第74話 理玖はラザと密談する
母さんが寝静まったあと、俺は結界の外へ出るようになった。
目的はひとつ――魔力を高めるための訓練だ。
帝国に対抗するには、今のままでは足りない。
音が村に届かないよう、山脈に近い森の奥まで足を伸ばす。
時折、魔獣の気配を感じたが、俺の魔力全開に体にまとわせていたせいか、近づいてくるものはいない。
しばらく行くと、生い茂った木々の影に岩山が見えてくる。
淡い月明かりだけが冷えた岩肌を照らし、不気味さを漂わせる。
ここなら、村まで響かないだろう。
念の為、周囲に防音の結界を張る。
そこで、遠慮なく魔法を解き放った。
魔力を巡らせ、叩きつけ、練り上げる。
幼い体はまだ思うように応えてくれないが、それでも確実に手応えはあった。
――だが。
訓練を始めて数日が過ぎた頃、不意に気配を感じた。
木々の影、その向こう側。
「……誰だ?」
鋭く声を放つと、ゆっくりと一歩、影が姿を現す。
そこにいたのは――巨大な白い狼だった。
紛れもない強者の貫禄。
「お前は……白狼族の長、ラザか」
呟いた瞬間、狼の身体が淡い光に包まれる。
粒子がほどけるように散り、次の瞬間、そこに立っていたのは白髪の男だった。
「君は……イオリ殿の息子……七色の魔力を纏う者。確か……リクといったか」
「七色の魔力……ああ、そうか、魔力の色が見えるのはお前か」
ラザの言葉に合点がいった。
きっと、母さんに癒しの魔力があると気づいたのもこの男が持つその目のせいだろう。
「そのことを知っているということは、見た目通りの子供ではないな」
口元に笑みを浮かべながらも、その目には油断のない光が宿っている。
――ただの挨拶じゃないな。
「……なぜ、ここにいる?」
俺はラザの言葉に答えず、逆に問いかける。
「それはこちらの台詞だ」
ラザは肩をすくめるようにして、軽く笑った。
「君こそ、なぜこんな場所で魔法を放っている? ……君は何者なんだ?」
思わず言葉が詰まる。
何者か――
出会って間もない相手に、それを明かすべきか。
逡巡が、わずかに表情へ滲む。
白狼族は、本来――裏で策を弄するような種族ではない。
何事も正面からぶつかる、ひどく率直で、どこまでも直情的な気質を持っている。
そう、百年前に会ったあの時の白狼族は少なくともそうだった……
――だが……
「……まだ、私を信用しきれていない顔だな」
言い当てられ、思わず息が止まった。
――鋭い。
さすがは一族を率いる者か。
勘の鋭さが尋常じゃない。
ここで、隠すのは得策ではない。
味方に引き入れるにしても、協力を仰ぐにしても。
俺は小さく息を吐き、視線を外す。
そして――覚悟を決めた。
「ラザ――俺の話を聞くか?」
俺は、ラザの近くにあった木の根元に腰掛けると、静かに切り出す。
「だが、聞いた以上は後戻りはできない。……お前たちにも、協力してもらうことになる」
本来なら、小海という切り札を盾にして引き込むつもりだった。
だが――今、この瞬間のほうが好機だと直感した。
「協力、か」
ラザはわずかに目を細め、それから肩の力を抜いた。
「どのみち、そのつもりだったさ。君やイオリ殿にはな」
「……最初から、か?」
「ああ。あの時、我らを受け入れてくれた時点で決めていた。君たちが何者であろうと我らができることがあるのなら力になろうと」
あっさりと言い切られ、思わず言葉を失う。
――そうだったな。
白狼族は、一度懐に入れた相手を切り捨てない。
それはつまり――母さんも、俺も、すでに“内側”にいるということだ。
「……分かった。なら、話す」
小さく息を整える。
「ただし、約束してくれ。この話は母さんには伏せる。俺は――母さんを守りたい。それに、この村の連中もだ」
その言葉に、ラザの表情がわずかに引き締まる。
これから語られるものの重さを、直感したのだろう。
喉を鳴らし、低く応じる。
「承知した。リク殿がこれから語ることは、いかなる内容であれ――私の口からイオリ殿へ漏らすことはないと誓おう」
その声音に、迷いはなかった。
俺は小さく頷き、視線を落とす。
ラザが緩やかな動作で、近くの太い木の根元に腰掛けるのを目で追う。
そして――俺は語り始めた。
前の生で見てきたこと。
帝国の実態。
聖女と呼ばれる存在の裏側。
途切れ途切れになりながらも、ひとつずつ、言葉にしていく。
ラザは時折、理解を確かめるように問いを挟みながら、だが決して口を挟みすぎることなく、静かに耳を傾けていた。
まるで、その一言一句を逃すまいとするかのように。
「……なるほどな。賢者殿は人間でありながら人間たちに迫害されてきたというわけか」
ラザは低く息を吐き、静かに続けた。
「まさか、百年前の賢者殿がリク殿だったとはな。――それならば、我らの祖にとっての恩人でもある」
……恩人。
その言葉に、思わず息が詰まる。
確かに、かつて囚われていた彼らの同胞を、陰から救い出したことはある。
だが、それが百年を経た今なお語り継がれているとは思わなかった。
そうか――だからか。
彼らが母さんだけでなく、俺にまで向けていたあの敬意。
ずっと引っかかっていたものの正体が、ようやく腑に落ちた。
とはいえ――。
俺が“その賢者”だと、彼らは知らなかったはずだ。
そう尋ねると、ラザはあっさりと答えた。
「叡智の魔力を宿す賢者は、我らの間では半ば伝説だ。仲間を見捨てず、種族を越えて手を差し伸べる存在――その在り方に、誰もが敬意を抱いている。だから、あなたも同じ性質を持っているのだと確信していた」
胸の奥に、わずかな痛みが走る。
……違う。
そんな立派なものじゃない。
あれはただ――レイラの願いを叶えるためだった。
そう思えばこそ、その評価はどこか後ろめたい。
悪い気はしない。だが、過度に期待されても困る。
俺は、神でも聖人でもない。
「その伝説の賢者が、こんな子どもだったら……がっかりしたんじゃないか?」
自嘲気味に言うと、ラザは即座に首を振った。
「いや、逆だ。むしろ――親しみを覚えた者が多いだろうな」
「……そうか」
その言葉に、わずかに肩の力が抜けた。
ラザは一歩、距離を詰める。
「それで、我らは何をすべきだ?」
「守りを固めてほしい」
間を置かずに答える。
「帝国が、いつあの山脈を越えてくるかわからない」
その一言に、ラザの目が鋭く見開かれた。
「……人間が、あの山を越えると? 獣化できる我らでさえ、越えるのは困難だったのだぞ」
「ああ。だが――可能性は高い」
視線を逸らさず、続ける。
「俺がかつて開発していた。空を飛ぶ――魔導飛行船、それが完成しているならな」
ラザの眉間に、深い皺が刻まれる。
故郷を追われた記憶が脳裏をよぎったのかもしれない。
短い沈黙のあと――ラザは、静かに言った。
「……リク殿。なんでも言ってくれ。我らにできることなら、すべてやろう」
その声音には、揺るぎない決意が宿っていた。
差し出された手を、俺は迷わず握る。
固く、力強く。
こうして――俺たちは、同じ側に立った。




