第81話 エルフ族を村に受け入れる
「どうしよう……理玖が、人間と出会ってしまったのかもしれない」
押し殺していた不安が、とうとう口からこぼれ落ちた。
もし、理玖が友達になったというのが人間だとしたら。
もし、その人間が理玖の力を見たら。
もし、理玖が賢者なのだと知ったら。
最悪の考えばかりが頭の中に次から次へと浮かび上がってくる。
「それはないと思うわよ」
アロアさんが、迷いなく言い切る。
「そうそう。人間があの山脈を越えるなんて、まず無理だもの。あれを越えられる力はないわ」
シャーレさんも、アロアさんの考えを後押ししている。
周囲の女性たちも私を安心させるように頷いた。
本当にそうだろうか?
今までに前例がないだけで、絶対そうだと言い切れるはずがない。
人間はいつだって、不可能を可能にしようと模索し続ける。
あの山脈だって、なんとか越えようと今もなおその方法を探しているのかもしれない。
だから、絶対なんて言えないのだ。
胸の奥に残るざわめきだけが、どうしても心を掻き乱す。
そんな不安をなぞるように、温かな風がふわりと髪を揺らした瞬間だった。
「あっ……」
シャーレさんがはっとしたように声を上げた。
「ラザが、エルフ族に出会ったみたい。きっと、リクくんの言っていた“友達”はその人たちね。安心して。この村に連れて来るそうよ」
「え? ラザさんが……? エルフ族? それ、どうやって……」
「念話よ。私たち、離れていても会話できるのよ」
あまりにも自然に告げられて、私は思わず言葉を失った。
「そ、そうなの……?」
驚きと同時に、小さく感嘆の息を漏らした。
離れていても、すぐに言葉を交わせるなんて。
――でも、エルフ族?
頭に浮かぶのは、物語の中で知っていた姿だった。
尖った耳に、透き通るような美貌。森に生きる神秘的な種族。
実際に会ったことなんてない。
この世界にも、本当にいるんだ――。
理玖が会ったのは人間じゃない。
それだけで、さっきまでの不安が少しだけ薄れた。
「あら、エルフ族! 懐かしいわぁ。でも、どうしてこんな場所まで来たのかしら?」
アロアさんが不思議そうに首を傾げる。
「え? アロアさん、エルフ族に会ったことがあるの?」
「ええ、昔ね。人間たちから逃げていた頃、一時的にアダの国で匿ってもらったのよ」
アロアさんの瞳は過去の記憶を辿るように遠くを見つめた。
「アダの国?」
「エルフ族の小さな国よ。あの山脈の向こう、麓にあるの。……そこからここまで来るなんて、きっと相当な事情があったんでしょうね」
「いったい何が……」
今度は別の不安が、静かに胸の内へ広がっていく。
エルフ族に、何があったのだろう。
そんな思いが浮かんだ直後、不意にシャーレさんの表情が曇った。
「あら……エルフ族のみなさん、ひどい状態ね。ずいぶん傷ついてるわ」
「傷ついているって……?」
シャーレさんの言葉の意味がわからず、思わず聞き返す。どうして、そんなことがわかるのだろう。
「ラザがね、念話と一緒に映像も送ってきたの。頭の中に、そのまま浮かんできたのよ」
――映像まで。
言葉だけではなく映像まで共有できることに、私はもう一度、息をのんだ。
「“ひどい状態”って、どういうことなのかしら」
アロアさんの疑問に私も頷く。
再び嫌な予感に囚われる。
ダメだ。
どうしてこう悪い方へと思考が流れていくんだろう。
どんなに考えたって実際にどうなるかなんてわからないのに……
「とにかく、結界の方へ行ってみましょう」
シャーレさんの言葉に促され、胸に引っかかる不安を宥めながら、私は女性たちと共に結界へ向かった。
理玖と白狼族が連れてくるという、エルフ族を迎えるために。
道すがら、長老がラフさんとロッソさんを伴って歩いているのが目に入る。
「おや、イオリ様たちもエルフ族のみなさんを迎えに行かれるのですかな」
「長老、ラフさん、ロッソさん……理玖たちがエルフ族を連れてくるって、もうご存じなんですね」
「ええ。リク様が風の便りで知らせてくださいましてな」
「そうなんですか……長老にも届いていたんですね」
頷いた長老は、ふっと表情を曇らせた。
「どうやらエルフ族もまた……人間の犠牲者のようですな」
――人間の、犠牲者。
その言葉に、胸をぎゅっと掴まれたような痛みが走る。
「どうやら、国を追われたらしい。詳しい話は、会ってからになるでしょうが、救いを求めてやってきたのならできるだけのことはしたいと思いますよ。エルフ族はかつてわしらを助けてくれましたからな」
さっきのアロアさんと今の長老の言葉から、エルフ族の優しさが伝わってくる。
――だというのに、この世界の人間は、他種族に対してあまりにも残酷だと聞く。
けれど――ふと、元の世界のことを思い出す。
人は、自らの利益のために動物を狩り、住処を奪い、時に絶滅へと追いやってきた。
そう考えれば、人間の本質は変わらないのかもしれない。
それでも――。
すべてが、そうではないはずだ。
日本にも、優しい人はたくさんいた。
この世界にだって、きっと同じように、誰かのためを思える人がいるはずだ。
欲に囚われていない人だっている。
平和を願う人間も、きっと――。
そう信じるように、自分に言い聞かせながら、私は歩みを進めた。
結界の前まで来ると、私はその向こうに広がる森を見つめた。
子どもたちの帰りを待ちながら。
誰ひとり言葉を発さない。
張りつめた空気の中、皆が息をひそめている。
自分たちとは違う種族との邂逅――その緊張が、場を静かに満たしていた。
視線は自然と森の奥へ吸い寄せられる。
葉擦れの音がさわさわと響き、小鳥がさえずりながら枝を渡っていく。
木々の合間から差し込む陽光がきらきらと揺れ、目の前の光景はどこまでも穏やかで、いつもと変わらぬ静けさをたたえていた。
――けれど、その静寂が、不意に揺らぐ。
木々をかき分けるように現れたのは、白髪の逞しい男たちと、小さな二つの影。
一人は理玖、もう一人は白狼族の子ども――フェイだ。
「理玖っ!」
思わず駆け出し、近づいてくる息子へと手を伸ばす。
その背後――木々の隙間から、さらに次々と人影が現れた。
十歳ほどの少女。
そして、中性的な美貌を持つ者たち――その誰もが、人間とは明らかに異なっていた。
光を受けてきらめく、銀緑の髪。
深い森の色を宿した瞳。
すらりと伸びた尖った耳。
まるで物語の中から抜け出してきたかのような、幻想的な存在。
――けれど、その身に纏う衣は、無残なほどに傷んでいた。
それでもなお、美しい。
彼らがエルフ族……
その事実を、目の前の光景として突きつけられ――
私はただ、信じられない思いで、その場に立ち尽くしていた。




