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2歳の息子と異世界転移——賢者と呼ばれた我が子の隠された秘密  作者: 梅丸みかん


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第36話 誕生日

 日本の暦では、今日は一月三十日。

 ――理玖の誕生日だ。


 日本では、誕生日といえばケーキを用意して――

 写真を撮って、笑って。


 そんな当たり前のことをしていたはずなのに。

 ……ここには、何もない。


 だからせめて。

 理玖の好きなものを作ってあげたい。


「うーん……どうすれば……」

 そうだ。お寿司はどうだろう。


 となれば、刺身にできる新鮮な魚が必要だ。

 この村に来てすぐ開かれた宴で出てきた、マグロに似たあの魚――あれが手に入れば。


 マーラさんに相談してみようか。

 うん、それがいい。


「理玖、お出かけしよう」

「おでかけ? やったー!」

 理玖はぴょんと飛び上がって喜んだ。


 あれから雪は降っていないけれど、外はやっぱり寒い。

 風邪をひかせたくなくて、なるべく家の中で過ごしていた。

 きっと、それで退屈していたのだろう。


「かあしゃん、はやくいこう!」

 待ちきれない様子で、理玖が玄関の扉を開く。


 外に出ると、木々の合間からやわらかな陽射しが降り注いでいた。

 雪は残っているけれど、昨日までの凍えるような空気とは違う。


 思ったよりも暖かい。

 お散歩にはちょうどいいくらいだ。


「理玖、走っちゃだめよ」

 坂道を勢いよく駆け下りようとする背中に声をかける。

 理玖はぴたりと足を止め、くるりと振り返った。


「だいじょうぶだよ。おれ、もうおっきくなったから。にいちゃんがいってた」

 得意げな顔。


 ……にいちゃん、ね。

 理玖はラウロの言うことなら何でも正しいと思っている節がある。

 その無邪気さに苦笑しながらも、胸の奥がほんのり温かくなる。


 成長を誇らしく思う気持ちと、まだ小さいのよと抱きしめたくなる気持ち。

 その両方を抱えながら、私は理玖の後を追いかけた。


 

 工房に着くと、私はさっそくマーラさんに声をかけた。

「イオリ様、それなら新鮮な魚をもらうといいよ。今日はね、ロッソとラフ、それにラウロも一緒に、男衆が何人かで小海へ漁に出ているから」


 まるで待っていたかのように、マーラさんが弾んだ声で言う。


「小海に? じゃあ、今から行ってもいいかしら。今日はお天気もいいし、もう一度行ってみたいと思っていたの」

「ああ、きっとあの人たちも喜ぶよ。イオリ様とリク様に、獲れたての魚を持っていくんだって張り切ってたからね」


「ほんとう?」

 胸がぱっと明るくなる。


「今日は理玖の誕生日なの。理玖の好きなお寿司を作ろうと思っていて」

「まあ、リク様のお誕生日ですって?」

 マーラさんは目を丸くし、すぐににっこり笑った。


「それなら、みんなでお祝いしなくちゃね。あたしたちは準備をしておくよ」

「え? いいの?」


「もちろんさ。冬場はみんな手が空いてるからね。喜んで集まるよ」

 その温かい言葉に、私は素直に甘えることにした。


 本当は、私と理玖、ふたりきりの静かな誕生日になるかもしれないと思っていた。

 でも思いがけず、にぎやかな一日になりそうだ。

 それが、たまらなく嬉しい。


「じゃあ理玖、小海に行ってみようか」

「しょうかい……?」


「ほら、ラウロたちがお魚をとっていたところ。ミズチにも会ったでしょう? 覚えてる?」

「ミズチ!」

 理玖の目が、ぱっと輝いた。


「うん! すっごくおっきいの! キラキラしてて、みずのなかにきえちゃったの!」

 両手をいっぱいに広げて、その大きさを表現する。


「そう。その場所よ。行ってみよう」

「うん! おれ、またミズチにあう! おさかなもいっぱいとるんだ。かあしゃん、はやくいこう!」

 小さな手が、ぐいっと私の手を引く。



 小海へ行ったのは、これまでに一度きりだ。

 あのときは――初めて目にしたミズチに、ただ圧倒された。


 日本の昔話に出てきそうな、神々しいまでの姿。

 水面を滑るように現れた巨大な影は、きらめく虹色の鱗をまとい、現実とは思えないほど幻想的だった。


 私はただ、呆然と立ち尽くすことしかできなかった。

 そして、そのあとに現れた白狼族。


 人の姿に変じた彼らは、真っ白な髪を風に揺らし、鍛え上げられた体を惜しげもなくさらしていた。

 無言のまま――

 ただ一人、金色の瞳でこちらを見つめ、視線がまっすぐ外れない。


 ……あのとき、私は一歩も動けなかった。

 まるで、捕らえられたかのように。


 ラウロは「小海を狙っている」と言っていたけれど――

 本当に、それだけなのだろうか。


 あの視線は、ただの敵意というより、何かを訴えているようにも見えた。

 ……彼らの本当の目的はなんなのだろう。


 人と同じ姿なのに、全く別の雰囲気を放っているように感じた。

 思い出すたび、胸の奥がざわりと波立つ。


 けれど長老の話では、白狼族は冬のあいだはほとんど姿を現さないという。

 今の季節に出会うことはないはずだ。


 それに、村には結界がある。

 先日感じた景色の揺らぎを、ふと頭をよぎりかけたが――私は首を振った。


 きっと大丈夫。

 心に広がる不安を追い払うように自分にそう言い聞かせた。


 隣では、理玖が楽しそうに鼻歌を歌いながら歩いている。

 その無邪気な横顔を見ていると、守らなければという思いが強くなる。


 私は理玖の小さな手を握り直し、小海へと続く道を進んだ。


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