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2歳の息子と異世界転移——賢者と呼ばれた我が子の隠された秘密  作者: 梅丸みかん


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第62話 理玖はミズチから情報を得る

 母さんが寝息を立てはじめたのを確認してから、俺はベッドの中で静かに思考を巡らせていた。

 ――白狼族。


 あいつらに、いったい何が起きたのか。

 俺がこの世界を離れていた、この百年のあいだに。


 ……情報が足りない。

 断片的な記憶だけじゃ、何も見えてこない。


 いや、違うな。足りないっていうか――繋がらない。

 断片ばっかりで、形にならない。


 そう結論づけたとき、不意に視界の端に何かが引っかかった。

 ベッド脇のサイドテーブル。


 その上に、ぽつんと置かれたホラ貝。

 ――これは……。


 手を伸ばしかけて、記憶がゆっくりと繋がる。

 ああ、そうだ。ミズチだ。


 記憶を取り戻す前――母と小海に行った時、あいつと再会したんだった。

 その時のことを思い浮かべた。

 ミズチは……あのとき、俺に気づいていたのかもしれない。



 水を統べる精霊王。

 昔も、精霊たちの噂や動きを、何度も俺に教えてくれた。

 ……あいつに聞けば、何か掴めるはずだ。


 その時、寝室の天井の星が、俺の考えを後押しするようにきらりと光ったような気がした。

 そっと、ベッドから滑り降りる。


 足を踏み出そうとして、ふと振り向いて母さんの寝顔を確かめる。

 ……よし。

 念のため、魔法をかけておく。


 眠りを少しだけ深くするやつだ。

 前の人生で作った、まともに眠れなかった頃の、名残みたいなものだ。


 帝国に囚われていたあの頃、俺は……いや。

 そこまで思いかけて、やめた。


 断片的に戻った記憶の中でも、あの時間だけはやけに生々しい。

 胸の奥に、引っかき傷のように残っている。


 ……今はいい。

 小さく息を吐いて、視線をホラ貝へと戻した。



 階段を降り、ソファの横を通り過ぎた時、机の上の赤表紙の本が目に入った。

 俺の日記——今なら、読める。


 机の方へ一歩近づく。

 だが、日記に触れようとした瞬間、手を止めた。


 知りたい。

 ……いや、やっぱりいい。

 気づけば、歯に力が入っていた。


「後でいいか……」

 静まり返った部屋の中に、その呟きだけがやけに大きく響いた。

 ——そうだな、まずは日記よりも俺がいなかったこの世界のことだ。


 そう言い聞かせて、歩き出す。

 ……途中で一度、振り返りかけて、やめた。


 そのまま玄関の扉を開けると、空気が変わる。

 湿った土の匂いと若葉の香り。


 見上げると満天の星。

 足を一歩踏み出すと、柔らかな土が俺の体重を受けてわずかに沈む。

 冷たさの残る空気が肌を掠め、ぶるりと身体が震える。


 寒いな。

 上着を持ってこようかと思ったが、魔法で自分の周りの空気を温めることにした。


 どうせこれから、さらに上空へ浮上する。

 今以上に冷える。ならば、保温魔法を使った方がいい。

 

「――フローター」

 呟くと同時に、身体がふわりと宙へ浮かび上がる。


 俺がかつて作り上げた浮遊魔法だ。

 感覚は、まだ身体が覚えていた。


 ゆっくりと高度を上げながら、忘れていた記憶が少しずつ蘇ってくる。

 最初の頃は、まともに制御することすらできなかった。


 行きたい方向へ進めず、木にぶつかりそうになったこともある。

 バランスを崩し、そのまま地面へ落ちかけたこともあった。


 ……ああ、そうだ。

 あれは、小人族たちと共に、この森に村を作り始めた頃だった。


 途切れていた記憶の断片が、ゆっくりと繋がっていく。

 気づけば、俺は村の周りに広がる森を見渡せるほど高くまで上昇していた。


 眼下に広がる緑の森を眺めながら、俺は小海を目指して静かに上空を進み始めた。

 ほどなくして、森の奥にぽっかりと口を開けたような黒い空間が見えてきた。


 ――小海だ。

 月光を映した水面は、風が吹くたびに細かく揺れ、砕けた光が波紋のように湖面へ広がっていく。

 俺はゆっくりと高度を下げ、白い砂浜へ降り立った。


「ここは、あの頃のままだな……」

 小さく漏れた呟きは、静かな湖畔に溶けるように消えていく。


 手にしていたホラ貝を口元へ運び、深く息を吸い込む。

 そして、力いっぱい吹き鳴らした。


 ――音が鳴らない。

 わずかに眉をひそめる。


 だが、これはミズチが俺——正確には母さんに寄こしたものだ。

 もしかすると、あいつにだけ聞こえる合図なのかもしれない。


 しばらくすると、水面にぽつりと雨粒のような波紋が広がった。

 静かだった湖が、ゆっくりとざわめき始める。


 波打ち際の水が中央へ向かって引いていき、次第に大きな流れとなって渦を巻くように小海の中心へ集まっていく。


 ザバァンッ――!

 轟音とともに黒い水面が裂けた。


 現れたのは、月明かりを浴びて聳え立つ巨大な龍の姿。

 太陽の下では虹色に光る鱗は、月下では銀色に輝いている。

 ――ミズチ……


 透き通るような薄青の瞳が、まっすぐ俺を捉える。

「ミズチ、久しぶりだな」

『久しぶり? はて……ついこの前、お主と会ったばかりではないか』

 低く響く声に、俺は苦笑を浮かべた。


「まあ、そうなんだが……あの時は、俺であって俺じゃなかったというか……」

 うまく説明できず、言葉を濁す。

 するとミズチは、どこか納得したように細い瞳をさらに細めた。


『覚醒した……ということか。やはり、お主はリックで間違いないようだな』

「ああ。やっぱり最初から気づいてたんだな?」


『当然であろう。魔力の性質は魂に宿る。我が見誤るはずがない』

 ミズチはどこか誇らしげに鼻を鳴らした。

「ひとついいか? 俺の本当の名前はリクだ。母さんも小人族もそう呼んでいる」

『なるほど。では、我も今後はリクと呼ぶことにしよう。それにしても、そのホラ貝はお主の母上殿に渡したものだ。リクなら、水面に触れるだけで我を呼べるだろうに。なぜわざわざ使った?』


「ちょっと試してみたかっただけだ。ただの興味だよ」

 肩をすくめながら答える。


「それより、あの時は助かった。知らないふりをしてくれて。母さんもいたからな」

『ふむ……今回は母上殿も連れて来ていた、というわけか』


「不可抗力だ。別に連れて来るつもりだったわけじゃない」

『そうか……』

 ミズチは静かに頷き、巨大な尾を水面でゆるく揺らした。


『まあ、せいぜいジェロール帝国に勘づかれぬことだ。母上殿は癒しの魔力を持っているようだからな』

「ああ、そのことなんだ」

 俺は表情を引き締める。


「ミズチ。俺がこの世界からいなくなっていた百年の間に何があったのか教えてほしい」

 そう告げると、ミズチは静かに目を細め、俺をじっと見つめ返してきたのだった。



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