第38話 使命感
工房へ戻ると、すでにたくさんの村人たちが集まっていた。
炊き立ての米の香りと、味噌汁の匂いが、工房いっぱいに広がっている。
「イオリ様、今日はリク様のお誕生日だと聞きました」
「リク様、おめでとうございます」
「我らが賢者様、おめでとうございます!」
口々に贈られる祝福の言葉が、工房いっぱいに響く。
「えっと……ありがとうございます」
「ありがとうございましゅ」
私が頭を下げると、理玖も真似するようにぺこりと頭を下げた。
その様子に、あちこちからくすくすと優しい笑いがこぼれる。
「あら、イオリ様、リク様。ちょうどよかったですよ」
奥から現れたマーラさんが、にこやかに声をかけてきた。
「今ちょうどご飯が炊き上がったところなんです。あとは男衆たちに魚を捌いてもらいましょう」
――ご飯。
その言葉を聞いた瞬間、私はあることを思い出した。
最初の宴で出てきたお寿司のご飯が、酢飯ではなかったことだ。
「あの、マーラさん。ご飯のことなんですが……」
少し遠慮がちに声をかける。
「お寿司にするなら、酢飯にした方がもっと美味しいと思うのですが」
「酢飯?」
マーラさんは、きょとんと首を傾げた。
どうやら聞き慣れない言葉らしい。
そういえば、いただいた調味料の中にお酢はなかった。
もしかすると、この村には酢というもの自体がないのかもしれない。
でも――酢がないなら、代わりになるものを使えばいい。
以前もらった野菜の中に、丸い緑の皮をした柑橘で、切ると爽やかな香りが広がる果実――そう、カボスのようなものがあったのを思い出す。
あれを使えば、きっと酢飯に近い味が作れるはずだ。
爽やかな柑橘の香りは、きっと魚にもよく合う。
私はそのことを思い出し、身振り手振りを交えて説明した。
「ああ、それなら――スーラのことですね」
マーラさんが、すぐに思い当たったように頷く。
どうやら小人たちの間では、その果実を“スーラ”と呼ぶらしい。
そこで私は、そのスーラを使い、酢飯の代わりになるものを作ることを提案した。
さらに、握り寿司ではなく、具材を混ぜ込むちらし寿司を教えることにする。
スーラの果汁を絞り、そこへ塩と砂糖を加えて軽く混ぜる。
それを炊きたてのご飯にさっと合わせると、しゃもじが米粒をふんわりとほぐした。
次の瞬間、湯気を立てる白い米から、ふわりと柑橘の爽やかな香りが立ちのぼる。
甘酸っぱく、どこか食欲をくすぐる香りだった。
「まあ、そんな方法があるんですか?」
マーラさんが椅子の上に立ち、身を乗り出して私の手元を食い入るように見つめている。
ほかの女性たちも、息をひそめるようにして作業を見守っていた。
そこへ刻んだ具材を混ぜ込む。
白いご飯の中に、色とりどりの具が散りばめられていく。
出来上がったちらし寿司を皿に盛り、テーブルの上へ並べた。
湯気とともに、柑橘の香りがふわりと広がる。
すると、小人たちがいつの間にか集まってきて、
目を輝かせながら、じっとその皿を見つめていた。
「かあしゃん、これ、しゅし?」
工房の中でラウロとシュシュ、サーシャと追いかけっこをして遊んでいた理玖が、気づくやいなや駆け寄ってきた。
「そうよ。ちらし寿司よ」
「ちらしぢゅし……おさかないっぱい!」
理玖は目を輝かせながら皿をのぞき込む。
「ええ。エビも入っているわよ」
私と理玖の会話を聞いて、小人たちも興味深そうにこちらへ視線を向けた。
「ほう、ちらし寿司か。握り寿司とはまた、ずいぶん違うな」
ラフさんが、食い入るようにテーブルの上のちらし寿司を見つめる。
「ええ、そうでしょ。これも美味しいと思うから、ぜひ食べてみて」
そう言って勧めると、小人たちは箸を手に取り、恐る恐る口へ運んだ。
「おお、これはうまい!」
「いい香りだねぇ」
「こんな食べ方があるなんて!」
たちまちテーブルの周りが感嘆の声でにぎやかになった。
こうして理玖の誕生日の祝いの席は、思いがけず賑やかな宴になったのだった。
家に戻ると、理玖はよほどはしゃぎ疲れていたのだろう。
寝床に入るなり、すぐにすうすうと寝息を立て始めた。
私はその寝顔をそっと見守りながら、今日の宴で小人族の女性たちと話したことを思い返していた。
どうやら小人族の間では、昔から「食べ物を調理する」という習慣がほとんどなかったらしい。
だから、先代賢者が教えたような簡単な料理でさえ、彼らにとってはとても豪華なごちそうに思えるのだとか。
そういえば、生前の先代賢者は日本食を恋しがり、世界中を旅していたと聞いた。
その途中で味噌や醤油に似た調味料を見つけ出し、さらに改良を加えて、この村の定番の味として広めたのだそうだ。
けれど――。
村人たちに教えた料理は、どうやら「料理」と呼ぶにはずいぶん素朴なものばかりだったらしい。
その話を聞いて、私は内心で納得してしまった。
つまり……先代賢者は、あまり料理が得意ではなかったのだ。
道理で宴の席に、きゅうり味噌や卵かけご飯が並んでいたわけだ。
……うん、きっとそうに違いない。
ならば――。
私が、ちゃんとした料理を小人たちに広めていこう。
もちろん、私だって特別料理が得意というわけではない。
レパートリーもそれほど多くはないし、凝ったものが作れるわけでもない。
それでも――。
少なくとも、先代賢者よりは、きっとましなはずだ。
そんな妙な使命感が、胸の奥にふっと湧き上がってきたのだった。




