第104話 魔導院からの呼び出し
朝食を終え、フレアちゃんと一緒に部屋へ戻る。
窓から差し込む朝の光が白い床を明るく照らしていた。
これからフレアちゃんは薬草園の当番らしい。
モアナさんたちと一緒に薬草の世話をするのだと、食堂を出る時から楽しそうに話していた。
私も一緒に行こう。
何をしろともまだ何も言われていない。
ならば、フレアちゃんと一緒に行動するのが正解だろう。
薬草園は綺麗だったし、もしかしたら、あの青い鳥がいるかもしれない。
そう思うと、胸の奥が小さく跳ねる。
理玖ともう一度話をしたい。
今度はもっと落ち着いて、もっとたくさん。
ちゃんとご飯を食べているのか、とか、母さんのことは心配しないで、とか……
そして――本当に無茶をしてここへ来たりしちゃだめだよ、とか……
そんなことを考えていると、部屋の扉が控えめに叩かれた。
コンコン、と乾いた音。
「はい」
フレアちゃんが返事をすると扉が開いた。
そこに立っていたのはヘルダだった。
相変わらず隙のない姿勢。
淡々とした表情。
その姿を見た途端、なんとなく嫌な予感がした。
「聖女イオリ様」
ヘルダが私へ視線を向ける。
「ベルドルフ大魔導士卿がお呼びです」
「え?」
思わず間の抜けた声が漏れた。
ベルドルフ……大魔導士卿……?
なにやら、たいそうな名前が出てきたんだけど。
誰?
いや、たぶん偉い人なんだろうけど。
大魔導士卿って何?
貴族?
役職?
それとも国のお偉方?
急に呼ばれて心臓が落ち着かなくなる。
知らず知らずのうちにスカートの裾を握っていた。
「ベルドルフ……大魔導士卿?」
聞き返すと、ヘルダは小さく頷いた。
「はい」
それ以上の説明はない。
本当に必要最低限しか話さない人らしい。
私は思わずフレアちゃんを見る。
フレアちゃんも少し驚いた顔をしていた。
やっぱり偉い人なのだろうか。
喉がごくりと鳴る。
すごく緊張する。
けれど……ふと、一つの考えが頭をよぎった。
……でも、そうだとしたら、私を元の場所に帰してもらえるように交渉してみようか。
たぶん、無駄だと思うけど……
そんな都合がよく話が進むわけがない。
だったら、本人の承諾もなしにこんな場所に連れてこられることもなかっただろう。
それでも……何もしないまま諦めるのは嫌だった。
私は小さく息を吸う。
胸の前で握った手に力を込めた。
よし、一か八かだ。
できる限りのことはするしかない。
私はそう自分自身に気合いを入れた。
天井付近に並んでいる窓から、朝日が降り注ぐ廊下は清廉でとても明るい。
スタスタと前を進むヘルダの後を見失わないように追いかける。
こんなところで迷子になったら、部屋に戻れる気がしない。
真っ直ぐ、薬草園とは反対の方向に進んでいく。
確か、東のエントランスは大聖堂に続いていると言っていたフレアちゃんの言葉を思い出す。
しばらくすると、白に金色の細かい細工がされている両開き扉が見えてきた。
けれど成金趣味のような派手さはない。
朝日に照らされた金細工は静かに輝き、この場所にふさわしい品格だけを纏っていた。
ヘルダがなんの迷いもなくその扉を開けてこちらを振り返る。
「聖女イオリ様、こちらです」
促されるまま一歩踏み出した。
そして……息を呑んだ。
肺に入った空気が途中で止まった。
目の前に広がっていたのは、私の知る建物ではなかった。
あまりにも巨大で、白灰色の石で築かれた大聖堂が空へ向かってそびえ立っている。
幾重にも重なる尖塔。
天を突こうとしているみたいに鋭い。
壁面を埋め尽くす彫刻は、遠目からでも異常なほど精巧だった。
思わず足を止めると、視線が勝手に上へ引っ張られた。
首が痛くなるほど高い。
どくり、と鼓動が鳴り、畏れにも似た感情が胸の奥からじわじわと湧き上がってくる。
自分がどれほど小さな存在なのかを、否応なく思い知らされた。
こんなの……
こんなの見ちゃったら、そう簡単にここから逃げられない。
理玖には『隙を見て逃げるから』なんて言ったけど……とても無理だ。
広場を吹き抜ける風が頬を撫でた。
高所から流れ落ちてきたような冷たさだった。
色鮮やかなステンドグラスに陽光が差し込む。
青、赤、金……
砕いた宝石を散りばめたような光が石畳の上へ降り注いでいた。
その美しさに見惚れる。
なのに……背筋の奥を何かが這い上がる。
理由の分からない寒気。
喉の奥がきゅっと狭くなる。
巨大な円形紋様が大聖堂正面に刻まれている。
神聖なはずなのに。
なぜだろう。
見つめていると、巨大な瞳がこちらを見返しているような気がした。
風が私の髪を巻き上げる。
次の瞬間。
ゴォォォン――。
鐘の音だ。
高く、深く、空気そのものを震わせながら降ってくる。
胸の奥まで響き、石畳が震えた気さえした。
私は無意識に息を吐く。
「これが……大聖堂……」
掠れた声が零れた。
目の前にあるのは、誰もが神聖だと讃える建造物なのだろう。
けれど、小さな棘みたいに胸の奥に何かが引っ掛かる。
白く清らかな外観の下に、何か別のものが隠れているような……そんな感覚。
「聖女イオリ様」
不意に呼ばれ、はっと我に返る。
振り向くと、ヘルダはいつの間にかずっと先まで進んでいる。
大聖堂の入口らしき扉はもう数歩先に見えていたが、彼女が立っているのはその反対の方向だった。
聖苑と大聖堂を繋ぐ石畳の小道から少し外れた場所。
そこには円柱が等間隔に並び、回廊のような空間が続いている。
どうやら、大聖堂へ向かうわけではないらしい。
「あ、すみません」
慌てて駆け出す。
もう一度だけ大聖堂を見上げた。
朝日に輝く尖塔は変わらず美しい。
それなのに胸の奥では、正体の分からないざわめきが消えずに残っていた。




