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2歳の息子と異世界転移——賢者と呼ばれた我が子の隠された秘密  作者: 梅丸みかん


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第20話 小海

 ミズチのことを考えると、胸の中がもわもわして足取りが重くなる。

 私は理玖の手を引いて歩きながら小さな溜息を吐いた。


 よし。

 意を決して、前を歩くラウロの背中に向かって声をかける。


「ねぇ、ラウロ。ミズチって、どんな姿をしているの?」

 昨夜、ベッドに入ったあと、どんなに振り払ってもそのことばかり頭に浮かんだ。


 そのせいで、なかなか眠れなかったのだ。

 いったいどんな恐ろしい姿をしているのか、と。


 先代賢者との約束で小海を作った存在だ。

 ならば、少なくとも意思の疎通はできる存在なのだろうからきっと大丈夫。


 そう何度も自分に言い聞かせ、なんとか朝を迎えた。


 危うく寝坊するところだったけれど、なんとかラウロが迎えに来る直前に目を覚ますことができた。

 ……正確には、理玖に起こされたのだけれど。


「ああ、俺も会ったことがない」

「会ったことがない……?」

 思わず足が止まりそうになる。


「え? だって、小海はミズチが作ったんでしょ? 海と小海の底がつながってるって、長老が言ってたよね」

「うん。でも、じいちゃんは、先代賢者様がこの世を去ってから、ミズチは姿を現さなくなったって言ってた」


「……そうなんだ」

 私は知らず、肩から力が抜けていた。


 本当にいるのか分からない存在を怖がっていたのかと思うと、少しだけ可笑しい。

 私はそんな複雑な思いを抱えながら、再びラウロの後ろを歩き出した。


「にーたん、て……」

 そのとき、理玖がラウロに向かって小さな手を伸ばす。


「ん? なんだ?」

「ラウロ、理玖がね、お兄ちゃんと手をつなぎたいんだって」

 私が通訳すると、ラウロは一瞬きょとんとしたあと、わずかに頬を赤らめた。


「……仕方ねぇなぁ」

 ぶっきらぼうに言いながらも、ちゃんと理玖の手を握る。


 私たちは理玖を真ん中にして手をつなぎ、三人並んで歩き出した。

 朝のひんやりした空気の中、ラフさんとの待ち合わせ場所へ向かう。


 畑の前までいくと、ラフさんがちゃんと待っていてくれた。

 さわさわと冷たい風が、収穫が終わりかけた畑のなかを通り過ぎる。


「イオリ様、ちゃんと起きられたようだな」

「ええ、まあ、なんとか」

 私は苦笑する。


 実際には理玖に起こされたのだけれど、それは黙っておこう。


「リク様も小さいのにえらいぞ」

 その穏やかな声に、張りつめていた気持ちが少しだけほどけた。


 それから十分ほど歩いたところで、視界がぱっと開けた。

 目の前に広がっていたのは、大きな湖のような水辺。


 きっと、あれが小海だ。

 水面は空の青をそのまま溶かし込んだかのように澄みわたり、浅瀬には白い砂や小石が透けて見える。


 さざ波が寄せるたび、陽光が揺れて、水底にやわらかな光の模様を描いていた。

 小海を囲む山々は深い緑に包まれ、その向こうに重なる峰々は淡い青へと溶け込んでいる。

 

 鼻に届いた微かな潮の香りが、ただの湖ではないことを示している。


「きれい……」

 それ以上の言葉が見つからなかった。


「ちれい……」

 少し遅れて、理玖も私のまねをする。

 その声に、ラフさんが小さく笑った。


「さて、ラウロ。あそこの小屋から網籠を持ってこい」

「わかったよ、ラフのおっちゃん」

 ラウロはすぐそばに見える小屋へと駆け出していった。


「えっと、あの小屋は?」

「休憩所と物置を兼ねている。それから、あの向こうにあるのが塩田だ。あそこで塩を作っている」

 ラフさんが指さした先を見ると、浅い水が四角く区切られて並んでいるのが見えた。


 塩田……初めて見る。

 どこまでも白く、静かで、まるで周囲の音まで吸い込んでしまいそうなほど清らかだ。


「ラフのおっちゃん、最初は俺にやらせてくれ。練習したから、今日はできると思うんだ」

 そう言いながら、ラウロが戻ってきた。


 大きな網籠をふわりと浮かせて運んでいる。

 ――やらせてくれ、って何を?


 それに、網籠だけで魚がとれるの?

 私の頭の中は、あっという間に疑問でいっぱいになった。


「おっちゃんは、網籠を広げておいて」

「あいよ」

 ラウロの言葉にうなずき、ラフさんは大きな網籠をふわりと浮かせたまま広げ、小海の岸辺近くへと移動させる。


「よし、じゃあいくよ」

 ラウロは水際に立ち、ゆっくりと両手を持ち上げた。


 その瞬間、風が巻き起こる。

 風は水面をなぞるように走り、くるくると回転しながら沖へと滑っていった。


 進むにつれ回転はどんどん速くなり、水を巻き上げていく。

 やがて水面が大きくえぐられ、ひときわ高い水柱が立ち上がった。


 ――水の竜巻。

 轟音はない。


 ただ静かに、しかし圧倒的な存在感で湖面にそびえ立つ。

 それはさらに大きくなりながら、岸へと近づいてきた。


 思わず理玖を抱き寄せる。

 やがて竜巻が岸近くまで来ると、不思議なことに水だけがするりと小海へ戻っていった。


 残されたのは――

 竜巻の中心で、ぐるぐると回り続ける無数の魚。


 銀色の鱗が朝日に反射し、きらきらと光を散らす。

 竜巻は網籠の真上まで来ると、次第に勢いを弱め、やがてふっと風がほどけた。


 支えを失った魚たちは、そのまま網籠の中へとばらばらと落ちていく。

 気がつけば、網籠は魚でいっぱいになっていた。


 私はただ呆然と、その光景を見つめる。

 昨日までどこか子どもっぽく見えていたラウロが、今はひどく頼もしい。


 こんな力を、ずっと練習していたんだ。

 胸の奥が、じんわりと熱を帯びる。

 そのとき――


「ちゅごい! ちゅごい! にーたん、ちゅごい!」

 理玖が興奮したように岸へ駆け出す。


「理玖!」

 私が叫ぶ。


「お、おい、リク様、あぶねぇ!」

 ラフさんの声が重なる。


 その瞬間、理玖が砂に足を取られて転んだ。

 風にあおられた波が押し寄せ、小さな体をびしょ濡れにする。


「ふ、ふぇーん、かぁたん……」

 べそをかく理玖に駆け寄り、抱き上げる。


 リュックからタオルを取り出し、体を拭く。

 こういうこともあろうかと、ちゃんとタオルも着替えも持ってきていた。


 小さな子どもを水辺に連れて行くときの、いわば常識だ。

 素早く着替えさせると、ラフさんとラウロが魔法で理玖の体を乾かしてくれた。


 そのときだった。

 ふと、小海が淡く光った。


 何事かと目を凝らす。

 ――静かすぎる。


 風が凪いで、つい先ほどまで聞こえていたはずの、波の音が消えていた。

 木々のざわめきさえ、どこか遠く感じる。

 水際がすっと引き、砂浜の面積が広がっていく。


 それはまるで、何かに道を譲るような動きだった。

 胸の奥が、理由もなくざわつく。


 すると、沖のほうに、小さな水輪が生まれた。

 ひとつ、またひとつと重なり、やがて幾重もの波紋となって広がっていく。


 ――来る。

 根拠はないのに、そう確信していた。

 次の瞬間。


 ざぶんっ、と低く重い音が響く。

 水面が盛り上がり、内側から押し上げられるように裂けた。


 現れたのは、虹色に淡く光る鱗。

 それは蛇というより――


 もっと神々しい存在。

 龍と呼ぶほうが、ふさわしい姿だった。


 ——魔獣……というよりも、確かに小人たちが言う通り”神”だと思った。

 喉の奥がひりつく。

 その姿に私は息をするのさえ忘れそうになる。


 あまりにも神々しくて、あまりにも現実離れしている存在……

 怖いはずなのに、目が離せない。

 それは恐怖ではなく、もっと抗えない感情だった。


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