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2歳の息子と異世界転移——賢者と呼ばれた我が子の隠された秘密  作者: 梅丸みかん


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第105話 魔導院の塔

 ヘルダの後を追い、回廊へ出た瞬間だった。

 視界の先に広がった光景に、私は思わず立ち尽くした。


 陽光を浴びて輝く白亜の城壁。

 空を貫くように伸びる無数の尖塔。


 深い蒼を湛えた屋根は雲ひとつない空と溶け合い、その輪郭さえ曖昧になるほどだった。

 まるで神話の中の宮殿だ。


 胸の奥がぎゅっと締めつけられる。

 大きい、なんていう言葉だけで片付けられるものではない。


 つい先ほど見上げた大聖堂ですら霞んでしまうほどの威容。

 幾重にも重なる城壁の向こうには無数の塔が立ち並び、その中心にはひときわ巨大な塔が天へ向かって伸びていた。

 雲に届きそうなほど高い……

 

 ただ、立ち尽くしていると、高所から流れ落ちてきた冷たい風が髪を揺らした。

 遠くで旗がはためく音がする。

 きっと、あれがジェロール帝国の皇城――この国の中心……権力の象徴だ。



 物語の中に登場する王城や皇城。

 英雄が集い、陰謀が巡り、王族が暮らす場所。


 けれど、実際に目の前にするとまるで違う。

 巨大な質量そのものが圧力になって押し寄せてくる。


 自分がどれほど小さな存在なのか、嫌でも思い知らされる。

 ヘルダは迷いなく歩き続けていた。


 私は慌てて後を追う。

 置いていかれたら困る。


 それなのに視線は何度も皇城へ引き寄せられてしまう。

 石造りの長い回廊を進む。


 白い円柱が規則正しく並び、その向こうには手入れの行き届いた庭園が広がっていた。

 朝露を残した草木が陽光を受けてきらきらと輝いている。

 柱の隙間から差し込む光は長い影を床へ落とし、金と黒の帯が果てしなく続いているようだった。


 どこからか花の香りが漂ってきた。

 遠くから鳥の囀りが聞こえ、ひんやりとした空気が頬を撫でる。


 靴底が石畳を打つ。

 コツ、コツ、と乾いた音。


 その音は回廊に反響し、やがて風の音に紛れて消えていく。

 すぐそこに見えるお城へ向かっているようなのに、なかなか辿り着けない気がした。


 やがて柱の列の先に巨大な扉が現れる。

 黒銀色の重厚な門。

 衛兵らしき人影も見える。


 皇城の入り口だろう。

 思わず背筋が伸びた。

 けれど、ヘルダはそのまま通り過ぎた。


「え?」

 思わず小さく声が漏れる。


 皇城へ行くんじゃないの?

 疑問を抱く間もなく歩き続ける。


 そして少し先に皇城に寄り添うように建てられた塔が見えてきた。

 細く高い石造りの建物。


 けれど周囲とはどこか空気が違う。

 妙に静かだった。

 

 私とヘルダの足音だけが、その場に存在しているようだった。

 近づくにつれ、金属特有の冷えた匂いが鼻先を掠める。


 入口には重厚な金属扉。

 その中央には見慣れない紋章が大きく刻まれていた。


 上を向いた三角と下を向いた三角。

 二つが重なり合い、銀色の六芒星を形作っている。


 光を受けて鈍く輝くその紋章に、なぜか目が離せなかった。

 ヘルダが扉の前で立ち止まる。


 そして迷いなく手のひらを押し当てた。

 ひやりとした金属音が響き、低く、小さく、何かが動く気配がする。


 しばらくして重い扉が内側からゆっくり開いた。

 そこに立っていたのはエステラだった。


 相変わらず隙のない姿勢。

 整った笑み。

 けれどその目だけは少しも笑っていない。


「聖女イオリ様をお連れしました」

 ヘルダが告げる。


「そう、ご苦労様。もういいわ」

 エステラは軽く頷いた。


 そして私へ視線を向ける。

 逃げ場を塞ぐような真っ直ぐな視線だった。


「さあ、聖女イオリ様」

 彼女は綺麗な笑顔を私に向ける。

 なのに胸の奥がざわつく。


「中に入ってちょうだい」

 有無を言わせない声音。


 私は思わず唾を飲み込んだ。

 重く開かれた扉の向こうは薄暗く、その先がよく見えない。

 それでも、立ち止まることは許されない気がして、私は静かに一歩を踏み出した。


 中に入った瞬間、ひんやりとした空気が全身を包む。

 思わず肩が震える。


 石造りの広間は薄暗く、見上げるとどこまでも続いているような円筒状の空間の先に、かすかに天井が見えた。

 ごくりと唾を飲み込む。


 視線を戻すと広間の中央には巨大な円形の台座が据えられていた。

 床と一体化しているみたいで、その部分だけが白銀色の光を帯び、なんらかの文字が青白く明滅している。


 ドキドキと心臓が脈打つ。

 ここは……何?


「よくいらしてくれたわ。聖女イオリ様。ここは魔導院の塔。今から大魔導士卿ベルドルフ様の元へご案内するわね」

 エステラは迷いなく中央へ歩いていく。


 私はその背中を見つめたまま立ち尽くしていた。

 足が重い。

 引き返したいのに、身体が言うことを聞かなかった。



 怖い……

 これから何が始まるのか……


「イオリ様……?」

 振り返ったエステラが不思議そうに眉を寄せる。

 はっと我に返った。


 いけない。

 立ち止まっている場合じゃない。

 私は裾を握りしめ、小走りで彼女のもとへ向かった。


「イオリ様、この円の上に乗ってちょうだい」

 柔らかな声。


 けれど断る余地はどこにもなかった。

 私は唾を飲み込む。


 冷えた指先を握り込みながら、恐る恐る台座へ足を乗せた。

 石とも金属ともつかない感触。


 足裏から微かな振動が伝わってくる。

 エステラは私が中央に立ったことを確認すると、小さく口を開いた。


「スビール」

 台座を刻む文字が一斉に輝いた。


 青白い光が溢れ出し、薄い膜のような光が周囲を包み込む。

 空気が震え、耳の奥で低い唸り声のような音が響く。


「え……?」

 足元がふわりと浮いた……いや、違う。

 台座そのものがゆっくりと動いてるんだ。


「ベルドルフ様の執務室は一番上にあります」

 エステラの言葉が終わるより早く。


 ぐんっ、と胃が置き去りになるような感覚。

 景色が一気に沈んでいく。

 壁を彩る魔導灯の光が流星のように下へ流れていく。


「っ――!」

 反射的に台座へしゃがみ込みそうになる。

 耳元を駆け抜ける風切り音と共に、遥か下方へ遠ざかっていく広間。

 心臓が痛いほど鳴っていた。


 駄目、下を見ちゃ駄目。

 見たら足がすくむ。


 私はぎゅっと唇を噛み、ひたすら前だけを見つめた。

 上昇はいつまでも続くように思えた。


 やがて……ふっと台座の速度が落ちる。

 身体を押し上げていた感覚が消えた瞬間、台座の先、何もなかった空間に青白い光が走る。


 光は細い線となって伸び、幾何学模様を描きながら組み上がり――道になった。

 まるで空中から生えてくるみたいに光でできた橋。


 けれど頼りない印象はない。

 むしろ石畳よりも頑丈そうな存在感があった。


 台座と繋がった瞬間、その部分だけを覆っていた光の膜が静かに消えていく。 

 現実感のない光景に目を奪われていると、エステラの声が耳に届く。


「こっちよ」

 彼女は迷いなく歩き出した。

 私はごくりと唾を飲み込み、その背中を追った。


 一歩、また一歩。

 足の裏から伝わる感触は確かだったが、それでも視界の端に映る遥かな高さが落ち着かない。


 やがて道の先に、一枚の巨大な扉が現れた。

 青灰色の金属で作られた重厚な扉。


 表面には複雑な紋様が刻まれ、その中央には入り口にあった六芒星が浮かび上がるように描かれている。違うのは、六芒星の最上部にだけ青白い宝石が嵌め込まれていることだった。


 近づくにつれ、金属特有の冷たい匂いが鼻を掠めた。

 エステラは扉の前で立ち止まり、六芒星へ静かに手をかざした。

 青白い石が点滅する。


「ベルドルフ様。聖女イオリ様をお連れしました」

 声が静寂の中へ溶けていく。


 一秒、二秒……沈黙。

 鼓動だけがやけに大きく耳に響く。


「ああ、入れ」

 低い男の声。


 扉越しにも伝わる重み。

 背筋がぴんと強張った。


 次の瞬間、かちゃり……小さな音が響く。

 だが続いて聞こえたのは、まるで長い眠りから目覚めた巨人が身じろぎするような重低音だった。

 ゴゴゴ……青灰色の扉がゆっくりと左右へ開いていった。

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