第64話 理玖は復讐を決意する
「……帝国が大陸の覇権を握った今、あいつらは大人しくしているのか?」
喉の奥から絞り出すような声で、ミズチに問う。
闇の奥で、彼はわずかに首を振った。
『いや。あやつらがそこで満足するはずがない。すでに亜人の領域へも手を伸ばし、大陸の外にまで触手を広げようとしておる』
「亜人……? だが、彼らは人間たちよりも魔法に長け、特殊な能力を持つものも多いぞ。そう簡単にはいかないんじゃなか?」
『どうやら、かつて、お主が開発した魔導兵器に色々と手を加えているようだな』
ミズチの言葉に体がびくりと震えた。
「そうか……だから白狼族も……」
短く息を吐く。
胸の奥に燻っていたものが、静かに形を持ち始める。
「なら、迷う理由はないな」
『リクよ……何を考えておる?』
問いかける声に、俺はゆっくりと顔を上げた。
「決まってるだろ」
視線の先には、何もない闇が広がっている。
だが、その向こうにいるものは、はっきりと見えていた。
「奴らを潰す。他の種族にまで手を出そうとしている。それに……レイラを死に追いやった連中を、このまま放っておけるか。」
言葉にした瞬間、胸の奥で何かが定まった。
ミズチはしばし沈黙し、やがて低く告げた。
『……気をつけよ、リク。帝国の裏で糸を引いているのは、人ではない』
「……そうか……やはりな」
小さく息を吐き、目を細める。
脳裏に、あのとき覚えた違和感が、いまになって鮮やかによみがえる。
――帝国を脱したあと、俺は身分を偽り、情報を集めて回った。
その中で、どうしても拭えない感覚があった。
国民たちの思想が、あまりにも整いすぎている。
誰ひとりとして帝国に逆らわない。
不平も、不満も、口にしない。
どれほど生活が追い詰められていようと、皇帝と――その背後にある教団を、疑いもせず讃え続けている。
聖女を擁する「光の教団」。
それは、帝国を内側から支える柱と呼ぶにふさわしい巨大な存在だった。
だが、異様なのはそこではない。
従っているのは平民だけではなかった。
貴族も、そして皇帝でさえも――あの教団の意向に縛られている。
……ずっと引っかかっていた。
あれは、ただの宗教組織ではない。
もっと深く、根を張った――何か別のものだ。
『我は人の世に深く干渉することは許されておらぬ。この均衡が崩れれば、世界そのものが歪む。……ゆえに、お主に力を貸すことはできぬ』
静かな声音。
だが、その一言一言は重く、確かに胸に沈んだ。
踏み込もうとしているのは、ただの戦争ではない。
世界の理そのものに触れる領域だと――そう告げられている気がした。
「構わないさ」
短く言い切る。
「俺は、そのために過去の自分自身を召喚する術を生み出した。――レイラの仇を討つために」
胸の奥に残る熱は、消えない。
「あの頃は、奴隷紋を壊した反動で力が足りなかった。寿命まで削られていたしな。……だが、今は違う」
握った拳に、わずかな手応えがある。
「この体はまだ幼い。万全の魔力を引き出せる段階じゃない。だが――鍛えればいい。あの頃以上の力に、必ず届く」
ミズチが低く唸る。
『ふむ……なるほどな。では、お主の母上殿はどうするつもりだ』
「しばらくは、この村で平和に暮らしてもらう。俺がすべて片をつけるまでな。そのためにまずはこの村の守りを強化する」
言葉にして、改めて覚悟が固まる。
「問題は帝国だ」
視線を遠くへ向ける。
「あの山脈は簡単に越えられるものじゃない。だが――気がかりがある」
わずかに眉を寄せた。
「俺が開発途中だった“魔導飛行船”だ。魔法式は相当複雑だ。簡単に再現できる代物じゃない……が、もし奴らが百年も研究を続けていたとしたら、話は別だ」
静寂が落ちる。
「……何か掴んでるか?」
ミズチはわずかに首を傾げた。
『魔導飛行船、とな?』
「空を飛ぶ乗り物だ」
『なるほど……少なくとも、我の知る限りでは、そのようなものの情報はない』
「……そうか」
胸の奥に溜まっていた息を、ゆっくりと吐き出す。
だが――安心はできない。
ミズチはすぐに言葉を継いだ。
『ただし、帝国には地下に大規模な工房があるらしい。そこで何かを極秘裏に開発しておるようだ』
視線が鋭くなる。
『お主の言う“空を飛ぶ乗り物”が含まれておらぬ、と断言はできぬな』
「……なるほど」
静かに頷く。
「なら、それも織り込んで動く必要があるな」
『リクよ。ともあれ、無理はするな。人へは手出しできぬが、それ以外であれば力になろう』
「……ミズチ、恩に着る」
『なに。かつてお主が、我の守護する民を救ってくれた礼だ。気にするでない』
それだけを残し、ミズチの気配はすっと沈んでいく。
水面はわずかに揺れ、やがて何事もなかったかのように静まり返った。
――カサリ。
背後で草を踏む音がした。
振り返る。
「……ソール」
そこに立っていたのは、小人族の長老ソールだった。何かを測るような目で、じっとこちらを見ている。
「やはり、気づいていたのか」
「当然でございますよ」
ソールは穏やかに目を細めた。
「魔力の波は、一人として同じものはありません。リク様は最初から……先代賢者様と同じ“波”をお持ちでしたからな」
「……そうか」
小さく息を吐く。
「それで? 言いたいことがあるんじゃないのか」
「言いたいこと、ですか」
ソールはわずかに首を傾げ、わざとらしく考え込む素振りを見せた。
「リク様が再びこの村を訪れ、結界を強化してくださったこと――その感謝以外に、何かございますかな」
とぼけている。
だが、その奥にあるものは隠しきれていない。
「俺はお前たちを利用した」
はっきりと言い切る。
「この村に戻ってきたのも、レイラの仇を討つためだ。……お前なら気づいていただろう?」
ソールは一瞬だけ目を伏せ、やがて静かに頷いた。
「ええ。ですが、それでも、でございます」
顔を上げる。
「わしらがあなた様に救われた事実は、変わりません。前も――そして今も」
その言葉に、返す言葉が見つからなかった。
「……だから、母さんと俺を受け入れたのか?」
「もちろんにございます」
迷いのない声だった。
「さて、リク様。これから、いかがなさいますかな」
「まずは――白狼族だな」
視線を森の奥へ向ける。
「この村や母さんに手を出すとは思えないが、話はしておくべきだ。今後のことも含めてな」
少しだけ、苦笑が漏れる。
「それに……もし彼らが困っていたら、母さんは放っておけないだろうしな」
「イオリ様らしいことでございます」
「だから俺は、その隣で守るだけだ。何があっても、万が一なんて起こさせない」
ソールは深く頷いた。
「ならば、わしらもできる限り力を尽くしましょう。リク様のため、イオリ様のため――そして、わしら小人族のためにも」
「ああ、頼む」
短く答え、浮遊魔法を発動させる。
足元に風が集まると、夜の気配を裂くように俺は空へと舞い上がった。
向かう先はひとつ。
――母さんが眠る、あの家へ。




