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2歳の息子と異世界転移——賢者と呼ばれた我が子の隠された秘密  作者: 梅丸みかん


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第100話 聖苑内は

 夕食は思っていたより質素だった。


 焼きたての丸パン。

 湯気を立てる野菜と肉のクリームスープ。

 刻んだハーブが散らされたサラダ。


 豪華な料理ではない。

 けれど、スプーンを口へ運ぶたび、冷え切っていた身体の奥がじんわり温まっていく。


 クリームの優しい甘み。

 柔らかく煮込まれた野菜。

 鼻を抜ける爽やかなハーブの香り。


 元気な姿で理玖に会うためにちゃんと食べなきゃ。

 そう思って、無理に口の中にスープを運ぶ。

 味は悪くない。

 でも、やはり食欲を刺激することはなかった。

 義務のような食事を終えると、それを見計らったように、三人の少女が席を立った。


「初めまして、聖女イオリ様。わたくしはモアナです。イオリさんて海の向こうから来たんじゃないの?」

 最初に声を掛けてきたのは、小柄な少女だった。


 ふわりと波打つ桃色の髪。

 薄紫の瞳は柔らかく、見つめられると不思議と肩の力が抜ける。


「私もそう思った。黒い髪だって珍しいのに、目も黒い人なんて初めて見たわ。あっ、私はタリアっていうの」


 続いて名乗ったのは夕焼けのような茜色の髪の少女。

 背筋をしゃんと伸ばし、翡翠色の瞳を真っ直ぐ向けてくる。


 どこか猫を思わせる吊り気味の目。

 はきはきした口調も相まって、活発そうな印象だった。


「シーラよ。でも、神秘的で素敵だわ」

 一番最後に前へ出たのは、三人の中でも特に幼く見える少女だった。


 焦茶色の髪が肩で揺れる。

 琥珀色の瞳は宝石みたいにきらきらしていて、今にも質問を山ほど投げてきそうだった。


 三人とも十代後半くらいだろうか。

 一度に名前を言われて、脳内が軽く混乱する。


「えっと……そうね。遠いところから来たっていうのは間違いないわね。でも、色々と事情があるの」

 私がそういうと三人は顔を見合わせていたが、それ以上聞いてくることはなかった。


 色々と気遣いができる人たちらしい。

 桃色の髪がモアナさん、茜色の髪がタリアさん、焦茶色の髪がシーラさん……だよね。


 よし、覚えた。

 たぶん……ね。


「あのね、私たち三人、同じ時期にここへ来たの」

 モアナさんが微笑む。


「聖女教育もずっと一緒だったのよ」

 シーラさんがうんうんと頷く。


「今は仕事が別になることもあるけどね」

 タリアさんが腕を組みながら付け加えた。


 三人の息がぴったり合っている。

 長い付き合いなのだろう。


「そ、そうなのね……」

 返事をしながら思わず身を引く。


 距離が近い。

 すごく近い。


 けど、悪い人たちじゃない。

 むしろ優しい。


 優しいのだけれど勢いがすごい。

 ちらりと向かいを見る。

 フレアちゃんが小さく笑っていた。


「あっ、フレアちゃんに色々教えたのも私たちなの」

 私の視線に気づいたモアナさんが言う。


「うん」

 フレアちゃんが嬉しそうに頷く。


「ここに来たばかりの頃、いっぱい教えてもらったの。薬草園のお当番も一緒なのよ」

 その言葉に、三人がどこか誇らしげな顔をした。


「薬草園?」

 聞き慣れない言葉に首を傾げる。


「薬を作るための薬草を育てている場所よ」

 シーラさんが身を乗り出した。


「聖女たちで順番にお世話してるの」

「花もたくさん咲いてるし、朝はすごく気持ちいいわよ」

 モアナさんが微笑む。


「薬草の名前を覚えるのは大変だけどね」

 タリアさんが苦笑した。


 薬草園――頭の中に緑いっぱいの庭が浮かぶ。

 少し興味が湧いた。


「ねえ、フレアちゃん。あとでイオリさんに案内してあげなよ」

 タリアさんが言う。


「うん!」

 フレアちゃんはぱっと表情を明るくした。


「イオリさん、後で――」

 言いかけて窓の外を見る。


 私もつられて視線を向けた。

 夕陽はもう沈みかけていた。

 窓ガラスの向こうには藍色の空が広がり始めている。


「あ……でも、もう暗いね」

 フレアちゃんが少し残念そうに眉を下げる。


「明日の朝にしよう。朝食の前に案内してあげる」

 その言葉に自然と頬が緩んだ。


「うん。お願い」

 窓の外では、夜の風に揺れた木々がさらさらと葉を鳴らしていた。

 明日の朝――この場所で迎える初めての朝が、少しだけ待ち遠しくなった。


 食堂を出ると、昼間の賑わいが嘘のように廊下は静かだった。

 高い窓の向こうでは、夕陽がすっかり沈みかけている。

 空は薄紫色に染まっていた。



 規則正しく並ぶ燭台には、すでに灯がともり始めている。

 橙色の炎が壁に影を落とし、その影が歩くたびにゆらゆらと揺れた。


「イオリさん」

 少し前を歩いていたフレアちゃんが振り返る。


「聖苑の中、今度案内するね」

 にこりと笑った。


「敷地の中なら、自由にどこへでも行けるの」

 ――敷地の中なら……その言葉が妙に耳に残った。


 私は歩きながら視線を上げる。

 白い壁、白い天井、閉ざされた窓……美しい建物だ。

 けれど……


「じゃあ……敷地の外には自由に出られないの?」

 何気ない調子を装って尋ねる。

 フレアちゃんは「あっ」と小さく声を漏らした。


「えっとね」

 指先を胸の前で組む。


「申請を出せば出られるみたい」

 みたい……その言い方に、まだ彼女自身も外へ出たことがないのだと分かる。


「でも、その時は聖騎士さんが三人くらい護衛についてくるんだって」

 歩きながらフレアちゃんは続けた。

 白い靴音が廊下に響く。


「聖女は特別だから。攫われたりすることもあるからって」

 そこで少しだけ言葉が途切れた。


 視線が床へ落ちる。

 揺れる灯りが彼女の横顔を照らした。


「……それを聞いたら、なんだか外に出なくてもいいかなって思ったの」

 小さな声……どこか無理やり自分を納得させるような響きだった。

 私は返事ができなかった。


「……そうなの」

 ようやく出た言葉は、それだけで……

 聖騎士、護衛、言葉だけ聞けば不自然じゃない。


 むしろ当然だ。

 癒しの力を持つ聖女が貴重な存在なら、守られるのも理解できる。


 けれど……私は、どうしても別の意味に聞こえてしまった。

 護衛というより、“逃がさないための監視”。

 そんな穿った考えが頭をよぎる。


 この建物には窓がある。

 庭もある。


 空だって見える。

 なのに、なぜだろう。

 どこか息苦しい。


 護衛……その言葉が頭の中で何度も反響する。

 守るため……それとも、逃がさないため……

 揺れる燭火を見つめながら、私はそっと唇を結んだ。


「イオリさん、大丈夫?」

 ふいに呼ばれ、顔を上げる。


 いつの間にかフレアちゃんが立ち止まっていた。

 どうやら考え事に夢中になりすぎていたらしい。


 私の方が年上なのに気を遣わせてどうするの。

 思わず苦笑が漏れる。


「ええ、もちろん」

 私の言葉に安心したように微笑むと、フレアちゃんが口を開く。

「じゃあ、今から談話室を案内してもいい?」


「えっと、談話室?」

「うん、本を読んだり、みんなとお話をしたりする場所なの」


「へぇ、そんな場所があるんだ。じゃあ、案内してくれる?」

 するとフレアちゃんの顔がぱっと明るくなった。


「うん! こっちだよ」

 そのままくるりと踵を返し、先導するように歩き出す。


 廊下には柔らかな光が灯っていた。

 壁に埋め込まれた細長い照明が等間隔に並び、白い床へ淡い光を落としている。


 窓の外には藍色の空が広がっている。

 開け放たれた小窓から入り込む風が頬を撫で、食後の火照りを少しずつ冷ましていく。


「こっちだよ」

 フレアちゃんに続いて角を曲がる。


 食堂とは反対側の廊下。

 昼間より静かで、人の気配もほとんどない。

 やがて一つの広い部屋へ辿り着いた。


「ここ」

 足を踏み入れた瞬間、思わず周囲を見回した。

 中央には円を描くように配置された大きなソファ。


 深い緑色の布張りで、座れば身体が沈み込みそうだ。

 真ん中には丸いローテーブル。


 磨き上げられた木目が灯りを反射している。

 左右には低い本棚が並び、ぎっしりと本が詰め込まれていた。

 紙と革の匂い。


 ほんのり香る木材の匂い。

 静かな空気の中に落ち着いた温もりがあった。

 そして……私の視線は正面の壁で止まる。


「……あれは?」

 真っ白な板。

 いや、板というには妙だった。


 壁に埋め込まれているようにも見える。

 横長の長方形。


 縁は銀色の金属で覆われ、まるでそこだけ切り取られたみたいに滑らかだった。

 フレアちゃんが嬉しそうに頷く。


「あそこにね、時々映像が映るの」

「映像?」


「うん。いろんな儀式とか、お知らせとか」

 フレアちゃんは指を伸ばした。


「あとは皇帝陛下や大聖女様からのメッセージも流れるの」

 私は思わず目を瞬かせた。


 映像にメッセージ……まるでテレビじゃない。

 近づいてみる。


 表面は驚くほど滑らかだった。

 石でも木でもない。


 ひんやりとしている。

 指先に伝わる不思議な感触。


 小人族の村で暮らしていた頃には見たこともない代物だった。

 窓の外では虫の声が聞こえる。


 けれど、この部屋の中だけ別の世界みたいだった。

 聖女たちが本を読み、お茶を飲みながら、時々、遠く離れた場所の映像を見る。


 そんな光景がふと頭に浮かぶ。

 知らず知らずのうちに、その白い板へ手を伸ばしていた。

 この世界……私が思っていたより、ずっと広いのかもしれない。


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