第43話 薬草採取
やわらかな風が頬をなで、どこからか若い草の匂いが運ばれてくる。
私は理玖の小さな手を握り、そのぬくもりを確かめながら、小海の方へと歩いていく。
やがて畑が見えてくる。小人族たちが、畝に水やりをしていた。
そういえば、ロッソさんが言っていた。
冬のあいだは畑を休ませるのだ、と。
畝の上には、淡い緑の芽がぽつぽつと顔を出していた。
畑も、ようやく動き始めたのだ。
畑の周りには、ゼン婆さんの言っていた通り、黄色い小さな花がところどころに咲いている。
きっと、これがリュミナの花だ。
私はその花のそばにしゃがみ込み、図鑑の挿絵と同じかどうか確かめる。
「おはなだね」
理玖も私の隣にしゃがみ込み、小さな顔を近づけて花をのぞき込んだ。
そのときだった。
「イオリ様、リク様。お散歩ですかい?」
畑の向こうでこちらに気づいたロッソさんが、手を振りながら駆け寄ってくる。
「あ、ロッソさん、こんにちは」
「こんにちは」
私に続いて、理玖もぺこりと頭を下げた。
「ああ、リク様もよく来なさった。今日は天気がいいからなぁ。まさに散歩日和ですな」
ロッソさんが空を見上げて笑う。
それにつられて、私も空を見上げた。
「お父、水やり終わったぞ。リク、俺と魔法の訓練だ」
そう言ってラウロが近づいてくる。
「おい、ラウロ。イオリ様に挨拶もせずに失礼じゃないか」
ロッソさんが眉をひそめると、ラウロは「あっ」と声を上げた。
「あ、いっけねぇ。ようこそ、イオリ様」
「うふふ。ラウロも相変わらず元気そうね。泥だらけだわ。頑張った証拠ね」
「まあな」
ラウロは得意げに胸を張った。
いつもと変わらないロッソさんとラウロの様子に、私はふっと肩の力が抜けるのを感じた。
胸の奥に、どこかほっとするような安心感が広がる。
「あっ、そうだ。イオリ様、今から米の実を採りに行くんですわ。そろそろ米の実もいい具合に実っている頃ですからな。よかったら、一緒に行きますかい?」
米の実!
以前アロアさんから話を聞いて、ずっと気になっていた。
木になる米なんて想像がつかない。
胸が高鳴る。
「いいの? ぜひ! ご一緒したいわ!」
思わず飛びつくように返事をしてしまった。
「あ、でも、リュミナの花を少しだけ採っていきたいんですけど」
「リュミナの花を?」
「ええ、この黄色い花、リュミナの花ですよね」
私が指さすと、ロッソさんは足元に咲く小さな花へ視線を落とした。
「おお、そうそう。リュミナの花だ。この時期になると、こうして畑の周りに咲くんだ」
やっぱり。アロアさんが言っていた通りだ。
「この花がどうかしましたかい?」
「えっと、この花には薬効があるみたいなんです。乾燥させて煎じて飲むと、体力回復とか、免疫力を高める効果があるそうで」
「ほう、体力回復か。それはありがたいな。……だが、その“めんえきりょく”ってのは何ですかい?」
あれ?
もしかして、小人族には免疫力という概念がない?
「えっと、免疫力っていうのは……簡単に言うと、病気にかかりにくくする、体の強さみたいなものです」
「なるほどなぁ。だが、俺たちはめったに病気にはならねぇな。まあ、人間の町にいたころは、たまに病気になる奴もいたようだが」
なんと。
どうやら小人族は、もともと体がかなり丈夫らしい。
「じゃあ、皆さんにはリュミナの花の効能は、あまり必要ないかもしれませんね……」
少し肩を落として言うと、ロッソさんは慌てたように首を振った。
「いやいや、そんなことはないさ。体力回復は俺たちにとってもありがたい。畑仕事は体力を使うからな」
それを聞いて、私はほっと胸をなで下ろした。
――よし。やっぱり薬草として使おう。
「ほんとうですか?」
「もちろんさ、そういうことなら俺も手伝おうか。ラウロ、お前は先に行くんだ。みんなはもう収穫を始めている頃だろうからな。米の実はこの時期、村総出で採るんでさぁ」
ロッソさんが笑いながらそう言うと、ラウロは「わかったよ」と、元気よく村の方へ向かって駆け出した。
空気はやわらかく、太陽の光が一面に降り注いでいる。
私はさっそくリュミナの花を摘もうとしゃがんだ。
茎に触れた瞬間、指先に、微かな熱――生命の気配が伝わってくる。
この花……本当に元気になれる効果がありそう。
ロッソさんもしゃがんで、リュミナの花を摘み始めると、理玖もそれを見て「おれも!」と言って真似をしている。
「イオリ様、米の実を採りに行く前に、ひとつ言っておきたいことがあるんですが……よろしいですかい?」
ロッソさんが手を動かしながら、静かに口を開いた。
「えっと、なんですか?」
「米の実の木は、小海にある結界の近くにあるんでさ」
――小海。結界の近く。
その言葉を聞いた瞬間、私はロッソさんの言いたいことをなんとなく察した。
先日、ラフさんが言っていた。
「小海の森の結界の外で、白狼族がずらりと並んで跪いている」と。
もしかして――まだ、あの状況が続いているのだろうか。
「……白狼族、ですか?」
「……ああ。あれから奴らの姿は見てないが、また現れるかもしれねぇ」
「また……」
「だが、心配することはないさ」
ロッソさんはそう言って、ゆっくりと顔を上げた。
「長老は、見ないようにしろと言っていた。結界が俺たちを守ってくれているから問題はねぇ。だから、もし奴らが現れても――イオリ様は、そちらを見ないようにすればいい」
私を安心させるように言ってくれているのはわかる。
けれど――。
本当に、それでいいのだろうか。
ただ、彼らを見ないふりをしてしまって。
胸の奥に、小さな引っかかりが残ったままだった。




