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2歳の息子と異世界転移——賢者と呼ばれた我が子の隠された秘密  作者: 梅丸みかん


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第110話 ジェロール帝国【異界の聖女の謎】

 執務室に静寂が落ちた。

 窓の外からは夕陽が差し込み、薄暗い部屋の中を淡く照らしている。


 振り子時計が時を刻む。

 カチ、コチ、カチ、コチ……

 その音だけが妙に大きく聞こえた。


「……何だと?」

 ベルドルフの眉間に深い皺が寄る。

 机の上に置いていた羽根ペンを指先で止めた。


「魔力測定ができない?」

 低く落ちた声にエステラは微かに顎を引いた。


「はい。クオン立ち会いのもと、複数回検査を行いました」

 ベルドルフは返事をせず、視線だけが机上を滑らせた。


 魔力測定器――それは魔導院の誇りだった。

 長い年月をかけて改良を重ねてきた最高峰の解析装置。


 理論構築はヴァルドレイン。

 組み上げと実験はクオン。


 幾人もの大魔導士たちの知識と執念が注ぎ込まれている。

 測定不能――そんな結果は記録に存在しない。


 仮に故障していたとしてもクオンが気づかないはずがなかった。

 あの男は魔導機に関して異常なまでの執着を持つ。


 少しの誤差も見逃さない。

 ましてや装置の異常などあり得ない。


「異界人だから、という可能性は?」

 エステラが口を開く。

 ベルドルフは即座に首を横へ振った。


「ない」

 断言だった。


「その測定器の原型は初代賢者が作り上げたものだ」

 椅子の背にもたれながら天井を見上げる。


 古びた文献。

 百年前の記録。

 それらが脳裏によみがえる。


「賢者自身が自らの魔力を測定したという記録が残されている。異界人である彼を測れたのなら、今回だけ例外になる理由がない」


 夕陽が照らす琥珀色の瞳の奥で思考が渦を巻く。

 明らかに何かがおかしい。


「測定阻害の魔導具は?」

「確認しました」

 エステラが即答する。


「身体検査も行いましたが、それらしい反応はありません」

「……ふむ」

 ベルドルフの指先が一定の間隔で肘掛けを叩く。


 トン、トン、トン……

 異界人。

 測定不能。

 賢者。


 脳内で点と点が結ばれていく。

 そして浮かび上がる一つの仮説……賢者が何かを残したのか。


 あるいは……何かを隠した……か。

 そう考えれば少なくとも現時点では説明がつく。


「ですが」

 エステラが報告を続ける。


「薬の方は間違いありませんでした」

 ベルドルフが顔を上げる。


「ほう?」

「私たちの目の前で薬を調合させました」

 エステラの声音に、わずかな驚きが混じる。


「完成した薬から高濃度の癒しの魔力を検出しております」

 ベルドルフの目が細くなった。


「高濃度?」

「はい、量も質も、一般的な治癒術師の域を超えています」

 再びの沈黙が流れる。


 ベルドルフはゆっくりと息を吐いた。

 ならば間違いない。

 あの女は聖女だ。


 問題はその先にある。

 なぜ測れないのか。


 何かを隠しているのか。

 それとも……本当に本人が知らないのか。


「エステラ」

 声が落ちる。


「はい」

「引き続き監視を続けろ」


 静かな命令だった。

 だが、その一言には決定が込められている。


「なぜ魔力測定ができなかったのか。必ず突き止めるのだ」

 エステラは胸に拳を当てた。


「承知いたしました」

「聖苑にいる聖女たちにも観察を命じます」

 ベルドルフは頷く。


「日々の言動。交友関係。行動範囲。全てだ」

「逐一報告させます」


「お前自身も定期的に様子を見ろ。それから、君の後任はヴァルドレインに任せることにする。早急に引き継ぎを済ませろ」

 エステラは一瞬だけ目を見張った。


「かしこまりました」

 だが、礼をするとすぐに踵を返した。

 重厚な扉が静かに開き、やがて扉が閉まった。


 ベルドルフは一人残された執務室で窓の外を見つめる。

 夕陽が王都を赤く染めていた。


 異界から来た聖女。

 測定できない魔力。

 そして賢者の残した影。


 ゆっくりと髭を撫でる。

 ベルドルフの瞳から笑みは消えていた。


「……さて」

 誰に聞かせるでもなく呟く。

 窓ガラスに映る自分の顔は、獲物の足跡を見つけた狩人のようだった。


 ベルドルフは椅子の背にもたれたまま、机上に置かれた報告書へ視線を落とした。

 高濃度の癒しの魔力。


 極めて高い適性。

 そして――測定不能。


 紙に記された文字をもう一度追う。

 当然、結果は変わらない。

 だが、何度見ても胸の奥に小さな棘が残る。


「……大聖女様へ報告せねばならんな」

 低く呟く。


 窓の外から吹き込む夕風が、机の上の書類を微かに揺らした。

 ベルドルフは眉間を押さえる。

 できることなら他の者に任せたい。


「ヴァルドレインか……」

 ぽつりと名前を口にする。


 だが、すぐに首を振った。

 あの男は近々、幽玄の森へ向かう準備で忙しい。


 こんな報告のために呼び寄せるわけにはいかない。

 結局、自分が行くしかない。


 そう思うだけで胃の奥が重くなる。

 ベルドルフはゆっくりと立ち上がり、窓辺へ歩み寄った。


 白亜の大聖堂を見た瞬間、表情が僅かに曇る。

 巨大な尖塔。

 黄金の聖印。


 神々しいほどに整えられた外観。

 まるで天上の理想を地上へ切り取ったような建築物。


 誰もが敬意を抱く。

 誰もが憧れる。

 だが、ベルドルフはあの場所へ足を踏み入れるたびに感じるものを知っていた。


 胸の奥を這い回るような違和感。

 呼吸が少し浅くなる感覚。


 理由は説明できない。

 長年魔力と向き合ってきた勘……それだけだった。


 しかし、その勘は幾度となく彼を生かしてきた。

 だから無視できない。


 大聖女は美しい。

 慈悲深い。


 民から愛されている。

 誰もが口を揃えてそう言う。


 ベルドルフも表向きは肯定する。

 だが、その微笑みの奥に何かがある。


 深い井戸の底を覗き込んだ時のような底知れぬ闇。

 冷たい何か。

 それを感じるたび、背筋が粟立つのだ。


「……」

 窓ガラスに映る自分の顔を見る。


 いつの間にか髭を撫でる手に力が入っていた。

 報告を怠るわけにはいかない。


 それだけは絶対だ。

 大聖女は聖女たちの魔力測定結果を必ず求める。

 一人残らず、例外なく。


 癒しの魔力の量、質、成長速度。

 すべて……まるで何かを選別するように。


 もちろん表向きの理由は存在する。

 次代の大聖女を決めるため。


 誰もがそう教えられる。

 ベルドルフ自身もそう聞かされてきた。


 だが、それ以上は誰も知らない。

 いや、知ることを許されない。


 その先にある真実へ辿り着ける者は限られている。

 大聖女、大司祭、そして皇帝。


 たった三人の帝国最高権力者たちだけだ。

 それ以外は歴代の大魔導士であろうと知らされることはない。


 ベルドルフはゆっくりと目を閉じた。

 嫌な予感しかしない。


 だが、その報告を聞いた時の大聖女の反応は少し気になった。

 いや、気になるというより、不安だった。


「なぜだろうな……」

 誰に向けるでもなく呟く。


 ベルドルフの心とは裏腹に、西へ傾いた陽の光はなお皇城を赤く照らしていた。

 なのに、大聖堂だけは、なぜか内側から灰色の影が滲み出ているように見えたのだった。

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