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2歳の息子と異世界転移——賢者と呼ばれた我が子の隠された秘密  作者: 梅丸みかん


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第91話 帝国人?

 それから数日後。

 私はシャーレさんやクスカさん、それに他の白狼族の女性たちと一緒に、小海へ来ていた。


 日に日に陽射しは強さを増し、季節はすっかり夏へ近づいている。

 以前、シャーレさんが話していた“パンの実”を採りに行くと聞き、私も便乗してついて来たのだ。


 ……とはいえ、私は泳げない。

 そう言いながらも、ちゃっかりTシャツの下には水着を身につけている。


 マーラさんたちを中心とした服飾工房の小人たちが作ってくれたものだ。

 ちなみに、この水着、実は私がデザインした。


 ――とはいっても、日本でよく売られていたセパレーツタイプのシンプルなものだけど。

 もちろん、白狼族の女性たちもそれぞれ色違いの水着を身につけ、小海へ潜っている。


 今まで彼女たちは、ゆったりした服ばかり着ていた。

 だから気づかなかったけれど、こうして見ると、みんな驚くほどスタイルがいい。


 背丈も私より高いし、全体的にしなやかで引き締まっている。

 そして何より――女性らしい。


 どこが、と言われれば。

 ……主に胸のあたりが。


 まあ、別にそんなこと、私は気にしていない。

 ……本当に。



 波打ち際で私は、もっぱら彼女たちが採ってきたパンの実を受け取り、シートの上へ並べる役目を担当することになった。


 パンの実は、ゼリーみたいにぷるぷるしていて、手のひらに収まるくらい小さい。

 それを乾燥させ、さらに焼くと、バターロールみたいな味になるのだという。


 未だに不思議な食べ物だけど、あの味は妙に癖になる。

 理玖は相変わらず魔導機工房へ通い詰めで、フェイくんはラザさんたちと狩りの訓練。


 エルフ族も、今日も広場で剣の稽古をしているらしい。

 私は波打ち際に足を浸しながら涼を取り、シャーレさんたちが次々に運んでくるパンの実を受け取っては、シートの上へ丁寧に並べていく。


 今回は、小人族にもエルフ族にも配るため、大量に採る予定なのだそうだ。

 乾燥させれば一年は保存できるらしく、多少採りすぎても問題はないらしい。


 けれど、太陽が真上へ近づくにつれ、暑さはどんどん厳しくなっていった。

 足や手を小海へ浸しているだけでは追いつかない。


 私は結界近くに立つ巨木の陰へ移動し、少し休むことにした。

 日陰には時折風が吹き込み、濡れた腕や足を優しく撫でていく。


 その心地よさに息をついた時だった。

 海の方から、クスカさんがこちらに近づいてくるのが見えた。


 ……何か様子がおかしい。

 よく見ると、彼女は片手を押さえている。

 その隙間から血がぽたり、ぽたりと零れ落ち、白い砂浜を赤く染めていた。


「クスカさん!」

 私は思わず駆け出した。


「イオリ様、すまない。薬をもらえるか? 海蛇に噛まれた」

「海蛇……?」

 その言葉に、一気に血の気が引く。


「大丈夫だ。毒はないから」

 そう言われて少しだけ安心しながらも、私は急いでリュックからアロウ軟膏を取り出し、クスカさんの傷口へ塗った。


 淡い光が傷口へ集まり、噛まれた跡がみるみる塞がっていく。

 まるで最初から何事もなかったかのように。


「相変わらず、イオリ殿の薬は規格外だなぁ」

 クスカさんが苦笑する。


「でも、毒がなくて本当によかった。このアロウ軟膏、毒に効くかどうか分からないから」

「うーん。でも、イオリ殿の薬なら毒にも効きそうな気がするよ」

 クスカさんは心の底から、アロウ軟膏の効き目を信頼しているようだった。


「あら、クスカ。怪我?」

 砂浜に落ちた血の跡と匂いに気づいたのだろう。

 シャーレさんがパンの実をシートの上へ置き、木陰の方へ近づいてきた。


「ああ、海蛇に噛まれた。だが大丈夫だ。イオリ殿の薬のおかげで、もうこの通りだ」

 クスカさんはそう言って、噛まれた方の腕を持ち上げ、誇らしげに見せる。


「さすがイオリさんの薬ね。本当に怪我をしていたなんて思えないわ」

「まったくだ」

 シャーレさんの言葉に、クスカさんが大きく頷いた。


 ……こうして誰かの役に立てることが、私は素直に嬉しかった。

 看護師だった頃もそうだ。


 元気になった患者さんにお礼を言われたり、笑顔を向けられたりすると、「頑張ってよかった」と思えた。

 この世界へ来たばかりの頃は、自分の無力さに落ち込むことも多かった。

 けれど今は、ちゃんとここに自分の居場所があるように思える。


「じゃあ、もう少しだけ採ってくるよ」

「待って、私ももう少しだけ採りに行くわ。……じゃあイオリさん、少しだけ行ってくるわね」

 クスカさんが再び小海へ向かうと、シャーレさんもその後を追っていった。


 燦々と降り注ぐ陽光を受け、小海の水面がきらきらと輝いている。

 さっきよりも、さらに気温が上がっている気がした。

 ……きっと、気のせいではない。



 私は木陰の根元へ腰を下ろし、水筒に入れて持ってきたリュミナのお茶を口にした。

 汗となって失われた水分が、じわりと身体に染み渡っていく。

 火照っていた体が少しずつ落ち着き、奪われていた体力が戻ってくるようだった。


「はぁ、おいしぃ……」

 思わずそう呟いた、その時だった。


 ――結界の向こうから、誰かの視線を感じた。

 私はゆっくり立ち上がり、結界の手前まで歩いていく。


 その先に広がっているのは、ただ木々が生い茂る、いつもの森。

 けれど、じっと見つめていると、不意に景色が陽炎のように揺らいだ。


 歪んだ空間の奥から、人影が少しずつ浮かび上がってくる。

 最初は現れては消えるを繰り返していたその姿は、やがて輪郭を持ち、はっきりと見えるようになった。


「人間……まさか……」

 私は息を呑み、さらに目を凝らす。


 そこに立っていたのは、月光を溶かしたような灰銀色の長い髪を靡かせた女性だった。

 静かな湖面を思わせる薄水色の瞳が、じっとこちらを見つめている。


 深緑の外衣の下には、革でできた鎧のようなものが覗いていた。

 余計な装飾は一切ない。


 腰に吊るされた長剣だけが、唯一の飾りのように見える。

 ただ立っているだけなのに、不思議と目を逸らせなかった。


 すると――。

 外衣の脇腹あたりに、真っ赤な染みが広がっているのが見えた。


 ぽたり……ぽたり。

 そこから赤い液体が地面へ滴り落ちていく。


 ……怪我をしてる?

 それを確かめようと視線を向けていると、女性の身体がふらりと揺れ、そのままゆっくり地面へ倒れていった。


 私は思わず結界へ駆け寄り、透明な壁に手をついた。

 どうしよう。


 もしかしたら、帝国の人間かもしれない。

 でも、よく見ると女性は地面へ突っ伏したまま動かない。


 気を失っているようだった。

 今なら――この隙にアロウ軟膏を塗れば、傷を塞げるかもしれない。


 そして治療したら、すぐ結界の中へ戻ればいい。

 私はそう考え、結界を越えて女性へ近づいた。


 しゃがみ込み、様子をうかがう。

 やはり、気を失っているように見えた。


 今のうちに――そう思って外衣へ手を伸ばした瞬間……

 がしっ。

 突然、手首を掴まれた。


「――え……?」

 気を失っていたんじゃ……。


 そう思った時には、もう遅かった。

 私の意識は、一気に深い闇へ引きずり込まれていった。

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