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2歳の息子と異世界転移——賢者と呼ばれた我が子の隠された秘密  作者: 梅丸みかん


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第69話 理玖は天井の星に想いを馳せる

 白狼族との対談を終えて家に戻っても、母さんはどこか上の空だった。

 椅子に腰かけたまま、考え込むように視線を落としている。


 ときおり小さく息を吐き、何かを振り払うように顔を上げる――そのたびに、胸の奥がざわついた。

 やがて、ふいに俺の方を見る。

 その目に、柔らかな光が宿る。


「理玖……いつの間にか、大人になってしまったみたいね」

 悲しげに微笑みながら、ぽつりとこぼされた言葉。


 ――どくん、と心臓が跳ねた。

 母さんは、じっと俺を見ている。

 その視線が、奥の奥まで覗き込んでくるようで――息が詰まる。


 ……気づいたのか?

 俺が“ただの子どもじゃない”ことに。


「母さん……俺……」

 言葉が、喉の途中で止まる。


 何を、どう言えばいい。

 俺が先代賢者だったことを――話すべきか?


 それとも、あの結末を……

 前の人生で、母さんが俺より先に死んだことを――伝えるのか?


 そんなことを言えば、きっと母さんは自分を責める。

 この人は、そういう人だ。


 ――言えるはずがない。

 ぎゅっと、唇を噛み締める。

 視界が、滲んだ。


「ああ、理玖、どうしたの?」

 母さんの声が、すぐ近くで響く。


 次の瞬間、柔らかな布が頬に触れた。

 ハンカチで、涙を拭われている。


 ……そうか。

 泣いていたのか、俺は。

 三歳の身体は、思った以上に感情が表に出るらしい。


「……理玖。何か、嫌なことでも思い出した?」

 母さんは戸惑いながら、そっと問いかけてくる。


 その優しさが、余計に胸に刺さる。

 俺は――ただ、首を横に振ることしかできなかった。


 それから、すぐに母さんは何かを振り切ったように、いつもの調子に戻った。

 俺を三歳の子どもとして扱う、あの優しい距離感に。

 もしかしたら、俺が意味もなく涙を流したことに、思うことがあったのかもしれない。

 

 きっと、母さんは俺の変化に薄々感づいている。 

 だけど、知らないふりをしてくれるのなら俺もその優しさに気づかないふりをするしかない。


 夕飯を囲み、他愛もない会話をして、当たり前のように一緒に風呂に入る。

 ……中身が大人の俺としてはどうなんだと思わなくもないが、不思議と居心地は悪くなかった。

 むしろ――それが、救いだったのかもしれない。


 ベッドに入ってしばらく経っても、母さんの視線を感じていた。

 やがて、そっと頭を撫でられる。手のひらの温もりが、髪を通して静かに伝わってきた。


 前世の記憶を辿っても、幼い頃のことなんてほとんど覚えていない。

 けれど――俺が三歳だった頃も、きっと母さんは今みたいに、俺が眠るまでずっと傍にいてくれていたのだろう。


 ……母さん、ごめん。

 今の俺は、もう本当の意味で“三歳の俺”じゃない。


 不安にさせて、ごめん。

 どれだけ謝っても足りない。


 覚醒してからずっと、母さんが俺の変化に戸惑い、不安を抱いていることには気づいていた。

 それでも、どうしようもない。


 この世界で母さんを守るためには、悠長に子どもでいるわけにはいかないんだ。

 そんなことを考えながら、俺は目を閉じたまま眠ったふりを続けた。


 やがて、母さんが俺の隣で布団に横になる気配がした。

 呼吸がゆっくりと落ち着き、静かな寝息へと変わっていく。


 俺は静かな寝息を聞き届けてから、そっと目を開けた。

 寝室の天井には、変わらず星が瞬いている。


 ――あの夜と同じような星が。

 視界いっぱいに広がる偽りの星空が、胸の奥に沈めた記憶を静かに掬い上げる。


 レイラと会った、最後の夜。

 疲れ切った俺のもとへ、いつものように彼女は現れた。


 ほんのひとときだけ許された、短かすぎる時間。

 だからだろう。

 別れの気配を感じた瞬間、抑えきれずに言葉がこぼれた。


『君は、もう行ってしまうんだね』

『リック……また来るわ』


 困ったように微笑むその表情に、胸が締めつけられる。

 余計なことを言った――そう気づいたときには遅く、俺は視線を逸らし、唇を噛んだ。


『ごめん。引き止めたかったわけじゃない。ただ、俺は……』

 言葉は続かない。

 喉の奥で、何かがつかえていた。


『ねぇ、リック』

 彼女がふと顔を上げた。


『少しだけど……ここから、星空が見えるわ』

 半地下の部屋。


 天井近くの細長い窓には、冷たい鉄格子がはめられていた。

 そして、その向こうには、小さく切り取られたような夜空が瞬いている。


『ああ……』

 素っ気ない返事しかできない自分が、ひどく情けなかった。


『私ね、夜空を見上げるたびに思うの。ここからも見えるって――もしかしたら、リックも同じ空を見ているかもしれないって』

 彼女の声はやわらかく、それでいてどこか切実だった。


『そう思うとね、離れていても繋がっている気がして……頑張れるの。だから――』

 一度言葉を切り、レイラはまっすぐに俺を見た。


『もし、私に会いたくなったら、星を見て。きっとそのとき、私も見ているわ。そうしたら……私たち、ずっと一緒にいるみたいに思えない?』


 その瞳に見つめられ、何て言っていいのか分からなくて、ただ、目を逸らすこともできずに見つめ返した。

 せっかく彼女が俺を慰めてくれたのに、何も言えない自分に不甲斐なさを感じた。


『……えっと、またね』

 彼女は頬をほんのり染め、はにかむように笑って――静かに扉の向こうへ消えた。


 残されたのは、手を伸ばしても届かない距離と、胸に残る温もりだけだった。

 それから、俺は星を見るたび彼女を想った。


 この世界から彼女が消えてしまったというのに、なんだか星を見ていると不思議と彼女もどこかで同じように夜空を見上げているような気がして……


 ――ずっと心を占めていたその想いが、いつしかこの天井に星を灯させた。

 

 記憶をなぞるように、瞬く光を見上げながら――

 俺は静かに息を吐く。

 そして、眠る母さんにそっと魔法をかけ、深い眠りへと導くと、音を立てないように家を出た。

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