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2歳の息子と異世界転移——賢者と呼ばれた我が子の隠された秘密  作者: 梅丸みかん


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第50話 DIARY

 階下へ降りると、抱いていた理玖をそっとソファに下ろした。

「少しここで待っていてね。いま、卵がゆを温めてくるから」

「……うん……」


 理玖は小さく頷くと、ぼんやりと部屋の中を見回した。

 視線が、ゆっくりと――けれど確かめるように動く。


 その様子に、ほんの一瞬だけ違和感を覚える。

 けれどすぐに、首を振った。


 きっと、長く眠っていたせいで頭がはっきりしないのだろう。

 私はそのままキッチンへ向かうと、すぐに温め直した卵がゆを手にして戻る。


「理玖、できたよ」

 声をかけながらソファの方へ目を向けて――


 私は足を止めた。

 理玖の姿が、ない。


「……理玖?」

 胸がひやりと冷える。

 慌てて部屋を見渡すと――


 机の前に、小さな背中があった。

 理玖は一番下の引き出しを開け、その中を覗き込んでいる。


「何をして……」

 声をかけかけて、言葉が止まった。

 理玖は一冊の赤い背表紙の本を手に取り、じっと見つめていた。


 まるで――

 それを知っているかのように。


「あら……? その引き出しの中に本なんてあったかしら……」

 ゆっくりと近づく。


 その時、理玖の肩がびくりと揺れた。

 どうやら、私の気配に気づいていなかったらしい。


「理玖? それ、どうしたの?」

 呼びかけると、理玖がゆっくりと振り返る。

 その目が、まっすぐに私を捉えた。


「……みつけた……おくに」

 ぽつりと呟く。

 そして、手にしていた本を私に差し出した。


「見つけたって……その引き出しに入っていたの?」

 理玖はこくりと頷く。


 以前、あの引き出しを開けたことはある。

 けれど、その時は気づかなかった。


 奥まできちんと見ていなかっただけだ――

 そう思おうとして、


 私は、もう一度その引き出しの中を覗き込んだ。

 ――本が入るほどの隙間が、あっただろうか。


「これは……」

 理玖から受け取った本の背表紙には、はっきりとこう書かれていた。

 ――DIARY。


 日記……?

 もしかして――先代賢者の日記だというの?

 胸がわずかに高鳴る。


 もしそうなら、この世界について、何か手がかりが得られるかもしれない。

 私は息を整え、そっとページをめくった。

 そこに書かれていたのは――


「……ん?」

 思わず眉をひそめる。

 わからない。


 見たこともない文字が、びっしりと並んでいる。

 この世界の文字だろうか……?


 形はどこかアルファベットに似ている。

 けれど、よく見れば微妙に違う。

 線の流れも、組み合わせも、どこか歪で――


「どうして……」

 小さく呟く。


 表紙には、確かに“DIARY”と書かれていたのに。

 どうして中身は読めないのだろう。

 私は本を閉じ、力が抜けたように肩を落とした。


 せっかく――

 先代賢者の手がかりが見つかるかもしれないと思ったのに。

 これじゃあ、意味がない。


 読めないのなら、どうしようもない。

 ……誰かに聞く?

 そう思いかけて、ふと長老の言葉がよみがえる。


 ――自分たちは文字を読めない。

 ……だめだ。

 完全にお手上げだった。


 宝の持ち腐れ、とはこのことね……

 そのとき――


 ふと、視線を感じた。

 顔を上げると、理玖がこちらではなく、私の手の中の本をじっと見つめていた。


 瞬きもせずに唇を噛み締めている。

 その目は、さっきまでのぼんやりとしたものとは違っていて――


 まさか……字が読めている……とか?

 いや、そんなわけがない。


 理玖にはやっとひらがなを教え始めたばかりだ。

 かろうじて私の名前と自分の名前は書けるかもしれないけど、「DIARY」の文字がわかるわけがない。


 私の視線に気がついたのか、理玖はゆっくりと本から私の顔に視線を移した。

「かあさん……」


「あ、ごめんごめん」

 慌てて笑顔を作る。


「おかゆ、冷めちゃうわね。さあ、食べましょう」

 日記を机の上に置き、私は理玖を抱き上げてダイニングチェアに座らせた。


「はい、理玖。あーんして」

 まだ本調子ではないだろうと思い、食べさせてあげることにする。

 温めたばかりのお粥をすくい、スプーンをそっと口元へ運んだ。


 けれど――

 理玖は口を開こうとしなかった。

 ぽかんとした顔で、じっとこちらを見ている。


「……理玖?」

 どうしたんだろう。

 いつもなら、嬉しそうにすぐ口を開けるのに。


「お腹すいてるでしょ?」

「……おれ、自分で食べる」

 少しだけ間を置いて、そう言った。


「大丈夫? 食べられる?」

「うん……」

 私はスプーンを手渡す。


 理玖はそれを受け取ると、ゆっくりとお粥をすくい――

 そのまま、迷いなく口へ運んだ。


 思わず、息をのむ。

 こぼしそうな気配が、まるでない。


 手つきも、運び方も、どこか慣れていて――

 ……見慣れているはずの手つきなのに、どこか違う気がした。


 けれど――

 そんなはずはない、と無理やり考えを押し込める。

 その時だった。


 理玖の手が、ぴたりと止まる。

 口に含んだまま、瞳がゆっくりと潤んでいく。


 やがて――

 一粒の雫が、頬を伝った。


「え……理玖?」

 思わず身を乗り出す。


「どうしたの? どこか痛いの?」

 けれど理玖は、首を横に振った。

 ぽろぽろと涙をこぼしながら、それでもスプーンを握りしめている。


「ちがう……」

 理玖がかすれた声で、そう言った。


「おいしくて……」

 もう一口、ゆっくりと食べる。


「あまりにも、おいしくて……」

 言葉が途切れる。

 そして、小さく続けた。


「……なつかしくて……」

 その言い方に、胸の奥がざわつく。


 どこか――ひどく場違いな響きだった。

 けれど私は何も言えず、ただ理玖の頭にそっと手を置いた。

 震える背中を撫でながら、落ち着くのを待つしかなかった。


 お粥を食べ終えた理玖を、私はもう一度ベッドへ連れていった。

 この世界に来てからというもの、理玖はいつも無邪気に小人の子供たちと遊んでいた。


 けれど今の理玖にはその無邪気さが全く感じられない。

 慣れない生活に加えて、魔獣との遭遇。


 そのうえ、自分の力を超える魔力を使ったのだ。

 混乱しているのかもしれない。


 そう考えると、無理はない。

 理玖は何も言わず、静かにベッドに潜り込んだ。


 そして――

 まるで糸が切れたように、すぐに眠りへ落ちていった。

 その寝顔を見つめながら、私は小さく息をつく。

 今は、とにかく休ませてあげよう。


 その間に――

 リュミナの花で薬草茶を作ろう。

 少しは体力の回復に役立つかもしれない。


 私はそう決めると、眠る理玖の頭をそっと撫でた。

 指先に伝わる温もりを確かめてから、静かに立ち上がる。

 そして音を立てないように、寝室を後にしたのだった。

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