第31話 赤いソース
雪は三日も降り続いた。
日本の暦でいえば、今日は元旦――お正月だ。
けれど、小人たちにそんな概念はないらしく、村はいつも通りの朝を迎えている。
数日ぶりに外へ出ると、世界はすっかり白く姿を変えていた。
雪化粧をまとった木々のあいだから、やわらかな光が降り注ぐ。
大木に守られたこの家も、今日はひときわ明るく見えた。
積雪はおよそ二十センチ。
もっと深くなっているかと思っていたので、少し安堵する。
「かあしゃん、ゆき!」
白い息を弾ませながら、理玖がはしゃいだ声をあげる。
頬を真っ赤にして、きらきらと目を輝かせている。
子どもというのは、どうしてこうも雪が好きなのだろう。
幸い、マーラさんが服飾工房でダウンミトンとダウンブーツまで仕立ててくれたおかげで、理玖は雪の上でも元気いっぱいに歩き回れる。
ふかふかの白い地面に、小さな足跡がぽつぽつと刻まれていく。
そのとき、道の先で雪がふわりと舞い上がった。
白い中から、人影が近づいてくる。
「あ、にいちゃん!」
「おお、リク。お母に、ここまで雪かきしてこいって言われたんだ」
ラウロだ。
彼は手をかざし、精霊魔法で雪をかき分けながら道を作ってこちらに進んできた。
雪が風に乗って左右へと流れ、まるで見えない箒が掃いたかのように、すっと通り道が現れた。
白銀の世界の中で、その光景はどこか幻想的だった。
理玖は目を輝かせ、食い入るように見つめている。
――また、真似をしたくなるに違いない。
私は苦笑しながらも、胸の奥で小さな予感を覚えていた。
「お兄ちゃん……待ってよー」
ラウロの後ろから、息を切らした声が追いかけてくる。
振り向けば、シュシュが必死の形相で駆けていた。
ラウロが精霊魔法で切り開いた道を、転ばないように両手を広げて進んでいる。
「あら、シュシュも来たのね」
「シュシュ!」
理玖の声がぱっと弾けた。
三日間、家の中に閉じこもりきりで退屈していたのだ。嬉しさが全身からあふれている。
「ああ、こいつもこの三日間、外に出られなくてな。退屈してたんだ」
「嬉しいわ。理玖も同じだったもの」
私が笑うと、ラウロはにやりと笑って手を打った。
「よし、シュシュ、リク。雪だるま、作るぞ!」
三人はさっそく小さな雪玉を作り始める。
それを魔法で軽く浮かせながら、地面を転がしていくと、雪球はみるみる大きくなっていった。
子どもというのは、どこの世界でも同じらしい。
頬を赤くしながら、寒さも忘れてはしゃいでいる。
その様子は、雪の白さよりもまぶしく感じられた。
「よし、うまくできたな」
「うん、お兄ちゃん、じょうず!」
「できた、できたー!」
家の横に、大きな雪だるまと、その隣に寄り添う小さな雪だるまが並ぶ。
まるで兄弟のようで、思わず頬がゆるんだ。
「ふふ、上手にできたわね。ラウロ、シュシュ、お腹空いてない? よかったらお昼、食べていかない?」
「「いいの?」」
二人の瞳が、ぱあっと輝く。
「もちろんよ。さあ、中へどうぞ」
「かあしゃん、お昼なあに?」
理玖が期待に満ちた顔で見上げてくる。
「そうねぇ……理玖の好きなオムライスにしようかしら」
「オムライス、やったー!」
「「おむらいす?」」
ラウロとシュシュが同時に首をかしげた。
「あら、知らないの?」
「知らない」
二人は揃って首を横に振る。
どうやら小人族の間には、オムライスはまだ伝わっていないらしい。
卵かけご飯はあるのに、オムライスはない……。
やっぱり、調理の手間が関係しているのかしら。
私だって、ケチャップがなければ作ろうとは思わなかっただろう。
もらった調味料の中に、ケチャップは入っていなかった。
味噌、醤油、塩、砂糖――基本的なものはそろっているのに、どうやら食品工房ではまだ作られていないらしい。
けれど、野菜の中にトマトを見つけたとき、ふと思いついた。
潰して、塩と砂糖を加えて煮詰めれば、それらしくなるのでは、と。
半信半疑で作ってみた“ケチャップもどき”は、意外にも悪くない出来だった。
せっかくだからとオムライスに仕立ててみたら、理玖が目を輝かせて喜んだのだ。
――子どもって、どうしてあんなにオムライスが好きなんだろう。
そんなわけで、さっそく腕を揮うことにした。
温めたフライパンに大豆油を落とし、溶き卵を流し入れる。
火加減に気をつけながら、ふわりと半熟に仕上げていく。
中には、甘酸っぱいトマトご飯。
本当は、鶏肉とかベーコンがあればもっと美味しくなるけど、玉ねぎと他の野菜のみじん切りを入れてみた。
皿にのせ、上から赤いソースをとろりとかける。
「おお、すげー! 卵がふわふわだ」
「おいしい! この赤いソース、なあに?」
ラウロとシュシュの反応は上々だった。
頬をほころばせながら夢中でスプーンを動かしている。
「ケチャップっていうのよ。トマトから作ったの」
そう教えると、シュシュはぱっと顔を上げた。
「お母さんに言って、食品工房で作ってもらう!」
それは名案だ。
村のみんなに行き渡るようになれば、料理の幅も広がる。
今度、アロアさんに作り方を教えてあげよう。
そう思いながら、空になっていく皿を見て、私はひそかに満足した。
雪の日の台所は、思いのほかにぎやかで、あたたかい。
けれど、その温もりの奥で、ひとつだけ心に引っかかることがあった。
――最近、理玖が夜中にうなされるのだ。
「かあしゃん、いっちゃヤダ……!」
眠ったまま、そんな言葉をこぼすこともある。
小さな手で、私の服をぎゅっと掴みながら。
昼間はあんなに楽しそうに笑っているのに。
ラウロやシュシュと無邪気に遊び、はしゃぎ、声をあげて。
その姿からは、不安の影など微塵も感じられない。
けれど、もしかしたら――。
慣れない世界。
小人族という明らかに人とは違う種族たち。
見たこともない景色。
幼い心の奥で、言葉にならない不安を抱えているのではないだろうか。
私自身、ときどき胸が締めつけられることがあるのだから。
笑い声に包まれた台所の片隅で、私はそっと理玖を見つめる。
無邪気な横顔に、ほっとしながらも、同時に胸の奥がじわりと痛んだ。
このまま元の世界に戻ることはできないのだろうか?
今はまだ幼い理玖も、いずれ気づくだろう。
自分が小人たちとは違う存在だということに。
たとえこの世界で生きていくとしても――理玖の未来はどうなるのだろう。
年頃になっても、恋一つできないかもしれない。
結婚だって、望めないだろう。
考えれば考えるほど、心の中に暗い影を落としていく。
子どもたちの明るい声が響く。
その様子に頬をゆるめながらも、私の心だけが揺れていた。
昨夜、眠りの中で見せたあの表情が、ふいに脳裏によぎる。
幼い顔が苦渋に歪む様子は、昼間の無邪気さとあまりにも違いすぎて、拭いきれない違和感が残った。
理玖の中に、何かが潜んでいる――そんな感覚が離れない。
その先を知る勇気が、まだ持てなかった。
きっと、悪い夢を見ただけ。
そう無理やり自分に言い聞かせて、私はその違和感にそっと蓋をしたのだった。




