第67話 白狼族の願い
「ふむ……ここで立ち話というのもなんですな。魔導機工房で、腰を落ち着けて話を聞くのはいかがでしょう」
長老の提案に、思わず目を瞬かせた。
――あれほどまでに白狼族を警戒していたのに。
その変わり身の早さに、戸惑いが胸をよぎる。
「それはいい」
ロッソさんがあっさりと頷いた。
「そうだな。皆も気にしているはずだ。集まれる者がいるなら、まとめて話を聞いた方がいい」
ラフさんも同意する。
……私の知らないところで、何か話が進んでいたのだろうか。
そんな疑念が、ふと浮かぶ。
「大丈夫だよ、母さん。俺もいるし」
理玖が私を見上げて言った。
不安そうな私を安心させようとしているように。
相変わらず、その口調は年齢に似つかわしくないほど落ち着いている。
本来なら、幼い子供の言うことなんてそう当てにならないだろう。
そのはずなのに、なぜか不思議と背中を押される気がした。
「……ええ。みんながそれでいいのなら私もそれでいいわ」
私はゆっくりと頷き、ラザさんへ向き直る。
「ラザさん。村の中まで、ご一緒いただけますか?」
ラザさんは一瞬だけ目を見開き、すぐに深く頭を下げた。
「結界の内へ入ることを許していただくだけでなく、森の内部にまで招いていただけるとは……感謝いたします」
さらに続ける。
「もしよろしければ、私の妹クスカと、その夫であり義弟のユラも同行させていただいてもよろしいでしょうか」
ここまで来れば、もはや拒む理由は見当たらない。
私は長老たちに確かめるように視線を送る。
三人とも、特に異を唱える様子はなかった。
「……ええ、構いません」
そう答えると、ラザさんは再び丁寧に頭を下げた。
こうして私たちは、場所を移し――魔導機工房で、白狼族の話を聞くことになった。
魔導機工房に、一同が集まった。
当然ながら、小人族の椅子は白狼族には小さすぎる。彼らは使い慣れたテーブルを引き寄せ、それを椅子代わりに腰を下ろした。
向かい合う形で、私と理玖、そして長老、ロッソさん、ラフさんが並ぶ。
不思議な光景だった。
小さな工房の中で、異なる種族が同じ卓を囲んでいる。
けれど、漂う空気は決して穏やかではない。
お互いに緊張していることがわかる。
「さて……」
長老が静かに口を開いた。
「白狼族の長、ラザ殿。こうしてあなたの望みどおり、イオリ様との場を設けました。まずは、その理由をお聞かせいただきましょうか」
穏やかな声音。
だが、その奥には慎重さが滲んでいる。
「……はい」
ラザさんは深く頷き、ゆっくりと視線を上げた。
「イオリ殿、長老殿から、ある程度はお聞きかと思いますが……我らは、人間たちによって故郷を追われました」
その言葉に、胸の奥がきゅっと締めつけられる。
ラザさんの表情には、消しきれない憂いが浮かんでいた。
「我らの故郷――アクアウッドは、森と海の狭間に位置する地です」
静かに、だが確かな重みをもって語られる。
「海からの恵みと、生命の力を受けて生きる一族……それが我ら白狼族です。ゆえに、海から離れれば離れるほど、その力は弱まっていきます」
そこで一度、言葉を切る。
「特に顕著なのは、子を産む女性たちです」
その一言に、空気がわずかに重くなる。
「力は徐々に削がれ……私の妻、シャーレも例外ではありませんでした。イオリ殿に助けていただいた息子フェイを産んでほどなく、急速に体調を崩し始めたのです」
思わず息を呑む。
フェイが魔獣に襲われたときのことが、脳裏に浮かんだ。
「……他の女性たちも同じです」
ラザさんの言葉を引き継ぐように、クスカさんが口を開いた。
「一族の女性は私を除いて皆、何らかの不調を抱えています」
静かな声だった。
けれど、その中に滲む現実の重さに、私は言葉を失った。
「……イオリ殿にはフェイを助けていただいた。その上で、さらに願いを重ねるのは心苦しいのですが……どうか、あなた様の癒しの力で、我が妻や他の女性たちを助けていただきたいのです」
ラザさんは、深く頭を下げた。
「癒しの力……ですか。長老からも、私にはそういう力があるとは聞いています。でも……どう使えばいいのか、まだわからないんです。私にできるのは、アロウ軟膏やリュミナのお茶を作ることくらいで……」
「アロウ軟膏……それは、あのときフェイの傷を癒した薬のことですか?」
ラザさんの目に、確かな光が宿る。
「あの薬のおかげで、フェイの傷はみるみる塞がりました」
その言葉に、胸の奥がふっと緩んだ。
私が作ったアロウ軟膏がちゃんと役にたったことに嬉しくなる。
「……フェイくん、無事だったんですね。元気にしていますか?」
「はい。イオリ殿の薬は見事に効きました。失血が多かったため、しばらくは安静にさせておりますが……すぐに回復するでしょう」
「そう……よかった」
心からそう思う。
だとしても――。
「でも……ラザさんの奥様や、他の方たちを癒せるような力なんて……」
言いかけて、ふと気づく。
――もしかして。
「ラザさん」
私はリュックに手を入れ、小さな包みを取り出した。
「これ、効くかどうかはわかりませんけど……元気を取り戻すためのお茶です」
リュミナのお茶を差し出す。
ラザさんは一瞬、目を見開いた。
「……よろしいのですか?」
「もちろんです」
自然と、笑みが浮かぶ。
「奥様が元気になること、祈ってます」
「……ありがとうございます」
ラザさんは大切そうにそれを受け取った。
誰の目にも屈強と映るその男が、今にも崩れ落ちそうなほどに肩を震わせている。
その姿を見ただけで、彼がこれまでどれほどの艱難辛苦を味わってきたか、痛いほどに窺えた。
すると、ラザさんが開きかけた口をすぐに閉じた。
少し、ためらうように。
……まだ何かあるみたい。
「ラザさん、他にも何か?」
私はやわらかく促した。
「遠慮しないでください」
ラザさんは小さく息を吸い、意を決したように口を開く。
「……大変、言いにくいのですが」
視線が、わずかに揺れる。
「あの……潮の香りのする湖に、時折、我らが入ることを許していただけないでしょうか。私の仲間たちを――」
「潮の香りのする湖……?」
「イオリ様、きっと小海のことですぞ」
長老が私の疑問にすぐに答える。
その言葉で、先ほどの話がよみがえった。
白狼族は、海の生命の力を受けて生きる一族。
海から離れたことで、弱っている――。
つまり、あの湖が。
彼らにとって、わずかな“繋がり”なのだ。
けれど……
これは、私一人で決めていいことではない。
そっと、長老へ視線を向ける。
――長老は……
なぜか、理玖を見ていた。
理玖もまた、眉間に皺を寄せ何かを考え込んでいる。
その表情は――とても、子どものものには見えなかった。
長老は何かを知ってる……?
そして、理玖は……
……ううん、余計なことを考えちゃダメだ。
私は浮かび上がる不安をなんとか胸の奥に押し込めた。
「……そうですな」
やがて、長老が口を開く。
「一度、村の者たちとも話し合う必要がありましょう。前向きに検討させていただきますぞ」
その言葉にラザさんはほっとしたように息を吐き、深く頭を下げた。
「ありがとうございます。良き返答をお待ちしております」
こうして――。
白狼族との初めての会談は、ひとまず穏やかな形で幕を閉じたのだった。




