第102話 理玖は母親奪還の作戦を練る
母さんが失踪した翌日、俺は種族の代表者たちに再び集まってもらった。
一晩中考え続けた結果、ようやく頭の中が整理できたからだ。
母さんを取り戻すために何をすべきか。その大まかな道筋を皆と共有するためだった。
「帝国の情報を、もっと掴まなきゃならない」
そう口にした瞬間、部屋の空気がぴたりと静まった。
集まった皆の視線が、一斉に俺へ向けられていた。
「ミズチには大まかなことは聞いたけど、もっと詳しく知る必要がある。だが、その前に――母さんの無事を確かめる」
そっと胸元に触れる。
服の下に隠れた対のピアスが、指先に微かな熱を返した。
まだ繋がっている。
思わず息を止める。
母さんは今も、そのピアスを身につけているはずだ。
一度装着すれば簡単には外れない。誰の目にも映らなくなる、特殊な魔導具。
だからこそ、この小さな反応が意味するものは一つしかない。
どこかで生きている。
その事実だけが、暗闇の中に残された細い糸のように俺を繋ぎ止めていた。
けれど……
ぎゅっと拳を握ると爪が掌に食い込んだ。
母さんは今どこにいる……?
怪我はしていないのか……
冷たい場所に閉じ込められてはいないか……
答えは返ってこない。
分かるのは、生きているということだけ。
それ以外は何も……何一つ。
「生きていることは確認できている。だが、それじゃ足りない。状況を確かめるんだ」
自分でも驚くほど声は冷静だった。
「だが、どうやってだ?」
眉をひそめたラザが問いかける。
俺は小さく息を吐いた。
「昔作った魔導具がある。偵察用のやつだ」
脳裏に、工房の片隅で埃を被っている機体の姿が浮かぶ。
あれには映像と音を拾う機能がついていたはずだ。
「少し、改良を加えようと思うんだ」
「ああ、あれか」
ラフが手を打った。
「あの鳥の形をした魔導具だな。確か魔導機工房の倉庫に放り込んであったはずだ」
「ああ。それだ。その魔導具に母さんの魔力を追わせる機能を付ける。俺のピアスと母さんのピアスを繋ぐ中継装置にするんだ」
頷きながら続ける。
「それと、変装用の魔導具もあったはずだ。指輪型のやつ」
帝国で情報を集めていた頃、何度も世話になった代物。
「複製して数を揃える。姿を変えて帝国へ潜入する」
その言葉が落ちた途端だった。
「潜入……」
ラザの拳がぎり、と鳴る。
白狼族の鋭い瞳に怒りの火が灯った。
「その役目、ぜひ我らに与えてくれ」
低い声だった。
だが押し殺した激情が滲んでいる。
「あいつらに一泡吹かせたい。そして――故郷を取り戻す」
ラザの背後で仲間たちも無言のまま頷いた。
彼らは忘れてはいない。
いや、忘れられるわけがないのだ。
長年にわたって受け継がれてきた自分たちの故郷を。
あの青と緑に囲まれた美しい場所――アクアウッドへの想いは永遠に消えることはないのだろう。
「待つのじゃ」
今度はメイファが一歩前へ出た。
長い耳を揺らしながら、真っ直ぐこちらを見る。
「それなら妾たちエルフ族も加勢するぞ」
声は静かだった。
だが、その奥には消えない怒りがあった。
「妾たちも国を壊された身じゃ。帝国をこのまま放ってはおけぬ」
「当然だ」
俺は即座に頷く。
「最初から、みんなにも協力してもらうつもりだった」
「じゃがな」
メイファが腕を組んだ。
「問題はあの山脈じゃ。精霊の加護を受ける妾たちですら越えるだけでかなり魔力を消耗した」
いつの間にか窓から差し込む光は淡い橙色に変化していた。
銀緑の髪にその光を受けながら、メイファは続けた。
「それに……あの山脈だけではない」
深緑の瞳が細められる。
「もしかすると、ここも既に監視されておるかもしれぬ」
部屋の空気が重く沈んだ。
「そうだな」
ラザも険しい顔で頷く。
「帝国の連中は抜け目がない」
低く唸るような声。
「もし奴らが山脈を越えてここへ来る方法を手に入れているなら――」
窓の外、闇に沈む森へ視線を向ける。
「今この瞬間も、この村の周囲に潜んでいてもおかしくない」
工房の中に重苦しい沈黙が落ちる。
誰も口を開かない。
木材の香りと鉄の匂いが混じった空気がやけに重く感じた。
このまま考え込んでいても何も変わらない。
母さんは帰ってこない。
だったら――探すしかない。
俺は机の上に広げられた設計図へ視線を落とした。
「なら、改良した偵察用の魔導具を追加で作ろう」
顔を上げる。
「ラフ、ロッソ。魔導具製作は小人族に任せる」
二人が真剣な顔で頷いた。
俺は続ける。
「それと、この魔導機工房の一部を司令室として使う」
工房の奥を指差した。
工具が並ぶ壁、積み上げられた資材、まだ使われていない空間。
「俺たちが帝国へ潜入した時の中継地点にする。集めた情報をここへ集約するんだ」
帝国へ潜入――その言葉が出た瞬間、室内の空気がわずかに張り詰めた。
「種族の垣根なんて関係ない。白狼族も、小人族も、エルフ族も……手に入れた情報は全部ここで共有する」
母さんを見つけるためなら。
一つでも多くの手が必要だ。
一つでも多くの目が……
「リク様」
静かな声が割って入った。
ソールだった。
長い髭を撫でながら、じっとこちらを見ている。
「待ちなされ」
低い声。
橙色の光が薄れ、部屋の中がだいぶ暗くなってきた。
それに反応して、工房の片隅にあった魔導灯が灯りを点す。
その光がソールの皺だらけの顔に影を落とした。
「あなた様も帝国へ潜入なさるおつもりかな?」
問いかけに、俺は迷わなかった。
「ああ」
即答だった。
「もちろん、そのつもりだ」
周囲の空気が僅かにざわつく。
誰かが息を呑んだ。
ソールは目を細める。
「リク様、お忘れではありますまいな」
老人の声は穏やかだった。
だが、その奥にある心配は隠しきれていない。
「帝国が狙っているのは聖女だけではありませぬ。賢者様もまた捕縛対象。あなた様は帝国にとって最優先級の存在でしょう」
その言葉に工房が静まり返る。
窓から静かに侵入した風がみんなの髪を揺らす。
「危険ではありませんかな」
危険……そんなことは分かっている。
分かりきっている。
だが……
俺は膝の上で握っていた拳をゆっくり開いた。
掌には爪の跡が残っていた。
「問題ない」
思ったよりも落ち着いた声だった。
「今の俺は幼児の姿だ」
指先で耳のピアスに触れる。
冷たい感触……返事のない沈黙……
胸の奥が軋む。
それでも顔には出さない。
「まさか、賢者がこんなに幼いとは帝国も思ってもいないだろう。それに。あの頃より魔法も自由に使える」
帝国を逃げ出したあの日の自分とは違う。
奴隷紋を破壊した時に負った魔力核の傷は今はない。
「変装用の魔導具も改良するつもりだ」
俺は、以前作った魔導具の魔法公式を頭に浮かべた。
「外見を変えるだけじゃない。魔力そのものを隠蔽する術式も組み込む」
叡智の魔力を完全に隠せれば追跡は難しくなる。
沈黙が続く。
誰も反論しない。
彼らも拳を握りしめ、帝国への反撃を決意しているのだろう。
目の奥に熱い思いがたぎっているのがわかる。
俺は左耳のピアスに手を当て、奥歯を噛み締めた。
母さん……
胸の奥で何かが焼ける。
絶対に母さんを助ける。
レイラと同じ目には遭わせない。
その強い想いだけが俺の決心を揺らぎのないものにしていた。




