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信濃の修羅〜現代人の俺、存在しないハズの真田の三男坊として転生す〜  作者: ギュネイ山本
第七章【いざゆかん奥州!源四郎、伊達家仕官へ動くの段】

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34/40

其之一

――源十郎を迎えてからしばし後――

――天正10年、年の瀬――

――真田屋敷、昌幸執務室――

冷え切った信濃の夜気の中、昌幸の執務室だけは囲炉裏の火で赤々と照らされていた。

しかし、そこに漂う空気は火の温もりとは裏腹に、氷のように冷たく、張り詰めている。

「うーむ……。所詮は皆、己の家を守ることに汲々としておる。室賀の顔色一つにこの有り様だ」

国衆達を招いた会合が終わり、昌幸が深いため息とともに膝を叩く。

周囲を囲む重臣たち。

矢沢頼綱、その息子三十郎、高梨内記、出浦昌相。

彼らもまた、深刻な面持ちで沈黙を守っていた。

源三郎、源次郎、そして茂誠も、父の背中を見つめながら、今後の真田が直面する苦境の深さを再確認している。

そんな重苦しい執務室の外から、控えめだが確かな意志を持った声が。

「父上、よろしいですか?」

「……源四郎か。……入れ」

源四郎が入室する。

その隣には、真田家に迎えたばかりの新たな弟、源十郎(文七)の姿があった。

源十郎は、居並ぶ真田の重鎮たちに物怖じすることなく、しかし礼節をわきまえた足取りで源四郎に並ぶ。

昌幸は、息子たちの様子をじろりと見据えた。

普段の源四郎なら、こんな夜更けに皆を困らせるようなことはしないし言わない。

しかし今日はいつもとは違う。

何事か、真田の根底を揺るがすような【決断】を孕んだ目をしている。

「……何の用か、源四郎?源十郎も連れて。」

源四郎は一歩前へ出ると、居並ぶ重臣たちを一人ずつ視線で射抜いた。

(残ったのは兄上たちに出浦様、内記のおっちゃん、三十郎、矢沢のじーちゃん…か。この面子なら聞かれて困る事もねぇな。)

執務室に残った面々を再度確認する。

そして、囲炉裏の火を隔てて昌幸と正対する。

「……真田の【生存】に関わる話をさせていただきたく。」

源十郎もまた、源四郎の決意を写し取るように、真っ直ぐに昌幸を見据えていた。

執務室の空気が、ふっと変わる。

昌相が、まるで何かに気づいたかのように細い目をさらに細め、源四郎の指先を注視した。

「……申してみよ」

昌幸の短い言葉に、源四郎はゆっくりと、しかし鮮やかに、狂気と希望の詰まった未来図を広げ始めた。

「来春、雪解けとともに……俺は伊達家へ仕官しとうございます。」

言葉の爆弾が、執務室に落ちた。

「「「「「だ、伊達に仕官!?」」」」」

執務室に響き渡った【伊達】の二文字に、それまで沈黙を守っていた重鎮たちの顔が一気に紅潮する。

声を揃えての驚愕。

先陣を切って詰め寄ったのは、嫡男としての責任感と源四郎への懸念を隠せない源三郎だった。

「どういうつもりだ源四郎! 今以て繋がりのある島津ならばともかく! 伊達だと!? 確かに、かの大名家は今や奥州で一番勢いがあれど…正気の沙汰ではないぞ!」

源三郎の詰問はもっともだ。

真田にとって島津とは源四郎の修行先、更には【石鹸】や【鴨製品】の出荷先としてのよしみがある。

だが、伊達は違う。

未知の勢力であり、何よりその勢いは強大すぎて毒にも薬にもなり得る。

源四郎は、兄の剣幕を前にしても動じない。

それどころか、肩をすくめて淡々と答えた。

「……それ(島津家仕官)も考えたんだけどね、兄上。でも如何せん、薩摩は遠すぎるよ」

源四郎のあまりの冷静さに、源三郎は一瞬、言葉を失う。

「うむ……流石におぬしも、そこまで馬鹿ではなかったか……」

源三郎が安堵のため息をつこうとした、その時。

「……聞かなかったことにしといたげるよ」

源四郎がギロリと細めた目で源三郎を射抜く。

普通嫡男に対しこんな態度をとれば即処断、即打ち首だろうが…ここは真田、日常茶飯である。

源三郎は「ふん。」と鼻で返事をする。

この弟にしてこの兄、とでも言おうか…

場が静寂に包まれる中、昌相がゆっくりと口を開く。

「して源四郎。伊達にすり寄るその心は? 殿(昌幸)ではなく、おぬしがそこまでして奥州を目指す、明確な理由があるはずだ。まさか、若気の至りや単なる武名欲ではあるまい?」

(うーん……豊臣無きあとに狸、家康最大の目の上のたんこぶになるから……なんて言えるわけがないからなぁ)

未来の歴史など、口にすれば「妖術使い」か「狂人」扱いされるのがオチだ。

源四郎は刹那、思考を加速させる。

………理屈じゃない。

信じてもらうには、むしろ理屈を捨てた【確信】が必要だ。

源四郎は表情を消し、静かに、しかし迷いのない声で言い放った。

「……俺の、勘です」

「「「「「…………は?」」」」」

その場にいた全員の思考が、一度停止した。

源三郎は開いた口が塞がらず、三十郎は持っていた筆をポロリと落とす。

昌相でさえ、何を言われたのか理解できずに瞬きを繰り返した。

源四郎、オメー○たけ◯カシか。

あまりにも無責任、あまりに直感的、そしてあまりに食えない回答。

一世一代の、極上のハッタリだった。

「勘、だと……?」

昌幸が、ゆっくりと身を乗り出す。

その瞳には、呆れを通り越して、奇妙な愉悦が宿っていた。

「おぬし、真田の運命を左右するこの大事を、勘で決めると申すか!………あ〜はっはっは! まさか真田の命運を、若造の【勘】に頼ることになるとはな! 存外、それが一番の謀略かもしれん。面白い、伊達への仕官……必ず決めてこい、源四郎!」

昌幸は腹を抱えて笑いながら、まるで面白い見世物でも見つけたかのように源四郎の肩を叩く。

その決断の速さと、面白がる余裕に、昌相もまた深々と溜息をつきつつも、どこか諦めの混じった笑みを浮かべていた。

しかし、その場に漂う【脱力】の空気を一身に背負っていたのは、別の二人であった。

源三郎と、その側近として苦労を共にしてきた三十郎である。

二人は互いに顔を見合わせ、まるで「またとんでもない焙烙玉を抱え込まされた」と言わんばかりに、肩を大きく落とした。

そんな二人の様子を見た源四郎はニンマリと、本当にニンマリと笑い言う。

「差し当たって準備……ひとまず島津から兵糧代りの唐芋と硝石融通してもらうから、二人とも、また帳簿付け頼むよ♫特に硝石は郷の【種床】で出来た分だけじゃ足らなそうだから♫」

サラリと告げられたその内容は、もはや「伊達への手土産」という枠を超えていた。

「「……ほら来たぁ! 兵糧に硝石ぃ!? 何やらかす気だお前 (あんた)!?!?」」

源三郎と三十郎の悲鳴に近いツッコミが重なる。

帳簿付け。

それは真田家において、最も胃が痛くなる作業…

【もう一つの戦】である。

特に【硝石】という単語は近隣の大名に知られれば「戦支度の疑い」をかけられかねない、極めて物騒な火薬の原材料だ。

源三郎は頭を抱え、床にへたり込んだ。

「……源四郎。島津からの唐芋と硝石を、どうやってこの信濃まで運ぶつもりだ? 徳川や北条の目もある。それに、伊達への仕官という名目で、なぜ我が家がそこまで火薬を抱え込む必要がある!」

三十郎も追随する。

「源四郎様、後生です……! 帳簿を合わせる私たちの身にもなってくだされ! 硝石の入手経路なんて、どうやって誤魔化せばいいんですか!?」

源四郎は、二人の狂乱をよそに、涼しい顔で続けた。

「でーじでーじ♫ 島津の御用商団のお頭、瀬戸平左衛門とは知り合い! あの人なら小田原から『島津の荷に難癖つけるとか!おはんら島津ば喧嘩売る気か!!』って凄んで、北条の検問突破してやって来てくれるよ!」

屈託のない笑顔で告げられたその言葉に、源三郎と三十郎は更に揃って崩れ落ちた。

「「それが一番困るのだ(困るんです)!」」

源三郎が青筋を立てて怒鳴る。

「北条と島津は今や遠交近攻の微妙な立場の上に立っているんだぞ! そこへわざわざ『喧嘩を売る』ような真似をして、我が真田の領地で揉め事を起こしてどうする! その瀬戸殿のような豪胆な商人が我が領地に踏み込めば、徳川の密偵が血眼になって嗅ぎ回るに決まっているだろうが!」

「そうです源四郎様! 帳簿をどうする以前の問題です! その商人が通った跡には必ず『騒動』が残るに決まってます!ただでさえ胃が痛いのに、これ以上領民に心労をかけるつもりですか!?」

三十郎の訴えももっともだ。

戦国の世において、商人は情報屋であり、同時に戦火の呼び水でもある。

北条の検問を強硬突破するなど、真田が「北条とも一戦交えたらぁ!」と宣戦布告するに等しい。

しかし、源四郎はどこ吹く風で、ふふんと鼻歌を歌う。

「大丈夫だって。お頭は『島津の唐芋を、信濃の真田で売る』という名目で来るんだ。ただの芋売りが北条の検問を凄んで突破する……この『理不尽な光景』こそが、徳川の密偵を一番混乱させるんだよ」

「……どういうことだ?」

昌幸が、面白そうに髭を撫でながら問いかける。

「『真田は、島津と内通して北条を挑発したのか?』……そう疑わせるんです。疑心暗鬼になった時こそ、徳川も北条も、真田の『内部』を深く探ろうとはしなくなる。……まあ、要は『あいつら狂ってるから、あまり刺激しないほうがいい』という評判を流すのさ」

源四郎の瞳には、かつて自衛隊で学んだ【偽装工作】と【攪乱戦術】の影が揺らめいていた。

「……なるほどな」

昌幸がニヤリと笑う。

「真田を『小賢しい策士』と思わせるより、『何をしでかすか分からん狂人』と思わせておく方が、(はかりごと)をする上では有利に働くということか」

「その通り。じーちゃん(頼綱)、郷の蔵や氷室だけじゃ受け取りきれないかも分からないから芋は沼田でも受け入れてよ?お頭には『最大限、生意気に』振る舞ってとっとと持って来てもらうよう伝えておくからさ!」

「カッカッカ!沼田まで使うとな??流石は源四郎!使えるものは何でも使うその性根、おぬし最近益々兄上(一徳斎、じっちゃまのこと)に似てきたな!がっはっは!!」

松、源三郎、源次郎、源四郎。

その兄弟の中で末子たる源四郎を一番可愛がっている頼綱が楽しげに笑う。

源三郎と三十郎は、もう言葉を失っていた。

真田という家が、かつてないほど【ヤバい組織】へと変貌していくのを、ただ見守るしかない。

だが、ただ見守るだけじゃないのが源三郎。

うなだれつつも三十郎共々源四郎を詰める!

「話を戻すが…だいたい何故ただ仕官話に行くのに【兵糧】だ【硝石】だなどと!」

「全くですよ源四郎様!」

凄む二人に源四郎は言う。

「……はぁ〜。兄上たち、分かってないなぁ。手ぶらで伊達の、米沢の城の門を叩いて、どーすんだよ」

源四郎は、執務室の床に広げられた東国の地図を指でトントンと叩いた。

「蘆名が誇る会津の要塞、【向羽黒山城】。……これを【手土産代わり】に落とすんだよ」

その瞬間。

執務室の空気は、物理的に消滅したかのような静寂に包まれた。

数秒の時が止まる。

囲炉裏のパチパチという音だけが、やけに大きく響く。

昌相ですら、口にしていた茶をそのままこぼしかけ、源次郎は目を見開く。

源三郎の顔から血の気が完全に引き、三十郎は卒倒しかけて隣の茂誠に寄りかかっている。

そして、その静寂を突き破るかのように、全員の絶叫が同時に木霊した。

「「「「「なにぃ〜!?」」」」」

そして真っ先に…

源三郎が怒髪天を衝く勢いで源四郎の胸ぐらに掴みかからんとした!

「遂に気が違ったか、このたわけ! 首尾よく向羽黒山城を落としたとて……蘆名の背後には常陸の鬼・佐竹義重がいる! あの剛勇が出張ってくれば、真田など一飲みにされるぞ!」

怒りとも呆れとも取れる一喝と共に源四郎に手を伸ばす源三郎!!

が、その手は源四郎の放つ底冷えするような【死の圧】の前に止まった。

「……こさせねぇよ」

源四郎は一言、それだけを吐き捨てた。

その瞳は、もはや信濃の山中など見ていない。

奥州の地図の上で、軍勢を操り、駒を配置する「指揮官の目」そのものだった。

その気迫に、嫡男として真田の命運を背負う源三郎でさえ、言葉を飲み込み、思わず後ずさった。

静寂が戻った執務室で、源次郎が冷静にその問いを継いだ。

源次郎は弟の狂気をただ恐れるのではなく、その中にある【勝ち筋】に一人気付いていた。

「……なんぞ策があるのだな?源四郎。蘆名を落としつつ、その後ろの佐竹も封じる……それが【今の】真田で可能なのか? 義重公は単なる武力だけではない、謀も知る男だぞ」

源四郎は、先ほどまでの殺気をふっと収め、ニヤリと悪戯っぽく笑った。

その顔は、またいつもの【手のかかる弟】に戻っている。

「ん〜……しいて言えば【流言】ですね、兄様。特務隊を用いての」

「流言……だと?」

源四郎は、東国の地図の上に傍にあった朱墨で描き殴った。

「佐竹と蘆名は盛氏公亡き今、盛氏公が婿養子盛隆がその基盤を継いでやや歪な同盟関係にある。その同盟は【互いの利害】で繋がっているに過ぎませぬ。そこへ来て盛隆の廃嫡を狙う者共もいるそうです。…そこで俺たちが向羽黒山を落とす直前、特務隊が佐竹の領内にこう流すんですよ……『真田は盛氏公寄りの旧臣と通じており、実は蘆名家中の切り崩しを、そして佐竹の介入の排除を画策している』…とね」

源四郎は、ゾッとするような算盤を弾く。

「佐竹が蘆名を疑い、蘆名は互いを疑い合う。俺たちが城を落とすその混乱の中で、この疑心暗鬼を爆発させる。……佐竹義重も、蘆名という【泥舟】のために、正体不明の【真田の化生】と正面からやり合うほど暇じゃないはずだ」

「……つまり、佐竹を動かさないために、蘆名と佐竹の【信頼】を先に焼き切るというのか」

昌相が、感心したように深く頷く。

「小賢しい……小賢しすぎるぞ、源四郎」

昌幸もまた、髭を撫でながら、その策の残酷さと精緻さに震えていた。

ただの力押しではない。

武力と謀略を同時に行使し、敵の心理の隙間を縫うようなやり方。

そんな【源四郎式流言策】に昌幸は目を細め問う。

「【流言による策】、か。源四郎、それはまさか薩摩で?」

「はい。……我がタイ捨流の師、丸目蔵人様と、島津が知将・歳久公より教わった手法です(……って言っときゃいいだろ。実際は前世で読んだ荒◯弘のアル○◯ーン戦記の○ルサスのやり方と、たまたま読んだ心理学の本の内容を混ぜただけだけどな!)」

内心で舌を出しつつ、もっともらしい名前を並べる。

しかし、その名前を聞いた昌幸たちの顔色は一変した。

「丸目蔵人殿に……島津歳久公、か」

頼綱が深く唸る。

「丸目殿のタイ捨流…九州で名を馳せる剣術流派よな。その名はここ信濃にも響いておる。そして島津歳久公といえば、四兄弟の中でも最も【はかりごと】に長けた知恵袋として知られるお方……。源四郎、おぬし、いつの間にそこまでの知己を得ていたのだ」

昌相も、源四郎を見る目が変わった。

これまでは【変わり者の三男坊】だと思っていたものが、九州の知の巨頭たちと繋がりを持つ【恐るべき策士】へと評価が書き換わったのだ。

源四郎は平然と続ける。

「……お師さんに歳久公から学んだのは、剣の理合いだけではありません。戦とは『勝ってから戦うもの』。……敵の心が折れた瞬間、勝負はついている。それを教えていただいたのです」

源次郎が、その言葉を反芻するように深く頷く。

「勝ってから戦う……。まさに、父上が常日頃から仰っている『智謀』の極みですな」

源三郎はまだ納得がいかない様子で、「本当にそんな簡単に騙せるのか……?」と渋い顔をしていたが、三十郎は既に、島津の御用商人・瀬戸平左衛門とどう交易を交わし、なるべく帳簿を減らすか…頭の中で算段を始めているようだった。

昌幸は立ち上がり、執務室の戸を開け放つ。

そこには、信濃の冷たく澄んだ冬の夜空が広がっていた。

「丸目蔵人、そして歳久公の教えか。……ならば、おぬしの【勘】も、あながち出鱈目とは言えんようだな」

昌幸の背中に、重圧と自信が同居する。

「よし! ならば決まりだ! 瀬戸平左衛門とのやり取り、兵糧の確保、そして向羽黒山城への工作! 全て今日より動く! 源四郎、おぬしの命を懸けた仕官……真田の総力を挙げて支えてやる!」

「ありがとうございまする!!」

源四郎が頭を下げる。

「…やったね、兄ちゃん♫」

事のなりゆきを黙って聞いていた源十郎が耳打ちする。

「あぁ。オメェの【眼】も必要になる、頼んだぞ源十郎?」

「うん!」

末の弟たちの小さな密約。

真田という小さな蟻地獄が、今、奥州という巨大な獣の心臓を止めるための「牙」を研ぎ始めた。

「……で、源四郎。その唐芋とやらは、本当に美味いのか?」

最後に昌幸が聞いたのは、なんとも間の抜けた、しかし親心を感じさせる一言だった。

「……父上、最高ですよ。焼いても煮ても、腹に溜まりますから」

源四郎の笑みに、真田家の凍てつくような緊張が、少しだけ温かく溶けた。

それからあっという間に時は過ぎ…

――天正11年3月、雪解け始め――

――真田の郷――

信濃の残雪がようやく重たい腰を上げ始めた頃。

真田の郷の入り口にて、源四郎と源十郎、そして背後に控える源三郎、三十郎は、じっとその時を待っていた。

やがて、春のうららかな陽気を切り裂くような、不自然な地鳴りが響き始めた。

「………来た!」

源四郎が目を細める。

道行く領民たちが、恐怖と驚きで次々と脇道へ退避していく。

それもそのはず、現れたのはただの商隊ではない。

馬の蹄の音は重く、護衛の荒くれ者たちの眼光は鋭い。

先頭には、薩摩の家紋である『丸に十字』の旗が、まるで戦場に突入するかのような勢いで翻っている。

「どけいッ!! どけい!! 島津家御用商、瀬戸平左衛門の通り道であるぞ!!」

響き渡る怒声。

北条の検問所を物理的に、あるいは言葉の暴力で……強引に突破してきたであろう、その殺気。

「お頭ぁ〜!」

源四郎が、待ちわびた友を見つけたかのように、元気よく大きく両手を振った。

その声に反応し、屈強な男たちの列から、一人の海賊風の男が馬を降りる。

その顔には、小田原の役人たちを震え上がらせてきたであろう、悪魔のような笑みが張り付いていた。

「源四郎様ぁ! お久しゅうございまするぅ!」

瀬戸平左衛門は、源四郎の元へ駆け寄ると、豪快にその背中を叩いた。

「いやはや! 北条の軟弱者ども、薩摩の芋の香りにビビり散らしていましたわ! 『難癖つけるなら、この荷の主(島津)に直接申し開きせよ』と吠えてやったら、真っ青になって道を開けやがりまして! ハッハッハ!!」

後ろで控えていた三十郎が、その横暴な商人の振る舞いに、思わず額を押さえて天を仰ぐ。

(……ああ、やっぱりだ。これが真田の領地に入った瞬間、どれだけ徳川の連中に疑われることか……)

源四郎は平左衛門の肩を叩き、ニヤリと笑う。

「さすがはお頭。で、頼んでいた【土産物】はちゃんと揃えてくれたんだろ?」

「えぇ無論! 薩摩の火酒(焼酎)と、硝石、そして腹にたまる唐芋。これを信濃へ持ち込むのは、ちと骨が折れましたが……源四郎様のためなら、たとえ火の中水の中ってやつです……あ!それからこれを!」

そうして一通の文を手渡す平左衛門。

それを見るや一瞬で誰からの文か察する源四郎。

「…!!!又七郎からか!」

そうして受け取った文は血気盛んな又七郎らしい内容だった…

『源四郎。

おはんも随分と派手にやっとるようじゃの。

こっちは相変わらずじゃ。

薩摩のあちこちで叔父御たちに『死ぬ気で学べ』と尻を叩かれ、毎日毎日お師さんに藤兵衛と剣の稽古と軍法の暗唱ばしちょる。

正直、退屈で腹が立ってくるとじゃ!

いつになればおいも、戦場ば駆け出せるんじゃろの?

そいで聞いたど?

おはん、雪が解けたら伊達ば仕官を狙うて、奥州の蘆名って奴らばを攻めるそうじゃの!

おいは知らんが…『向羽黒山城』ば言う城、天下に名高き要塞みたいじゃの?

そいを落とすとか……正気の沙汰じゃなかの!

だが、おはんならやりかねん…いや、やれるど!

おはんのその『先を見る眼』、おいも一度、隣で見てみたかの。

おはんが北で伊達ば言う大名を出し抜こうとしとる間に、おいもここで島津の猛者どんに揉まれながら、いつか必ずおはん共々天下に名ば轟かしちゃる!!

よかか源四郎?

あんちゃん(戸次統虎)ば首を取るまで、絶対に死ぬな。

それまで、真田ば魂、伊達ん殿様に見せつけてくるとじゃ!

いつかまた戦場で会おうぞ!』

源四郎は呆れ果てて、文をもう一度広げた。

「……脳筋か、アイツは! 自分に手勢も預けて貰う事もままならん時分に、戦のことしか頭にねぇのかよ」

そう毒づきながら、源四郎の視線が特定の箇所で止まる。

「……つーか、字がやけにキレイだと思ったら……あ! あいつ妙ちゃんに清書してもらいやがったな!?」

源四郎は、その端正で整った文字の端々に、又七郎の荒々しい筆致とは対極にある、繊細でどこか達観した妙の面影を見た。

無骨な又七郎が、わざわざ妙の元へ出向き、「すまん妙ぇ!この文ば清書してくれ!!」と頭を下げている姿が、目に浮かぶようだった。

「……ほんと、戦うことしか能がねぇな。文一つ書くのにも、てめぇの女房の手を煩わせるなんて……甘ったれやがって」

毒づくその口元は、抗いがたく緩んでいた。

厳しい修行の日々。

汗まみれになって剣を振った後、妙が汲んでくれた松葉サイダーの甘味や、又七郎と三人で囲炉裏を囲んで語り合った他愛のない夜。

それらすべてが、遠い南国の風の匂いと共に蘇る。

懐かしそうに、まるで又七郎と妙の温もりを確かめるように、書状を指でなぞる。

「……これ、妙ちゃんも又七郎と一緒に書いたんだな。あいつらしく、『怪我すんなよ』っていう無言の圧がここにある気がするなぁ」

源四郎は文を丁寧に畳むと、大切そうに懐の奥、心臓の鼓動が直接伝わる位置にねじ込んだ。

「……ったく。こんなお守りをもらっちまったら、そう簡単に死ねねぇな」

その呟きは、誰にも聞こえないほど小さかったが、源四郎の瞳から迷いは完全に消え去っていた。

「行くぞ、源十郎。又七郎たちに【薩摩の武士もののふに負けない真田の華】を見せつけてやる時だ」

源十郎は兄の顔つきの変化を敏感に察知し、深く頷いた。

「うん。……その妙ちゃんって人にも、又七郎って人にも、あとで自慢してやろう」

源四郎は、又七郎の熱い鼓動をその身に宿したまま、物資を運び入れる商団の先頭に躍り出た。

商団の喧騒に混ざり、気の早い春風が信濃の山々へと吹き抜けていく。

その風の中に、南の国の情熱と、北の国へ向かう覚悟が溶け合っていた。

そうして源四郎は遥か北、奥州の方角を睨みつけた。

(待ってろよ、独眼竜……おっと、今はまだ輝宗公が当主。……となれば、まだ【若様】か)

その口元に、傲岸不遜な笑みが浮かぶ。

真田の三男坊という、家督相続とは無縁の【捨て駒】のような立場。

しかし、その内実たるや、後の薩摩の猛将・島津豊久と並び称される【佐土原が対の化生けしょう】としての異名を持つ男。

「歴史書通りなら、この時期の政宗はまだギラギラと野心を隠し切れていない頃合いだな。……この真田源四郎様が仕官してやる。……感謝してひれ伏せ、俺という【()()()()】を使いこなしてみせろよ、若様♪」

ふてぶてしく、あまりにも不敵なその独り言。

自分が伊達家へ仕官することで、どんな大嵐が巻き起こるか。

いや、嵐を巻き起こすために行くのだという確信が、源四郎の全身から溢れていた。

隣でその様子を窺っていた源十郎が、兄の不穏な笑みを見て、くすりと小さく笑う。

「兄ちゃん、また悪い顔してる」

「そうか? これでも精一杯、礼儀正しい『仕官志願者』の顔をしてるつもりなんだがな。つーか源十郎、お前も武家の倅になったんだ、俺の事は『兄様』とか『兄上』とか…そう呼べ。」

「はいはい…兄様の言う『礼儀』、多分世間とズレてるからね?」

源十郎の的確な突っ込みに、源四郎は「へへっ」と悪戯っぽく笑い飛ばした。

もう戻れない。

真田家という安息の地から、奥州は伊達という名の暴風雨の中へ。

源四郎はふと、懐の中の書状…又七郎の言葉を思い出す。

その重みが、今の自分には何よりの支えだった。

「行くぞ源十郎。ここからは、俺たちがこの戦国乱世の主役だ。……泥臭い戦術と、俺の【勘】で、奥州の大名共のド肝を抜いてやろう」

商団の旗印『丸に十字』が、春風に力強くはためく。

その下で、真田の【化生】は、これから対峙するであろう若き独眼竜との出会いを夢見て、物資の搬入、そして【地獄の帳簿付け】へと赴くのであった。




遂に始まる源四郎の【戦国式就活】!

そして…

あぁ哀れなりその【贄】となる蘆名氏(´・ω・`)

さて、次回は会津へ向けての出陣です!

刮目して待て!

※作者からのお願い※

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