第30話 軟膏作り
翌朝――。
相変わらず朝に弱い私は、理玖に体を揺すられてようやく目を覚ました。
「かあしゃん、だれかきたよ」
重たいまぶたをこじ開けると、天井の魔導灯が淡く明滅しているのが見える。来客の合図だ。
私は慌てて上半身を起こし、自分の格好を見下ろした。
ジャージ姿のまま。
「……うん、まあ、いいか」
どうせ訪ねてくるのは村の小人たちだ。
それに、この寒さの中で外に待たせるほうが申し訳ない。
半ば言い訳のように自分を納得させ、理玖と一緒に階下へ降りる。
肩まで伸びた髪を後ろでひとつに結び、玄関へ向かった。
扉を開けると、白い息を弾ませたラウロが立っていた。
外の寒さで鼻の先が赤くなっている。
「イオリ様、瓶、持って来たよ!」
寒さなんてものともしない元気いっぱいの声とともに、箱いっぱいのガラス瓶を差し出してくる。
「あら、こんなに? ありがとう、ラウロ。よかったら入って。寒かったでしょう?」
「ごめん、イオリ様。これから父ちゃんとラフのおっちゃんたちと、小海に漁に行くんだ」
そう言うなり、ラウロはくるりと背を向け、雪を蹴って駆け出していった。
その後ろ姿を見送りながら、思わず頬が緩む。
元気そうで何よりだ。
――小海。
この世界に来たばかりのころ、一度だけ連れていってもらった場所だ。
それきり、足を運んでいない。
また、行ってみようか。
けれど、外はかなり冷え込んでいる。
想像しただけで、肩がすくむ。
……いや。
あの寒さの中で、漁に励んでいる人たちがいるのだ。
私は小さく息を吐き、そう自分に言い聞かせた。
明日あたり、理玖を連れて行ってみよう。
今日はアエロ軟膏作りがある。
箱いっぱいの瓶を抱えながら、私は静かに胸を高鳴らせた。
この世界での「初めての手作り薬」を今から作るのだと。
理玖は、机に向かって夢中でお絵描きをしている。
ときどき、
「り・く」
「い・お・り」
と、小さな声で区切りながらつぶやいているのは、きっと文字を書いているのだろう。
文字を教え始めてから、理玖は声に出しながら書くようになった。
そのほうが形を思い浮かべやすいのかもしれない。
その姿に目を細めながら、私はキッチンへ向かった。
――さあ、アエロ軟膏作りだ。
まずは、ラウロが持ってきてくれた瓶を丁寧に煮沸消毒する。
ことことと湯が沸く音が、静かな部屋に広がる。
次に、鉢植えのアエロから、肉厚な葉を選んで切り取った。
ナイフで切れ目を入れると、ぷつり、と青い皮が割れ、透明なゼリー状の果肉がとろりと顔を出す。
縁からにじむ黄色い汁を、布で丁寧に拭き取る。
「この汁は苦くて、肌には強すぎるからねぇ」
おばあちゃんの声が、ふっとよみがえった。
皮をむき、透明な果肉だけを硝子の小鉢へ落としていく。
包丁で細かく刻むたび、しゃく、しゃく、とみずみずしい音が響いた。
そこへ、淡い琥珀色の大豆油を静かに注ぐ。
油はゆっくりとアエロを包み込み、光を反射してやわらかく揺れた。
小鍋に湯を張り、湯せんにかける。
立ちのぼる湯気の向こうで、私は木べらをゆっくりと動かした。
「焦らないこと。薬は、急がせると拗ねるから」
これも、おばあちゃんの口癖だった。
傷が早く治りますように、ついでに肌がつやつやになりますように。
そんな願いを込めて、静かにかき混ぜ続ける。
――そのとき。
一瞬、液体が淡く光った気がした。
え……?
思わず手を止める。
だが、目を凝らして見ても、アエロ液は半透明の薄緑色のまま。
気のせい……?
首をかしげながらも、作業を続ける。
三十分ほど経つころには、アエロの果肉は白っぽく変わり、油にはわずかなとろみがついていた。
布で丁寧にこし、澄んだ液体だけを小瓶に移す。
冷めるにつれ、ゆるやかな粘度が生まれていく。
指先に一滴取り、自分の手の甲に塗ってみた。
とろり、とした感触。
思ったよりも軽い。
肌に触れた瞬間、ひやりとした冷気がすっと走る。
――冷たい。
けれど、それは不快な冷えではなかった。
油はべたつかず、すっと肌の奥へ沈み込み、代わりに薄い膜を残す。
守られている――そんな感覚。
「……これ、ハンドクリームにもいいかも」
思わず小さく笑う。
出来栄えは上々だ。
村のみんなにも配ってみようか。
小人たちがどんな反応をするのかはわからないけれど。
――それにしても。
あの一瞬の光は、いったい何だったのだろう。
湯気の向こうで、小瓶の中の軟膏が、わずかに揺れた気がした。
いつの間にか、理玖は机に突っ伏したまま眠ってしまっていた。
抱き上げて、ソファに寝かせ、そっとブランケットをかける。
規則正しい寝息が、静かな部屋に溶けていく。
暖炉の火が、ぱちぱちと薪をはぜさせる。
その音を聞いていると、時間までがゆっくり流れているように感じられた。
ふと窓の外に目を向ける。
夕暮れの淡い橙色の空に、白いものがちらちらと舞っていた。
また雪が降り始めたらしい。
しかも今度は、大粒だ。
この様子では、明日の朝にはかなり積もっているだろう。
――小海へ行くのは、無理そうね。
少し残念に思う。
けれど同時に、あの冷たい風の中へ出ずに済むことに、ほっとしている自分もいる。
期待と安堵が入り混じり、思わず苦笑がこぼれた。
窓の向こうでは、音もなく雪が降り続けている。
世界はゆっくりと白く塗り替えられていく。
私は暖炉の火にもう一本薪をくべ、眠る理玖の頬をそっと撫でた。
明日の朝、どんな景色が広がっているのだろう。




