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2歳の息子と異世界転移——賢者と呼ばれた我が子の隠された秘密  作者: 梅丸みかん


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第54話 ジェロール帝国【正体不明の魔力観測】

 理玖が小海のほとり――結界の境界で内に秘めた魔力を解き放った、その直後。

 ジェロール帝国魔導院は、かつてないほどの緊張に包まれていた。


 異変は即座に観測され、すぐさま最高位魔導士たちへ緊急招集がかかる。

 当然、大魔導士ヴァルドレインの名もその中にあった。


 やがて、魔導院の大会議室には大魔導士五名を筆頭に、魔導士長たちが一堂に会する。

 総勢百二十名――帝国の中枢を担う魔導の精鋭たちである。


 その中にあって、ヴァルドレインは紛れもなく頂点に近い存在だった。

 一同が会する中、上座の豪奢な椅子に腰掛けるベルドルフ大魔導士卿が、静かに口を開く。


「諸君。魔力観測機が、これまでに例のない規模の魔力波動を捉えた」

 一瞬の沈黙。



 ベルドルフは背が高く、痩せ型の壮年の男だが、体躯には長年魔力を練り上げてきた者特有の張りがあった。

 濃茶の短い髪に口の周りを覆う髭が端正な顔立ちに威厳を加えている。

 琥珀色の瞳がゆっくりと滑るように、魔導士たちの姿を次々と捉えていく。


「発生地点は――グラセナ山脈の向こう側だ」

 その言葉が落ちた途端、室内にざわめきが広がった。


「前例のない魔獣の出現か?」

「天変地異の前触れではないのか」


「どこかの国が、魔法兵器の実験を――」

 抑えきれない憶測が、次々と飛び交う。

 だがその中で、ヴァルドレインだけは別の思考に囚われていた。


 ――半年前。

 大広間に設置された異界招来大円環が、一瞬だけ明滅したあの現象。

 彼自身が見間違いとして片付けた、あの不可解な揺らぎ。


 ……いや、まさか……

 あれは一度きりの異常だったはずだ。

 今の事態と結びつく理由など、どこにもない。


 それでも。

 関係がないと切り捨てようとするほどに、その記憶は妙に鮮明さを増し、思考の奥にこびりついて離れなかった。


「魔力波の解析結果が出た」

 ヴァルドレインの思考を断ち切るように、ベルドルフの声が割って入る。


「発生源は――人である可能性が高い」

 その一言に、思考が止まった。


 人、だと――?

 疑念が浮かんだその瞬間、正面のスクリーンに観測データが映し出される。

 波形は、見慣れたものだった。


 魔導士が放つ魔力特有の、規則性を帯びた揺らぎ。

 だが。


 規模が、異常だった。

 視覚化された波は、常識を逸している。


 この場に集う誰一人として、あの出力に届く者はいない――そう断言できるほどに。

 室内の空気が、目に見えぬ圧に押されるように重く沈む。

 そして。


「この魔力は――賢者級と判断される」

 ベルドルフの低い声が、床を這うように広がった。


 次の瞬間。

 ざわめきは、消えた。


 まるで波が引くように、室内が一斉に静まり返る。

 誰かが息を呑む音だけが、やけに大きく響いた気がした。



「まさか……」

 誰が最初に漏らしたのかもわからない呟きが、静寂にひびを入れた。

 それを合図に、再びざわめきが広がる。


「賢者だと……? 誰が召喚した?」

「いや、召喚とは限らん」


「この世界に元から存在していた者が、覚醒した可能性もある」

 推測が飛び交うが、どれも確証には遠い。


 だが――ヴァルドレインの胸中では、別の疑念が確かに形を取りつつあった。

 やはり……あの時の円環の明滅は――

 結びつきかけた思考を、


「諸君、静粛に!」

 ベルドルフの一喝が断ち切る。

 室内は一瞬で押し黙った。


「諸君も承知の通り、観測地点であるグラセナ山脈は世界最大級だ。踏破は容易ではない。加えて、あの一帯には未確認の魔獣が生息しているとの報告もある。現時点での直接調査は不可能だ」

 ベルドルフは一同を見渡し、続ける。


「魔導機製作部、魔導士長。例の計画はどこまで進んでいる」

「はっ。閣下、完成までは……なお数年を要する見込みです」


「遅いな。一年以内に仕上げろ」

 一瞬、空気が張り詰める。


「……善処いたします」

 苦渋を押し殺した声で答え、魔導士長は敬礼とともに下がった。

 ベルドルフはわずかに間を置き、締めくくる。


「各員、引き続き任務に当たれ。観測部は記録の再解析を進めよ。――例の魔導機が完成次第、大魔導士の中から選抜し、グラセナ山脈の調査に向かわせる」

 低く、重く。


「その時に備えよ。以上だ」

 短い宣告とともに、緊急会議は幕を下ろした。


 だが――

 ヴァルドレインの胸に残った違和感だけは、消えなかった。


 彼は足を止め、わずかに思考を巡らせる。

 あの規模の会議が開かれた以上、すでに皇帝陛下への報告は済んでいるはずだ。

 ならば、この先の方針はおおよそ見えている。


 ――賢者の捕縛、あるいは管理。

 だが。


 もし、あの魔力が……覚醒直後の賢者によるものだとしたら……

 喉の奥が、わずかに乾く。


 到底、敵う相手ではない。

 この場にいた上級魔導士たちが総力を挙げたとしても――結果は見えている。


 かつてこの国が賢者を召喚した際も、その危険性を理解していたからこそ、覚醒前に奴隷紋で拘束したのだろう。

 だが、今回は既に覚醒している可能性が高い。

 記録によれば、賢者が有するのは叡智の魔力……


 ならば取るべきは、対立ではない。

 むしろ、穏便に接触し、こちらへ引き入れる道を探るべきだ。


 だが、その考えがこの国で通るかどうか。

 ジェロール帝国は力で他を従え、支配することで成り立ってきた国家だ。


 未知の存在に対してさえ、その姿勢を崩すとは思えない。

 ……危ういな。


 胸の内で、静かに言葉が沈む。

 もしあの魔力が本当に賢者のものならば――


 誤れば、この国そのものが滅びかねない。

 ヴァルドレインは、拭いきれない不安を抱え、重い足取りのまま、その場を去った。


ここまで読んでいただきましてありがとうございます。


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