第109話 聖女の証明
測定不可……って?
それって私のこと?
嫌な予感に胸がどくりと鳴る。
装置の向こう側では二人が何やら話し始めていた。
「クオン、どういうこと?」
「私にもわからない」
いつの間にかクオンの口調から余裕が消えている。
「こんな結果は初めてだ」
紙をめくる音、水晶を操作する音、慌ただしい気配。
「本当にイオリ様は癒しの魔力をがあるのか?」
その言葉に眉がぴくりと動く。
持っているかどうかなんて、私だって知らない。
ただ薬を作っただけだ。
するとエステラが即座に反論した。
「でも、あの薬には確かに癒しの魔力が溶け込んでいたわ」
「分析官の報告もそうだった」
「なら、その薬が本当にイオリ様によって作られたものだと証明できるか?」
空気が変わった。
部屋の温度が少し下がったような気さえする。
私は思わず膝の上の手を握りしめた。
疑われている……そう感じた。
「……そうね」
エステラが静かに呟く。
「なら私たちの前で作っていただきましょう」
「それが一番確実だな」
私の意思など最初から関係ないと言わんばかりだった。
ドームがゆっくり開くと、冷たい空気が流れ込んできた。
クオンがこちらを見る。
先ほどまでの礼儀正しい笑みは消えていた。
代わりにあるのは研究者の目……未知の現象を前にした時の目だ。
「イオリ様」
彼は穏やかな声で言った。
けれどその瞳だけは鋭い。
「少々予定を変更しましょう」
私はゆっくり立ち上がる。
椅子の肘掛けに置いた指先が、少しだけ震えていた。
どうやら今度は――薬作りを見せることになるらしい。
次に案内された部屋へ足を踏み入れた瞬間、鼻先を様々な香りがくすぐった。
青臭い草の匂い。
乾燥した葉の匂い。
甘い花の香り。
どこか刺激的な樹液の匂いまで混じっている。
壁際には棚がずらりと並び、無数の瓶や木箱が整然と収められていた。
まるで薬草店と研究室を一緒くたにしたような光景だった。
私は思わず棚を見回す。
知らない植物ばかり……葉の形も色も、見たことのないものだらけだ。
「ここは様々な素材を採取し、その成分を分析する部屋よ」
エステラが棚へ手を向ける。
「さあ、イオリ様。この中の材料を使って何でもいいから薬を作ってちょうだい」
「え……」
思わず固まった。
何でもいいから?
そんな無茶な。
喉の奥がひゅっと狭くなる。
私、本格的な薬なんて作ったことない。
小人族の村で作った軟膏だって、たまたまだ。
アロエによく似たアロウを見つけて。
昔、おばあちゃんが台所で作っていた薬を思い出して。
見よう見まねでやっただけだ。
薬師でもない、聖女でもない、ただの一般人なのに。
どうしよう。
視線だけが棚の上を彷徨う。
「あの……」
恐る恐る口を開く。
「私、ここにある植物が何に効くのか全然わからないんですけど……」
「ああ」
納得したようにクオンが小さく頷いた。
「そうだったな。イオリ様は異界から来られたのだった」
するとエステラが棚の一角へ歩いていく。
「そうねぇ……」
指先で一つの花を摘み上げた。
「レンドウなんてどうかしら?」
紫色の花だった。
細長い花弁。
凛とした佇まい。
「寝不足解消の効能があるの。一時的に目が冴えるわ」
なるほど、カフェインみたいなものかもしれない。
私は差し出された花を受け取る。
近づけると少し青臭い香りがした。
よく見ると、元の世界のリンドウによく似ている。
もしかして親戚みたいな植物なのかな。
名前も似てるし。
そんなことを考えながら作業台へ向かう。
目の前には石製のすり鉢と木製の乳棒。
これですり潰せばいいってこと……?
ちらりとエステラとクオンの方に視線を向ける。
じっと見ている。
すごく見ている。
逃げたい。
今すぐ帰りたい。
こんな公開実験みたいな状況で薬を作れと言われても困る。
でも作らなきゃいけない。
私はレンドウの花弁を摘み取り、すり鉢へ入れた。
ごり、ごり……
乳棒を動かすと花が潰れて、鮮やかな紫色がじわりと広がった。
青い香りが立つ。
ごり、ごり……ひたすら潰す。
次第に花から汁が滲み出て、紫色の塊になっていく。
……これでいいの?
全然わからない。
私、ほぼ花を潰してるだけなんだけど……
二人を見る。
エステラは真剣な顔で、クオンは腕を組んで観察している。
誰も止めないなら続けるしかない。
私は小さく息を吐いた。
そして心の中で呟く。
目が覚めますように。
頭がすっきりしますように。
仕事がはかどりますように。
受験生やハードワーカー向けの栄養ドリンクに祈るみたいな気持ちで。
それから少しだけ戸惑いながら、すっかり元の形を失った紫のピューレっぽいのを差し出した。
「でき……ました」
言っていて自信がない。
できたというより、潰しただけだ。
クオンが受け取ると、そのまま隣の分析装置へ向かった。
透明な水晶板。
複雑な魔法陣。
淡く光る測定器。
得体の知れない紫ピューレが装置へ入れられる。
静寂……
部屋の中から音が消えた気がした。
私は無意識に息を止めていた。
数秒……いや、もっと長く感じた。
やがて水晶板に光が走る。
クオンの眉が上がった。
「……これは」
エステラが横から覗き込む。
そして、二人の目が見開かれた。
私の胸が跳ねる。
な、何、失敗?
爆発でもする?
「癒しの魔力反応を確認」
クオンが静かに呟いた。
その声がやけに鮮明に耳へ届く。
「しかも予想以上に高濃度だ」
部屋がしんと静まり返る。
私は瞬きを繰り返した。
え……本当に?
こんな、ただ花をすり潰しただけなのに?
エステラがゆっくりとこちらを振り返る。
驚きと安堵が入り混じった表情で。
私はというと……胸の奥に詰まっていた息を、ようやく吐き出していた。
でも、その瞬間、胸の奥がひやりと冷えた。
……待って、癒しの魔力がないと思われた方が、ここから出られたんじゃ……?
なんで私は、あんなに真面目に薬なんて作ってしまったんだろう。
気づいた時には、もう遅かった。




