第58話 白狼族からの伝言
工房の中央にあるテーブルを囲むように、席が用意されていた。
向かいには長老。
その両隣にロッソさんとラフさん。
そして私の両隣にはマーラさんとアロアさんが座る。
私は理玖を膝に抱いたまま、椅子に腰かけた。
その周りを取り囲むように、ほかの小人たちが後方に座り、静かにこちらの様子を見守っている。
「さて……よろしいですかな」
長老が一同を見渡し、ゆっくりと口を開いた。
その途端、周りのざわめきが消え、みんなが長老の方に目を向ける。
「早速ですが、白狼族の長——ええと、ラザという名でしたかな——が、ここ数日、その子供と共に小海の結界の前に現れておる、という報告を受けましてな」
その言葉に思わず息を呑む。
子供、というのはきっとあのとき、魔獣に傷つけられた子なのだろう。
共に現れているというのなら、回復したということだろうか。
「様子を見に行ったところ、イオリ様に会って礼を伝えたい、との申し出を受けたのです」
長老の言葉に、小人たちからざわりと不安の気配が漂った。
その様子に長老はゆっくりと顔をめぐらせ、視線で彼らを制した。
その瞬間、再び場が静寂に包まれる。
「……長老が、ラザさんと話をされたんですか?」
みんなが注目する中、私は長老に疑問を投げかけた。
これまで彼らは、白狼族を恐れて近づこうともしなかったはずだ。
なぜ急に……?
ああ、あのとき、私とラザさんが対面していたのをラフさんが見ていたのか……
「ええ」
長老は静かにうなずいた。
「ラフから話を聞きましてな。ラザはイオリ様にもリク様にも危害を加えず、そのまま去っていったと。ならば……わしらも、ただ恐れて、距離を置き続けるのは——違う気がしましてな」
一度息をつき、続ける。
「イオリ様からいただいた薬——アロウ軟膏が、彼の息子の傷をみるみる癒したそうで。大変感謝しておりました。それに、リク様が防御魔法でその子を救ってくださったことも、深く礼を述べておりましたぞ」
「……よかった」
胸の奥から言葉がこぼれる。
あのとき、魔獣に襲われ、血に染まっていた小さな白狼族の少年。
その姿が脳裏によみがえり、ようやく安堵の息が漏れた。
「それと、もうひとつ」
長老は言葉を継ぐ。
「やはり白狼族は、人間に故郷を追われたようですな」
——追われた……?
そんな……あんな小さな子がいるのに。
胸が詰まる。
重い空気が流れ、理玖の体が一瞬、強張った気がした。
でも、表情が見えない。
あのとき——私が魔獣に襲われそうになった時のことを思い出したのかもしれない。
私は理玖を落ち着かせるため、その手を優しく握った。
「多くを失い、残った者も次第に体が弱っていっていると聞きましてな」
胸の奥が、きゅっと締めつけられた。
彼らはきっと助けを求めているのだ。
「礼を伝えたいというのは本来の目的でしょうが……それに加えて、イオリ様にご相談したいことがあるようなのですよ」
その言葉に首をかしげる。
——私に、相談?
それは、私にどうにかできる話なのだろうか。
「私に……ですか?」
戸惑いを隠せないまま問い返すと、長老はゆっくりとうなずいた。
「ええ。おそらく、イオリ様が癒しの魔力をお持ちだと気づいたのでしょうな。きっと仲間を癒して欲しいのでしょう」
「癒しの魔力……?」
長老の言葉を繰り返す。
「でも、私にそんな力は……」
否定しかけて、言葉が詰まる。
「いいえ、イオリ様」
長老は静かに遮った。
「あなた様は、アロウ軟膏やローションを作り、村の者たちの傷や肌荒れを癒してくださったではありませんか」
「えっと……それは……そうですけど。でも、あれはただ、良くなればいいなって願いながら作っただけで……直接、魔法で癒したわけではないですよね?」
自分でも頼りないと思う説明だった。
それでも長老は、穏やかに首を横に振る。
「それでも、です。これほどの効果を持つものを生み出した者は、これまでおりませんでした」
その言葉に、胸の奥がざわつく。
——そんなふうに言われても。
私はまだ、自分の魔法の扱い方すら分かっていない。
もしラザに、弱った仲間を癒してほしいと頼まれたとしても——
……私に何ができるのだろうか?
自分にできることが思い浮かばず、ただ静かに考え込むしかなかった。
そのとき、理玖が私の手をぎゅっと握り返した。
微かにピリピリとした何かが伝わり、理玖の方に顔を向ける。
——あ。
そのとき、ふと思い出す。
昨日作ったばかりの薬草茶——リュミナの花のお茶のことを。
自分で飲んだとき、体がふっと軽くなり、疲れが抜けていく感覚があった。
弱っている人に効くかどうかは分からない。
けれど、少なくとも何もしないよりは、きっと——。
そういえば、小人たちにも配ろうとリュックに入れて持ってきていたはずだ。
ここで試してみようか……?
そう考えたところで、長老が静かに声をかけてきた。
「イオリ様……無理にとは申しません。ただ、ラザの様子があまりにも憔悴しておりましてな」
どうやら、私が悩んでいるように見えたらしい。
「えっと……一度、ラザさんと話してみます。小海の結界のところに行けばいいんですよね?」
「ええ。風の便りで知らせましょう。彼の魔力は把握しておりますゆえ、問題なく届くはずですよ」
——やはり、あの魔法は個人の魔力を辿って届けるものらしい。
「お願いします。それと……リュミナの花で薬草茶を作ったんです。よければ、飲んでみていただけませんか? 一応、私が試していますから体に問題はありません。むしろ、元気になると思います」
「ほう……元気に、ですか。それは興味深い」
長老はわずかに目を見開いた。
「ただ……ここにいる皆さん全員に行き渡るかどうかが……」
工房には、村中の小人たちが集まっている。
もともとはマーラさんやアロアさんに試してもらうつもりだったから、そこまでの量は用意していない。
すると——
「それなら、ここでお茶を淹れて、みんなに少しずつ分ければいいわ」
マーラさんがすかさず口を開いた。
「少し薄くなるかもしれないけど、風味くらいは分かるでしょう?」
「……そうですね、それでいきましょう」
話が決まると手際よく湯が用意され、茶葉が広げられる。
ふわり、と。
淡い香りが、空気に溶けた。
やさしい花の匂い。
どこか懐かしくて、心をほどくような香り。
「……いい香りだな」
誰かが呟く。
やがて、小さなカップに分けられ、順に配られていく。
「……いただきます」
最初に口をつけたのは、ロッソさんだった。
一口、口に含んだその瞬間――
動きが止まる。
「……?」
誰かが首をかしげる。
ロッソさんは、ゆっくりと自分の手を見下ろした。
私も注目する。
まるで光の微粒子のようなものがロッソさんの手に集まっている。
「……なんだ、これ……」
低い声。
「どうしたの?」
マーラさんが覗き込んだ次の瞬間。
その手の甲にある傷。
作業中にできたという深い裂傷。
それが——
じわりと閉じていく。
「え……?」
「うそ……」
小さなざわめきが広がる。
私は息を呑んだ。
体の疲れを癒すだけじゃなくて、傷まで直してしまうとは。
……想定外だ。
ロッソさんは再び震える手で、カップを持ち上げた。
ごくり、と飲み込むロッソさんをみんなが注目する。
彼に倣うように周囲も一斉にカップに口をつけた。
「……あ……」
「体が……軽い……」
「腰の痛みが……消えた……」
「なんだ、これ……!」
声が、次々と上がる。
驚きが、確信へと変わっていく。
ざわめきはやがて、興奮に変わった。
「ただのお茶じゃない……!」
ざわめきが、一気に広がった。
だが――
その中で、理玖だけが動かなかった。
ただ、じっとカップを見つめている。
「……おいしい?」
私が尋ねると、理玖は思い詰めたように唇を噛んでいる。
どうしたんだろう……
「おいしい……けど……」
「けど?」
「ううん、なんでもない」
無理に笑う。
その表情が、ほんの一瞬だけひどく大人びて見えた。
——まるで何かを、知っているかのように。
得体の知れない違和感が胸に引っかかる。
けれど、周囲の歓声がそれをかき消した。
「イオリ様! これはすごい!」
「これがあれば、怪我も病も——」
「白狼族にも効くはずだ!」
次々と声が重なる。
私はその中心に立ちながら理玖の小さな手をそっと包む。
なぜか、その手がやけに冷たく感じられて、胸の奥のざわめきを抑えるのに精一杯だった。




