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2歳の息子と異世界転移——賢者と呼ばれた我が子の隠された秘密  作者: 梅丸みかん


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第59話 理玖は危惧する

「理玖、これ飲んでみて。きっと、もっと元気になるわよ」


 朝食の後、母さんがそう言った。


「これは……?」

「リュミナの花で作ったお茶よ。ほら、この前、畑のまわりで一緒に摘んだでしょう? 黄色い小さな花」



 その記憶がうっすらと蘇ってきた。


 俺が前回の生を思い出す前……

 ただ、母さんに甘え、無邪気な子供だった。


 ついこの間のことなのに——ひどく懐かしい……


「うん!」

 俺は、瞳が潤んでくるのを誤魔化すように元気よく頷いた。



 それにしても、この香り……どこかで嗅いだことがあるような……

 ああ、そうだ。


 前回、この世界に召喚される前に飲んだお茶に似ているんだ。

 母さんがよく好きで飲んでいたジャスミンティーに。


 俺は一口目をゆっくりと口に含んだ。


 きっと母さんは俺が火傷をしないようにちょうどいい温度にしてくれたのだろう。


 爽やかな香りが喉を通り過ぎ、体の奥へと静かに染み込んでいく。

 次の瞬間――


 すっと、頭の痛みが引いた。

 重たかった体も、嘘のように軽くなる。


 ……早すぎる。

 違和感が、遅れて追いついた。


 まるで最初から何もなかったかのように、痛みが消えている。

 それだけじゃない。


 体の内側を、何かが巡っている。

 温かいはずなのに、どこか冷たい。


 静かに満ちていく力に、わずかなざわつきが混じる。

 これは――ただの回復じゃない。


 ああ……そうか。

 このお茶には、魔力が溶け込んでいる。

 それも――癒しの魔力。



「このお茶……」

 思わず、声をこぼした。

 

「これ、母さんが作ったの?」

 このお茶を作ったのが母さんなら、母さんには癒しの魔力がある。

 


「そうよ。元気になるお茶なの」

「元気になる、お茶……」

 そういえば、記憶が戻る前、母さんはアロウ軟膏も作っていた。


 それは俺の傷を瞬時に直すほどの効果があった。

 間違いない。


 母さんには癒しの魔力があるんだ。

 彼女と同じように。


 ――彼女?

 ふいに、その言葉が胸の奥に引っかかった。


 誰だ……?

 思考を巡らせた瞬間、意識の奥で何かがかすかに軋む。


 やわらかな声。

 何かを呼ぶ響き。


 指先に触れた、ぬくもり――

 断片が、浮かぶ。


 けれど、顔が見えない。

 名前が届かない。

 あと少しで――思い出せるはずなのに。

 その境界に触れた瞬間、


「う――っ!」

 ずきり、と。


 今までとは比べものにならない鋭い痛みが、頭の奥を貫いた。

 同時に、浮かびかけた像が――弾かれる。

 まるで、そこから先へ進むことを拒まれているかのように。


「理玖っ! どうしたの? 具合が悪いの?」

 母さんの声が俺を思考の渦から引き戻す。


「……大丈夫。なんでもないよ」

 首を横に振り、なんとか頬を緩めてそう言う。


「そう、よかった」

 母さんはほっとしたように息をついた。 


 ……なんだ、今のは。

 荒くなりかけた呼吸を、無理やり押さえ込み、もう一度ゆっくりとお茶を口に含む。


 頭痛はすぐに引いた。

 だが、代わりに残ったのは――奇妙な確信だった。


 あれは、ただ思い出せないんじゃない。

 きっと……思い出したくないんだ。


 胸の奥深くに、重く沈む感覚。

 そして、もうひとつ。


 理由もなく、はっきりと理解していることがある。

 ――癒しの力は、知られてはいけない。


 小人たちに、ではない。

 人間にだ。



 覚醒し、全てではないものの賢者だった頃の魔力が戻りつつある。

 まだ、十分じゃないのは、この体が成長しきれていないからだろう。


 母さんを守るくらいならできると思ったのに。


 ざわざわする、俺の中で警告音がずっと鳴り響いているようだ。


 お茶を飲み終わって少しすると、母さんが出かける準備をしていることに気がついた。

 リュックの中に母さんが作ったリュミナの花を詰め込んでいる。

 小人たちに配るのかもしれない。


「んー、それよりも工房の中央にあった集配所に置いてもらった方がいいのかしら?」

 何やら呟きながら、準備を整える母さんに俺も何か手伝えることがないかと声をかける。


「母さん、外に行くの? 俺がリュックを持つよ」


「大丈夫よ。リュックは大きいから小さな理玖にはちょっと難しいかな」

 母さんの言葉で気がついた。



 

「小さな……そうだ、俺は……」

 三歳の体だった。


 母さんの言う通り、大きなリュックを背負うには無理がある。


「じゃあ、理玖はこれを持ってくれる?」

 母さんは、俺ががっかりしたのを見てとったのか、そう言ってリュックから巾着袋を取り出した。


「ほら、こうすれば落とさないでしょ」

 俺の腕に巾着袋を結んでくれた母さんが優しく微笑んだ。

 こんなのあまり意味がないじゃないか。


 分かっている。これは気遣いだ。

 それでも——歯痒い。

 けれど――俺は口を開いた。


「……うん、わかった。もっと大きくなったら、俺が持ってあげるからね」

 言葉とは裏腹に、胸の奥だけが焦りでざわついていた。 

 巾着の重さが、やけに軽い。


 こんなものでは――何も守れない。

 喉の奥が、わずかに詰まった。


 そんな思いを胸に押し込めて言った言葉に、

「……そうね」

 と母さんは小さな声で呟くように答えた。


 何か考え込んでいるようにも見える。

 ……気づかれたか?


 いや、そんなはずはない。


 俺は小さく息を整え、先に玄関へ向かった。

「母さん、早く行こう」

 扉の前に立つと、高めの声で母さんを促す。


「ええ、行きましょう」

 その声には憂いが含まれている気がしたけど、気がつかないふりをする。

 外に出ると、俺の心と裏腹に明るい日差しが目に飛び込んで、少しだけ冷たい風が春の匂いを運んできた。


 俺は、わざとらしいほど大きく笑って、先へ進むと、振り返ってもう一度母さんに言った。

 

「母さん、早く」 

 すると、あの木に抱かれた家の前で、母さんが俺に優しい眼差しを向けていた。


 俺が、この村で賢者と呼ばれた頃、小人たちに手伝ってもらってこだわって造った家だ。

 懐かしさと、なぜか胸にわずかな痛みが走ったが、それよりもそこに母さんがいることに胸の奥の張りつめたものが、ふっと緩む。


 気づけば、口元がほどけていた。

「理玖、坂道は走っちゃダメよ。ゆっくりね」


 小さな子供に気遣うような柔らかな笑顔と共に母さんが言った。

 その顔はいつものように三歳の俺に対する顔と何も変わらない。


 だから、俺も気負うことなく母さんに答える。

「うん、わかってる」

 俺は一歩先を歩く。


 頬を撫でる風はやわらかく、どこまでも穏やかだった。

 まるで、この世界に危険なんて存在しないかのように。


 ――だけど、胸の奥では、あのざわめきが消えていない。


 これはきっと、気のせいじゃない。


 何かが、近づいている。


 だから――


 俺は、もう一度だけ強く拳を握った。

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