第17話 小人たちの畑
外に出ると、三つ並んだ建物の奥に、ひときわ大きな建物が目に入った。
「あの奥の建物は、何の工房なんですか?」
指を差して尋ねると、アロアさんはそちらへ目を向ける。
「ああ、あそこは魔導機工房よ。でも、今はあまり使っていないの」
「魔導機?」
「まじょーき?」
理玖が首をかしげて、アロアさんを見上げる。
「あら、リク様も興味がありますか?」
やさしく笑いかけてから、アロアさんは説明を続けた。
「ほら、家の中を明るくする“天の灯り”とかね。ああいうのをまとめて魔導機って呼ぶんですよ」
ああ、あれね。
賢者の家で天井がふわりと明るくなった瞬間を思い出す。
まるで朝が部屋の中に落ちてきたみたいに、やわらかな光だった。
「あとは、衣類をきれいに洗浄してくれるものとか、食品を保存してくれる箱とかもあるの」
――電化製品のようなもの、ということか。
「使われてないってことは、今は魔導機を作ってないんですか?」
気づけば、そう口にしていた。
「……先代賢者様がいらした頃はね」
アロアさんの声が、ほんの少しだけ沈む。
「あそこで、魔導機作りが得意な者たちと一日中こもって、先代賢者様が考案したものを色々作っていたの。でも――」
そこで言葉が途切れる。
風が、建物の壁をなでるように通り抜けた。
軋む音はしない。ただ、誰もいない空間にだけ風が触れているような、不思議な静けさがあった。
「今はもう、十分にそろっているから。新しく作らなくても困らないのよ」
そう言って、アロアさんは少しだけ誇らしげに笑う。
けれど、その笑みの奥に少しの寂しさを感じた。
――きっと、あの場所には先代賢者との思い出が詰まっているのだろう。
だからだろうか、あの建物は、ただ静かなのではなく――
ただ時間だけが、そこに置き去りにされているようにも見えた。
隣で、理玖がそっと私の手を握り直した。
見下ろすと、理玖は首を傾げたまま魔導機工房の方をただじっと見つめてる。
「でも、百年前に作られたものが、今も使えるんですか?」
「ええ。半永久的に働く術式を組み込んであるの。先代賢者様が編み出してくださったのよ」
淡々とした言葉のはずなのに、その重みが違う。
そんな優れた技術を編み出すなんてどれほど優秀だったのか……
「あら……?」
ふと視線をずらすと、魔導機工房の隣に、小さな建物が見えた。
他の建物の陰に隠れていたせいか、先ほどまで気づかなかった。
「ああ、あれは細工場。木やガラスを扱う工房よ。使いたい人が、好きなときに使うの」
決められた役割に縛られない、ゆるやかな仕組み。
この村の空気そのもののようで、私は小さく息をついた。
ひととおり見学を終え、皆に礼を述べてから、私たちは畑へ向かうことにした。
「かぁたん、どこ、いくの?」
理玖が見上げる。
「次はね、畑に行ってみようと思うの」
「はたけ……?」
「そう。お野菜をたくさん育てている場所よ。ほら、理玖の好きなきゅうりがあるかもしれないわよ」
昨日の宴で出された、きゅうりに味噌をつけた一皿を思い出しながら言う。
私の言葉を聞いた理玖の顔がぱっと輝いた。
「ちゅうり! うん、りくも、ちゅうり、みにいく」
小さな拳を握りしめ、興奮気味に繰り返す。
「ふふ、じゃあ行こうか」
「うん! ちゅうり、ちゅうり」
理玖は嬉しそうに口ずさみながら、私の手を引いて歩き出す。
その足取りは軽く、小さな靴が土を弾くたびに、乾いた音がした。
やがて視界が開け、風が変わる。
湿った土の匂いが、まとわりつくように鼻をくすぐった。
一面に広がる畑。
そこかしこで、小人たちが手を動かしている。
「……すごい」
思わず、声がこぼれた。
理玖はすでに私の手を離し、畝のそばにしゃがみこんでいる。
葉に触れ、土をつまみ、興味深そうに匂いをかいでいた。
「いっぱい、ある……」
小さな指が指し示す先には、きゅうりだけでなく――
キャベツ、大根、にんじん、トマト、かぼちゃ、とうもろこし。
それぞれが、まるで“今が旬だ”と主張するかのように、力強く実っている。
「いっぱいだね」
「え……ええ、そうね」
たくさんの野菜たちを見て、理玖の瞳がキラキラ輝いてる。
でも、私は目の前に広がる風景を唖然として見ていた。
実り豊かな畑……
というより――
おかしいでしょう。
……いくら異世界でも豊かすぎる。
完全に季節を無視してる。
言葉もなくその場に立ち尽くす。
「あっ、にーたん!」
そのとき、理玖が一点を指さして叫んだ。
その声に反応したのか、赤髪の少年小人――ラウロがこちらを振り向いた。
「あれ? イオリ様、リク。手伝いに来てくれたのか?」
ラウロが元気よく叫ぶと、背後にいた彼よりひと回り大きく、がっしりとした体つきの小人の男性が、ぽかんとその頭を叩いた。
「おい、ラウロ。そんなわけないだろうが」
そう言うと、その男性は一目散にこちらへ駆けてくる。
「イオリ様、リク様。お散歩ですかい?」
「えっと……すみません。昨日の宴でお会いしたと思うのですが、まだお名前をきちんと覚えられていなくて……」
語尾を濁しながら言うと、男性は豪快に笑った。
「いやいや、構いやせんよ。俺はラウロの父、ロッソでさぁ」
「ロッソさん。お仕事お疲れさまです。それにしても、この畑……すごいですね。いろんな野菜があって」
「そうでしょう、そうでしょう」
ロッソさんは誇らしげに胸を張った。
「先代賢者様が、生前にこの畑へ作物が実りやすい術式を施してくださってね。水やりだけで十分実るんでさ」
私は、もう一度畑を見た。
風に揺れる葉。
規則正しく並んだ畝。
色とりどりの野菜たちが当たり前のように並んでいる。
「ただし、冬は土を休ませる必要がある。術式も、年に一度は整えねぇといけねぇ」
ロッソさんの声が続く。
「昔は失敗も多くてね。数日で枯れちまったり、実が妙に小さかったり……それでも何度も試して、今の形になったんでさ」
先代賢者が亡くなってから百年。
その技術はずっと維持し続けている。
そんなことができるなんてすごすぎる……
私は、ちらりと理玖を見る。
土だらけの手で、きゅうりの葉を撫でている。
ただ、それだけの仕草なのに――妙に、その光景が遠く感じた。
こんなにも優れた先代賢者の“後継”に理玖がなれるのだろうか。
小人たちはそれを疑っていないようだけど、理玖が賢者だなんていまだに受け入れられない。
だけどーー
もし、ずっとこの場所で暮らしていくことになるとしたら、理玖が役割を果たさないといけないような気がしてきた。
でも、こんな幼い理玖に今からそんな期待を寄せたくない。
理玖を守りたい。
それにはどうしたら……
いったい、私にそんな力があるのだろうか……
この世界で……たとえばこの村以外でも生きていけるだけの力が……
いろんな思考が交差して胸の奥に不安が過り、まるで海の底を彷徨うように心の行き場がなくなる。
ぶん、と小さく頭を振って、その思考を追い払った。
「イオリ様?」
ロッソさんが私の顔をのぞき込む。
私が暗い顔をしていたのに気づいたのかもしれない。
「リク様はまだお小さい。肩肘張らず、ゆっくりいきやしょうや」
不器用な言葉。
けれど、真っ直ぐだった。
「……ええ、そうですね」
私は小さく笑って、うなずいた。
そのとき、
「なあ、お父。明日、ラフのおっちゃんが小海に漁に行くって言ってたんだけど、俺も行っていいか?」
いつの間にか、ラウロがロッソさんの背後まで来ていた。
「おう、いいぞ。イオリ様とリク様にも、うまい魚をとってきてやれ」
ロッソさんが豪快にうなずく。
――小海。
どんな場所なのだろう。少し、見てみたい。
私は恐る恐る口を開いた。
「あの……私と理玖もご一緒していいですか? お手伝いはできないかもしれませんし、見ているだけになると思うんですが……小海を見てみたくて」
ロッソさんとラウロは、一瞬目を丸くして私を見た。
けれどすぐに顔を見合わせ、うなずいてくれる。
「もちろんでさ。きっと、みんな歓迎しますよ」
「ありがとうございます」
私はついさっき、心に広がった思考を追い払うかのように声を弾ませた。
――この村には、まだ知らない“何か”が隠れている気がする。
今はそれを楽しむことにしよう。
悩んでいても時間は同じように流れていくのだから。




