第56話 お手伝い
ソファの上に置いてあるリュックにリュミナのお茶を詰め込む。
さっそく、これから村の小人たちに配りに行こうと思う。
「んー、それよりも工房の中央にあった集配所に置いてもらった方がいいのかしら?」
小さく呟きながら、手を動かす。
「母さん、外にいくの? 俺がリュックをもつよ」
私が準備をしているのを見て、理玖が声をかけてきた。
「大丈夫よ。リュックは大きいから小さな理玖にはちょっと難しいかな」
私のリュックは結構大きめだ。マザーズバッグのリュックバージョンといったところだ。
さすがに三歳児が背負うには無理がありすぎる。
「ちいさな……そうだ、俺は……」
理玖は何やらぶつぶつと呟き、肩を落とす。
——しまった。
せっかく手伝おうとしてくれたのに、やる気を削いでしまったかもしれない。
どうしよう、と一瞬迷って——ふと、思いつく。
私はリュックの中から、予備で入れていた小ぶりの巾着袋を取り出した。
そこにリュミナのお茶を少しだけ分けて入れる。
「じゃあ、理玖はこれを持ってくれる? ほら、こうすれば落とさないでしょ」
そう言って、巾着の紐を理玖の腕に軽く結びつける。
理玖はきょとんとした顔でこちらを見上げた。
「……うん、わかった。もっと大きくなったら、俺が持ってあげるからね」
どこか自分に言い聞かせるように、そう言う。
だけど、その顔がなんだか少しだけ切そうに見えて——
「……そうね」
返した私の声は、自分でも驚くほど小さかった。
目覚めてからの理玖は、どこか以前と違って見えた。
——急に成長してしまったような。
そんな違和感が、胸の奥に残る。
私は一度、手の中のリュックに視線を落とした。
あのとき。
魔獣に襲われかけた瞬間——理玖は、明らかに異常な量の魔力を放っていた。
小さな体で、あんな力を……
……もしかして、私を失うかもしれないと、そういう思いが、あの力を使わせたのかもしれない。
あんなふうに意識を失うほどに——
「……」
無意識に、唇を噛む。
背伸びをして、何でもできるふりをして。
——それは、きっと私のせいだ。
私が、無茶をしたから。
「母さん、はやくいこう」
はっとして顔を上げると、理玖はいつの間にか玄関の前で待っていた。
——考えていても仕方ない。
そう思い直す。
理玖が元気でいてくれる。それだけで、今は十分だ。
「ええ、行きましょう」
私は気持ちを無理やり切り替えるように明るい声で言った。
扉を押し開けた瞬間、空気の軽さに思わず息を呑む。
頬を撫でる風はやわらかく、冷たさの奥にかすかなぬくもりを含んでいた。
湿った土の匂いと、芽吹いたばかりの草の青い香りが混ざり合い、ゆっくりと胸の奥へ満ちていく。
「母さん、はやく」
振り返った理玖が、無邪気な笑顔を見せる。
その、久しぶりに見る子供らしい表情に、胸の奥の緊張がほどけた。
「理玖、坂道は走っちゃダメよ。ゆっくりね」
「うん、わかってる」
素直にうなずく理玖の背を追い、私は村へ続く道へと一歩踏み出した。
そのとき、正面からラウロがこちらへ駆けてくるのが見えた。
「兄ちゃん」
理玖が小さく呼ぶと、ラウロはぱっと顔を明るくする。
「おお、リク。元気になったんだな。よかった」
「うん」
明るい声をかけるラウロに、理玖もうなずいた。
「ラウロ、理玖のお見舞い?」
「ああ、それもあるけど——じいちゃんに頼まれてさ。理玖が目を覚まして、大丈夫そうなら、イオリ様に相談したいことがあるって」
「相談?」
「白狼族のことだって」
「白狼族……」
思わず、その言葉を繰り返す。
——そういえば、あの白狼族の子供は無事だったのだろうか。
父親だと名乗っていた……たしか、ラザさん。
彼は問題ないとは言っていたけれど、あのときはかなり血を流しているように見えた。
あんな小さな子があんなに傷ついて……
その時の姿が鮮明に蘇り、自分に何もできなかったことに心が痛む。
「イオリ様、今から村に行くところ?」
ラウロが尋ねる。
「ええ。リュミナのお茶を作ったから、みんなに配ろうと思って」
「リュミナのお茶?」
「そう。飲めば元気になれるの」
「そっか。じゃあ、じいちゃんも呼んでいいか?」
「ええ、もちろん。長老にもぜひ飲んでほしいわ」
「じゃあ、工房に呼ぶよ」
「ええ、それでいいわ」
私がうなずくと、ラウロはふっと目を閉じた。
両手のひらを上に向け、胸の前でそっと掲げる。
すると、空気がわずかに震え、淡い光が集まり始めたと思ったら、耳の奥でかすかな風鳴りのような音がした。
「じいちゃん、リクが目を覚ました。イオリ様がリクを連れて、これから工房に行くってさ」
言葉を包み込むように光が渦を巻く。
頬をかすめる風が、ふっと冷たくなり——
次の瞬間、その光は糸を引くように村の方へと飛んでいった。
私はその光景を、ただ呆然と見つめていた。
あのとき——ロッソさんが使った時は、それどころじゃなかった。
理玖が覚醒して倒れたから。
「……ラウロも“風の頼り”が使えるのね」
「ああ、そうだよ」
「この村の人たち、みんな使えるの?」
「シュシュはまだ無理だな。サーシャも使えない。あとはだいたいできるよ」
「へえ……便利ね。私にも使えたらいいのに」
思わず本音がこぼれる。
「ええと……これは精霊魔法だからな。人間にはちょっと難しいかも」
「そうよね……」
納得しつつも、ふと疑問が浮かぶ。
「でも、先代賢者はどうしていたのかしら?」
「さあな。俺、その頃まだ生まれてなかったし」
——そうだった。
先代賢者が亡くなったのは、もう百年も前のことだ。
なら……
長老に会ったら、聞いてみよう。
そう心に決めながら、私は小さく息をついた。




