表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2歳の息子と異世界転移——賢者と呼ばれた我が子の隠された秘密  作者: 梅丸みかん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
108/111

第107話 決定事項

 ベルドルフの口元がふっと緩んだ。

 けれど、その笑みを見ても胸の圧迫感は消えない。


 机の下で握りしめた指先が冷たい。

 今しかない……言うなら今だ。

 私は意を決して口を開く。


「あの……私を、小人族の村に帰してください」

 声が震えないように気をつけた。

 それでも最後の方は少し掠れてしまう。


「ふむ……」

 ベルドルフはすぐには答えなかった。


 髭に覆われた顎へ手を添え、何かを吟味するように目を細める。

 振り子時計の音だけが静かに響いた。


 カチ、コチ、カチ、コチ……

 やけに長い沈黙。


「イオリ殿。なぜ、そこまで小人族の村にこだわるのですかな?」

 低い声が落ちる。


「彼らは我々とは異なる種族だ。文化も価値観も違う。イオリ殿は異界の者とはいえ、人間でしょう」

 琥珀色の瞳がまっすぐこちらを見る。


「ならば人間社会に身を置く方が自然。たとえ癒しの力がなくとも」

 余計なことは言わないように慎重に言葉を探す。


「小人族の皆さんは……」

 呼吸を整える。

 古い羊皮紙と木材の匂いが肺に入り込んだ。


「何もわからない私を受け入れてくれました。だから……少しでも恩返しがしたいんです」 

 言葉にすると、自分でも驚くほど素直な気持ちだった。


「ほう」

 ベルドルフがわずかに眉を上げる。


「イオリ殿がこの世界へ来た当初から、小人族はそのように優しく迎えてくれた、というのか?」

「はい」

 私は頷いた。


「食べ物だけじゃありません。服も用意してくださって、住む場所まで……本当にお世話になったんです」

 あの村へ帰りたい……

 

 理玖のいるあの村へ……

 その思いを押し隠しながら言葉を重ねる。


「なるほど」

 ベルドルフの指先が一度だけ机を軽く叩いた。

 とん……


「だが、それは少々信じ難いな」

「え……?」

 思わず聞き返した。

 ベルドルフは椅子にもたれながら続ける。


「小人族は、かつて奴隷としてこの城に囚われていたという記録がある」

 空気が冷えた気がした。


「長きにわたり人間に使役されていた。そんな彼らが、人間であるイオリ殿を見て警戒しなかったと?」

 どくり……心臓が跳ねた。

 しまった……


 その瞬間、自分でもわかるほど顔が強張る。

 そうだ、最初から彼らが私に親切だった理由……

 それは……次の賢者だと認められた理玖がいたからだ。


 だからこそ、その母親である私も受け入れられた。

 なのに、今の話では、その部分が抜け落ちている。

 まずい……余計なことを言った。


 どうする。

 どう誤魔化す。

 喉が急激に渇く。


 視界の端でベルドルフがわずかに口角を上げた気がした。

 獲物の反応を見逃さない狩人みたいに。


「そ、それは……」

 言葉がもつれる。

 落ち着け……落ち着いて。


「最初は警戒されていました」

 無理やり言葉を繋ぐ。


「でも……私に癒しの魔力があると知って、それで……」

 語尾が小さくなる。

 自分で言っていて苦しい。


 理由が軽すぎる……穴だらけだ。

 けれど他に思いつかない。

 ベルドルフはまばたきひとつせずに、しばらく黙ったまま私を見ていた。


「なるほど」

 そして……静かに頷く。


「……そういうことにしておこう」

 穏やかな声音だった。


 怒りもない。

 責める色もない。

 なのに背筋を冷たいものが這い上がった。


 まるで答案用紙の答えを見ながら、「不正解だ」と告げずにいる教師のように。

 ベルドルフの琥珀色の瞳だけが、静かにこちらを見据えていた。


「さて――」

 ベルドルフが椅子に深く腰掛け直した。


 窓から差し込む陽光が彼の横顔を照らす。

 柔らかな光だ。

 なのに、その琥珀色の瞳だけは少しも温かく見えない。


「我々が、なぜそこまで異界人を警戒するのか。お分かりか?」

 突然の問いに言葉が詰まった。


 私は小さく首を傾げる。

 答えられない、というより、何を答えれば正解なのかわからない。

 ベルドルフはそれを責めることもなく続けた。


「かつて異界より召喚された賢者は、この世界の人間を遥かに凌ぐ魔力を持っていたと伝えられている」

 静かな声。

 まるで昔話でも語るような口調だった。


「一人で国を滅ぼせるほどの力を」

 その一言で部屋の空気が重くなった気がした。

 ベルドルフの視線が私から外れない。


「ですから、帝国は、召喚した賢者に魔法を施したのだ」

 ドキドキと胸がうるさい。

 思い浮かんだのは小人族たちから聞いた話。


 奴隷紋……自由を奪う刻印。

 従わせるための呪い。


「致し方なかったのだ」

 ベルドルフは淡々と言った。


「国を守るためだったのだから」

 机の下で手を握る。

 爪が掌に食い込んだ。


 致し方ない?

 それで済むの?

 勝手に呼び出して、自由を奪って。

 それで国のためだから仕方ない?


「なら――」

 気づけば口が動いていた。


「どうして召喚なんてしたんですか?」

 声が震え、口調が少し強くなる。

 止められなかった。


「どうして異界から人を連れてきたんですか?」

 ベルドルフは眉ひとつ動かさない。

 ただ静かに答えた。


「当時この大陸は戦乱の只中にあった」

 窓の外から風が吹き込み、書類の端を揺らす。


「国々は争い続け、多くの命が失われていた」

 まるで正当な理由を並べるように。


「大陸を統一し、平定するためにはより強い力が必要だったのだ」

 私は唇を噛む。


「そして当時の聖女が神託を受けた」

 神託……その言葉に眉が寄った。


「女神アーシェラ様のお言葉だ。異界人は我々より優れた魔力と知識を持つ。ゆえにこの大陸を静定したいなら召喚せよ、と」


 女神アーシェラ……?

 なに、それ?


 けれど、その女神とかの一言で人生を勝手に決められた人間がいる。

 かつての賢者が。


 理玖が。

 そして私も。

 胸の奥で何かが煮え立つ。

 あまりにも勝手すぎる。


 呼び出された側の人生はどうなるの?

 家族は……

 友人は……

 元の世界で生きていた人の未来にあるはずだった時間は、全部どうでもいいというの?


「そして」

 ベルドルフの声が現実に引き戻す。


「あなたがこの世界へ召喚されたのも、女神アーシェラ様の思し召し」

 私は顔を上げる。


「ならばイオリ殿には、この国のために力を尽くす使命があるはずだ」

 使命……その言葉が妙に遠く聞こえた。


 そんなこと、誰が決めたの?

 私は、ただ理玖のところへ戻りたいだけだ。


 なのに、この人たちは最初から私の意思なんて考えていない。

 胸の中で反論が渦巻く。


 けれど口には出てこなかった。

 出したところで通じる気がしない。

 エステラもそうだった。


 目の前の男も同じだ。

 女神だの使命だの。

 最初から答えが決まっている。


 私はゆっくりと肩を落とした。

 木製の椅子が小さく軋む。


「それでは」

 ベルドルフが話を切り替える。


「まずはイオリ殿の癒しの魔力がどの程度のものか測定しましょう」

 まるで今までの話など前置きだったかのように。


「その後、聖女としての教育を受けていただきます」

 決定事項のようにベルドルフが言う。

 私の返事を待つ様子はない……きっと最初から決められていたのだ。

 


「エステラ、あとは頼んだ」

「かしこまりました」

 私の意向を無視して話は進む。


 静かに頭を下げたエステラが扉へ向かうと、重厚な木の扉が音もなく開いた。

 廊下からひんやりとした空気が流れ込んでくる。


 古い本と羊皮紙の匂いが少し薄まった。

 相変わらず穏やかな微笑みを浮かべたまま、エステラが振り返る。


「イオリ様。さあ、こちらです」

 私は立ち上がった。


 膝が少し重い。

 背後では振り子時計が変わらず時を刻んでいる。

 カチ、コチ……

 まるで何かの期限を数えるように。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ