がする鍵でござりますれば」
輝宗の眉がピクリと動く。
謁見の間を支配する空気が、さらなる熱を帯びた。
ここに源四郎式【タフな交渉】が始まる!!
…作者はネタ挟まないと死んじゃう病ではありません。
断じてありません!(`・ω・´)
さて、遂に輝宗とのお目通りとなった源四郎!
これからどんな交渉術をみせるのか!?
次回を刮目して待て!
※作者からのお願い※
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