4.名刺は回収
私は待っている間、踊り場から見える外の景色を見た。
でも路地裏なので向かいのビルが見えるだけ。会話もできるくらいの距離で、一つの窓が開いてる。ハゲ上がった太いおっさんがボーッと頬杖をつきながら煙草を吸ってる。白いタンクトップ姿だ。マンションにも見えなくもないけど、住んでいるのかな? その様子につい私もボーッと柵に腕を置き、下を見た。
あのおばちゃん、まだ居るし、通行人にあのクネクネを見せてる。一日一回って言ってたのに。上から見ても凄いクネクネしてる。帰ったら真似してみようかな……
あー、ってか何でこうなったんだっけ。
何でここに居るんだっけ。あ……おっさん……こっち見てる。
気まずいので目を逸らそうとした瞬間に話しかけられてしまった。
「お嬢ちゃん。……アメいる?」
「あ、アメですか……?」
「そう。アメ」
「い、いえ、結構です」
「……」
おっさんはかなりの勢いで窓を閉めてしまった。路地裏に大きくピシャンと音が響き、身体がビクっとしてしまった。
貰っておいた方が良かったかな。ってか怖すぎ。
「あのおじさん。いい人なのよ」
背後から急に声がして、「うわぁ!」と叫んで更にビクッとしながら振り返った。「キャー」なんて言った事ない。
「ごめんなさい。急だった?」
さっきのジャージ女ではなく、別の女の人だった。どこか艶かしい雰囲気のある人。美人だ。
私が声を失い、どうしていいか分からないのを勘づいたのか、優しい笑みに変わった。めっちゃ可愛いじゃないか。
美人の笑みって無敵だよね。見て損なんて絶対ないし、男は興奮……するのかは分からないけれど、とにかく安心する様な不思議な力がある気がした。
それを騙しに使う女もいるんだろうなぁ。世の中って何を信じていいか分からない。今、この状況みたいに。
「ごめんなさいね。あの子が間違えちゃったみたいで。さ、中に入って、椅子があるから」
そう言うと扉を開けてくれた。「失礼します……」と小声で言いながらそろ〜っと入ると、さっきチラッと見えたより、室内は広い。広いのだが、段ボールが多い。多過ぎる。
高積みされた段ボールが迷路みたいに部屋を仕切っていた。
そのまま案内された椅子に座り、ジッと待った。何を待っているのか分からないけれど。
何かの音がする。『ウワァ』とか『ヤァ』『ズガガガガ』とかゲーム効果音みたいな音が微かに聞こえた。誰かゲームしているのだろうか。
すると小声で「失礼しますぅ」と一回り縮こまりながらジャージの女が段ボールの隅から出てきた。
「あの〜……はい。……お茶ですぅ」
絶対怒られた後じゃん。
そう思った私はお茶を無言で受け取った。
この時は何も言わない方がいいのだ。「どうしたんですか?」なんて言ってみろ。
怒った相手がすぐ傍にいるんだぞ。怒られた理由なんてこっちには関係ないのだから。これは社会人になってから思った事。
人の異変に気付くのは良い、けれど、反応してはならないのだ。「実は……」と始まり、そこから相談が始まって面倒な事に巻き込まれたり、はたまた足元をすくわれてしまう事だってあるかもしれないし。多分。
遅れて美人の人が細長いテーブル越しに座ると、脚を組みながらお茶を飲んだ。
「うーん。取り敢えず、ごめんね。怖かったでしょう? 貴女、そこの市役所で働いてるでしょ?」
「え!? そ、そうですけど……どうして……」
「この前市役所に行った時、一番大変そうにしてたから覚えてたの。それで」
「そ、そうだったんですか。ごめんなさい。私はちょっと〜……いつの事だか覚えていなくて……」
「いいのいいの。それで怪我はない?」
「はい。全然、なんともないです」
「ならよかった。あのね、不可思議な思いをしていると思うけれど、この事は忘れてくれる?」
「え……」
そりゃ無理でしょ。二度と忘れられない出来事って今日みたいな事でしょ。こういう時ってなんて言って逃れるべきなんだろう。「分かりました! 忘れます!」なんて言って事が終わるワケがない。それともなんだ。「ひえぇ。ご、拷問ですかぁん!?」か? そっちの方がまだマシな気がする。
ああ、考えすぎて黙っちゃった。
「……まぁ無理よね……ちょっと。私の名刺持ってきて……ちょっと!? 名刺!」
「え? あ、はい!」
ジャージの女は聞いてなかった様だ。急ぎ足で段ボールの壁に吸い込まれ、すぐに飛び出てきた。
「はい! 名刺です!」
「ありがと。……これ、私の名刺ね」
片手で名刺を私に差し出した。
私は恐る恐る名刺を両手で受け取り、名刺を見た。
『吉田偶然 部長 前原由奈』
吉田偶然? 変な名前の会社だな。少しだけ長く名刺を見ていると、サッと名刺を取り上げられてしまった。
「あっ……」
「これ、あげられないのよ。記憶に留めておいてね」
なんでやねん。名刺でしょ。くれよぉ〜。
色々ブックマークやら宜しく頼みます。




