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2歳の息子と異世界転移——賢者と呼ばれた我が子の隠された秘密  作者: 梅丸みかん


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第101話 聖苑の薬草園

 眠れなかった。

 目を閉じても、毛布を頭まで被っても……駄目だった。


 窓の外で風が木々を揺らす音を聞きながら、何度も寝返りを打つ。

 薄暗い天井を見上げる。


 次から次へと、振り払おうとしても、勝手に理玖の顔が浮かぶ。

 笑っている顔。


「母さん」と呼ぶ声。

 怒った顔、呆れた顔。

 理玖はきっと大丈夫……そう思い込もうとしていても……


「理玖……」

 掠れた声が漏れる。


 胸の奥がじくりと痛んだ。

 会いたい……今すぐ。


 どうしているんだろう。

 ちゃんと眠れているだろうか。


 怪我はしていないだろうか。

 考え始めると止まらない。


 目頭が熱くなる。

 ぎゅっと瞼を閉じる。


 泣いたって何も変わらない。

 分かっている……分かっているのに……気が付けば枕を握り締めていた。


 そんな夜だった。

 ようやく浅い眠りに落ちたのは、窓の向こうが白み始めた頃だったと思う。


 ――ことり。

 小さな物音で意識が浮上する。

 衣擦れの音、引き出しを開ける音。


 水の入った容器が触れ合う微かな音。

 重たい瞼を開けると、朝の光がカーテンの隙間から差し込んでいた。

 柔らかな金色――部屋の中に朝の冷たい空気が満ちている。


「イオリさん、おはよう」

 私が起きた気配に気づいたのか、フレアちゃんが笑顔でこちらに振り向いた。


 すでに身支度を終えているようだった。

 朝日に照らされた亜麻色の髪がきらきらと光っている。


「……おはよう、フレアちゃん」

 重たい身体を起こす。


「うっ……」

 頭を両手で抱える。

 少し遅れて睡眠不足のだるさと頭痛が押し寄せてきた。


「イオリさん!」

 フレアちゃんが慌てたように駆け寄ってくる。


「大丈夫!? 具合悪いの?」

 大きな空色の瞳が心配そうに揺れていた。


「ううん、大丈夫。ちょっと眠れなかっただけだから」

 安心させるために笑顔を作ろうとしたが、それは失敗に終わったようだ。


「でも……イオリさんの顔、真っ青だよ」

 フレアちゃんの目尻がさっきよりも下がった。


 視線が私の目元に向く。

 たぶん隈でもできているのだろう。


「薬草園、案内しようと思ってたけど……」

 言いにくそうに言葉を選ぶ。


「後にする?」

 その声音があまりにも優しくて、胸の奥が少しだけ温かくなった。

 昨日会ったばかりなのに、この子は本当に優しい。


「大丈夫よ」

 ベッドから足を下ろす。

 床はひんやりしていた。


「たぶん今横になっても眠れないから」

 きっと、また理玖のことを考えてしまう。

 

 同じことを繰り返すだけだ。

 フレアちゃんはしばらく私を見つめていた。

 まるで本当に大丈夫か確認するみたいに。


「せっかくだし、薬草園に案内してくれる?」

 そう言うと、彼女は少しだけ迷うように唇を結んだ。


「……うん。でも……」

 まだ心配そうだ。

 だから私はわざと明るく笑ってみせた。


「ほら。外の空気を吸ったら気分転換になるかもしれないし」

 一瞬、フレアちゃんがぱちぱちと目を瞬く。

 それから……


「そうだね!」

 ぱっと顔が明るくなった。

 本当に花が咲いたみたいだった。


「あのね、薬草園は西の庭にあるの!」

 弾んだ声、嬉しそうな笑顔。

 その眩しさに思わず目を細める。


「春のお花もまだ咲いてるし、朝だとすごく綺麗なんだよ」


 そんなふうに言われたら、見たくならないはずがない。

 急いで顔を洗い、髪を整える。


 冷たい水が頬を滑り落ちる。

 鏡に映る自分の顔は少し疲れていたけれど、さっきよりはずっとましだった。


「お待たせ」

「ううん!」

 フレアちゃんは嬉しそうに首を振った。


「行こう!」

 部屋を出る。


 白い廊下の先には朝の光が満ちていた。

 昨夜はどこか冷たく感じた聖苑も、朝になると印象が違う。


 窓から差し込む陽射しが床を黄金色に染め、小鳥の囀りが遠くから聞こえてくる。

 少しだけ気持ちが軽くなった。


 フレアちゃんに続き、西棟へ向かう回廊を歩く。

 その途中で、ふわりと風が吹く。

 同時に空気の匂いが変わった。


「あ……」

 思わず足を止める。


 青々とした葉の香りと土の匂い。

 朝露を含んだ草木の湿った空気が鼻の奥まで流れてくる。


「ここはね、西のエントランス」

 フレアちゃんが振り返る。


「ここから薬草園へ続いているの」

 視線を上げる。


 高いアーチ状の天井。

 白い石壁を這う緑の蔦。


 細長い窓から差し込む朝日が石床に長い光の帯を描いている。

 床には葉を模した模様が刻まれていて、歩くたびに靴音が柔らかく響いた。


 壁際には束ねられた薬草が吊るされている。

 乾燥した葉が風に揺れ、かさりと小さな音を立てた。


 棚には小瓶が並んでいる。

 種子……香油……見たこともない植物の標本。

 まるで小さな植物館みたいだった。


「反対側には東のエントランスがあるの」

 フレアちゃんが説明を続ける。


「そっちからは大聖堂へ行けるんだよ」

 私は頷きながら周囲を見回した。


 聖苑は白く美しいだけの場所ではない。

 人が暮らし、学び、働いている。


 そんな息遣いがあちこちに残っていた。

 風が吹き抜ける。


 ラベンダーに似た優しい香り。

 その奥に混じる少し苦い薬草の匂い。


 深く息を吸い込む。

 胸の奥に溜まっていた重苦しさが、ほんの少しだけ薄れた気がした。


 そして、正面の大きな両開きの扉が開く。

 朝日が流れ込んだ。


 一瞬、目を細める。

 次の瞬間、息が止まった。


「わぁ……」

 言葉が漏れる。


 視界いっぱいに広がる花、花、花……そして緑。

 淡い紫、鮮やかな青、柔らかな黄色。


 朝露をまとった花弁が、陽光を受けてきらきらと輝いていた。

 風が吹くと無数の葉が揺れる。


 さらさら……しゃらしゃら……

 優しい音が辺りを満たしていく。


 まるで花と緑の楽園だった。

 気づけば私は数歩前へ出ていた。


「綺麗……」

 思わず呟き、呆然と見惚れる。


「午前中はね」

 隣でフレアちゃんが微笑む。


「みんなでこの薬草畑のお世話をするのよ」

 ここで暮らす十五人の聖女たち。

 彼女たちが毎日この場所を守っているのだろう。


「聖女が薬草のお世話をするとね、成長が早くなるんだって」

 フレアちゃんが誇らしげに言う。


「薬効も高くなるらしいの」

 その言葉を聞いた瞬間、脳裏にあの光景がよみがえった。


 ぐんぐん葉が成長していくアロウの木。

 自分でも止められなかった成長。


 そして、ローションを作り終えた直後、真っ白になった意識。

 思わず額を押さえる。


 今思い返しても無茶だった。

 本当によく倒れるだけで済んだものだ。


 きっと、ここの聖女たちは普通に薬草の世話をしている。

 誰も木を巨大化させたりしていない。


 ……たぶん。

 私は薬草畑へ視線を向ける。

 風に揺れる葉。


 朝日に輝く花々。

 ここで妙なことをしたら絶対に目立つ。


 慎重によく考えて行動しよう。

 私は小さく息を吐いた。


 余計なことはせず、みんなから浮かないようにまずは皆のやり方を見ることにしよう。

 私はそっと小さな決意をしたのだった。


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