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2歳の息子と異世界転移——賢者と呼ばれた我が子の隠された秘密  作者: 梅丸みかん


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第103話 青い小鳥

 ――ピピピッ。

 澄んだ鳴き声が風に乗って響いた。


 薬草畑を渡る朝風が花々を揺らす。

 白い花弁がひらりと舞い上がった。


「わあ、かわいい小鳥さん!」

 フレアちゃんがぱっと顔を輝かせる。


 その視線を追うと、そこにいたのは、一羽の小さな青い鳥。

 白い花を咲かせた木の枝にちょこんと止まっている。


 朝日を浴びた羽は驚くほど鮮やかだった。

 まるで晴れ渡った空の一部を切り取って、そのまま形にしたみたいな青。


 なんかの宝石にも似た色彩にも見える。

 風が吹くたび、小さな身体がふわりと揺れるのに、青い鳥はそこから動こうとしない。


「あら……」

 思わず私も、逃げてしまわないようにそっと近づく。



「本当。綺麗な鳥ね」

 吸い寄せられるようにじっと見つめていたら、自然と声が漏れた。


 すると、ふわり……

 柑橘系の爽やかな香りが鼻先を掠めた。


 甘すぎない、朝露を含んだ果実のような香りだ。

 葉が揺れるたびに強くなる。


「この木の匂いかな……?」

 枝先を見上げると小さな白い花が咲いていた。


 さっきよりも枝が揺れているのに小鳥は動かない。

 もう少しだけ近づいてみる。


 一歩、また一歩、ゆっくりと距離を縮める。

 それでも、逃げない。


 小鳥との距離は一メートルほど。

 普通ならこんなに人が近づけば、飛び立つはずなのに……


 真っ黒な瞳だけがじっと私を映していた。

 もしかして、私を……見てる?


 鳥に好かれる要素が私にあると思えない。

 なぜ、この鳥は逃げないの……?

 胸の奥が妙にざわつく。


 初めて見る鳥なのに、どうしてだろう。

 なんだか懐かしい。


 そんな感覚が一瞬だけ胸を掠めた。

 手を伸ばせば届きそうな距離。

 小鳥は首を傾げる。


「すごい!」

 後ろからフレアちゃんの声が弾んだ。


「ぜんぜん逃げないね!」

 ぱたぱたと駆け寄ってくる。


「きっとイオリさんと仲良くなりたいんだよ!」

 その言葉に思わず笑いそうになった瞬間……


 ――母さん……

 息が止まった。

 葉擦れの音も風の音も遠のいていく。

 

 全部……全部、一瞬で消えたみたいに……


 今の……

 鼓動がどくりと跳ねる。

 胸の奥を強く叩いて、心臓の音がうるさい。


 聞き間違い?

 夢?

 寝不足だから?


 頭の中が真っ白になる。

 けれど、小鳥はじっとこちらを見ていた。


 まっすぐに、ただまっすぐに私だけを見ている。

 小鳥の目を覗き込む。

 すると……


 ――母さん、よかった……

 頭の奥へ声が直接流れ込んできた。

 よく知っている声……なのに、ひどく遠くに感じていた声。


 絶対に間違えるはずがない。

 指先が震え、視界が揺れる。


 喉の奥が熱い……胸が苦しい……涙が込み上げる。

 そんなはずない……そんなはずは……


「理玖!」

 気付けば叫んでいた。


「理玖なの!?」

 声が裏返る。

 一歩前へ出る。


 枝が揺れる。

 青い羽が朝日に煌めいた。


 心配だった。

 私のことを探して、泣いているんじゃないかって……

 眠れなかった……ずっと、理玖のことを考えて……


「イオリさん……?」

 戸惑った声が聞こえ、はっと振り返る。


 フレアちゃんだった。

 大きな瞳をぱちぱちと瞬かせている。

 私と小鳥を交互に見ていた。


「え……?」

 息を呑む。

 フレアちゃんの表情には困惑しかない。


 私が、急に小鳥に向かって理玖の名前を叫んで……

 慌てて周囲を見回した。


 薬草畑、花、朝露、風……そして……青い小鳥。

 フレアちゃんには聞こえていない……?


 理玖の声が……あの声が……

 胸の鼓動だけがやけに大きく耳の奥で鳴り続けていた。


 ――ということは。

 震える指先が、無意識に左耳へ伸びた。


 小さな青いピアス。

 理玖が作ってくれた念話用の魔導具。


 もしかして、これ……

 胸がどくどくと鳴っていた。

 まさか……本当に……


「ごめんね、フレアちゃん」

 私は慌てて笑顔を作った。


「なんでもないの。この小鳥がすごく可愛くて……もう少し見ていたいなって」

「そっか」

 フレアちゃんはほっとしたように笑う。


「私も小鳥は好き。だから一緒に見てるね」

 その言葉に小さく頷き、再び青い小鳥へ視線を向けた。


 枝の上で羽を揺らしながら、小鳥はじっとこちらを見つめている。

 風が吹く。


 白い花びらが一枚、ふわりと舞い落ちた。

 そして……


 ――母さん、この鳥は俺が作った魔導具なんだ。

 喉がひくりと震えた。

 やっぱり……理玖だ。


 理玖の声だ。

 夢じゃない、幻聴でもない。


 昨夜、何度も思い浮かべた声。

 それが今、頭の中に響いている。


 ――母さんがいる場所は結界で通信が遮断されてるみたいだから、その結界をすり抜けられるようにしたんだ。この鳥が近くにいれば念話が届くよ。


 思わず口を押さえた。

 涙がこぼれそうだった。


 さっきまで胸の奥を覆っていた重たい闇が、少しずつ薄れていく。

 理玖は無事だった。


 こうして、こんな魔導具まで作って、私を探して……

 私はそっとピアスに触れる。


 ひんやりとした感触。

 まるで理玖と繋がっている証みたいだった。


『理玖……』

 念話を送る。

 声が震える。


『元気なのね。大丈夫?』

 返事はすぐだった。


 ――うん、俺は大丈夫。フェイの家にいるよ。

 その一言だけで力が抜けそうになる。


 フェイ――白狼族で理玖より一つだけ上の子。ならば、きっとシャーレさんが理玖のことを見てくれている。

 膝が笑いそうだった。


『よかった』

 目頭がじんと熱くなる。


 ――ここにはみんないるし、心配ないよ。母さんこそ大丈夫?

 私は小さく息を吐いた。

 胸の奥に溜まっていたものを吐き出すように。


『ええ』

 青い小鳥を見つめながら答える。


『私は大丈夫よ』

 嘘だった。

 大丈夫じゃなかった。


 寂しかった。

 不安だった。

 それでも……幼い理玖に心配はかけたくない。


『なんだか聖女にされちゃってるみたいだけど、同じ部屋のフレアちゃんはいい子だし……なんとかやっていけそう』

 フレアちゃんを見る。

 彼女は何も知らない顔、鳥を眺めているだけだった。


 その様子に少しだけ肩の力が抜ける。

 すると、理玖の声が真っ直ぐに響いた。


 ――そうか。

 一拍……そして……


 ――母さん、少しだけ待ってて。

 嫌な予感がした。


 ――必ず助けに行くから。

 息が止まる。


 だめ……その言葉だけは……だめ。

 頭の中に浮かぶ。


 巨大な山脈、帝国がかつて賢者や小人たちにしたという仕打ち……

 理玖がここへ来る姿なんて想像したくない。


 まだ三歳なのに。

 まだ小さいのに。


 抱きしめれば腕の中に収まるくらいなのに。

 拳を握る。


 爪が掌に食い込んだ。

 理玖は特別だ。


 誰よりも賢い。

 誰よりも優しい。


 だからこそ怖い。

 もし賢者だと知られたら。

 もし利用されようとしたら。

 もし……


『理玖』

 強く念じる。


『だめよ……ここには来ちゃだめ』

 青い鳥の向こうに理玖の姿を思い浮かべる。


『私はなんとかするから』

 必死だった。


『隙を見て逃げるから』

 お願いだから……来ないで。

 危険なことをしないで。


 母親として叫びたかった。

 けれど返ってきた声は揺るがない。


 ――母さん。

 静かだった。

 けれど強い。


 ――心配しなくて大丈夫だよ。

 理玖らしい声。

 何かを決めたような声。

 頑固で……優しくて、そして絶対に曲がらない。


 ――俺がなんとかする。

 胸が締め付けられる。


 ――絶対に。


 その時だった。

「イオリさん」

 フレアちゃんの声で現実に引き戻される。


「そろそろ朝食の時間だよ」

 振り返ると、フレアちゃんがこちらを見ていた。

 私は慌てて表情を整える。


「え、ええ……」

 声が少し掠れた。

 これ以上ここに立ち止まるのは不自然だ。


 フレアちゃんに続いて歩き出す。

 一歩、また一歩。


 それでも何度も振り返ってしまう。

 白い花の木の上に止まる青い小鳥。


 朝日に輝く小さな姿。

 離れていく……どんどん遠ざかる。

 私は最後に念話を送った。


『お願い、理玖』

 唇を噛む。


『ここには絶対来ちゃだめよ』

 返事は聞こえなかった。


 けれど……分かってしまう。

 あの子は来る。


 私が何を言っても、危険だと言っても、どんなに止めても……

 きっと来る。


 朝の陽射しは暖かいはずなのに、指先だけが冷たかった。


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