第72話 カールさん
野菜を煮る甘い香りと、肉を焼く香ばしい匂いで目が覚めた。
もう外は暗くなりかけていた。
匂いのする台所へ行くと、アイラさんとリーゼさんが食事の用意をしていた。
僕に気づいたリーゼさんが、
「あら、起きたのね」
「すいません。眠ってしまって……」
「いいのよ。ハルさんの家なんだから」
アイラさんが肉を焼きながら、
「台所、使わせてもらってます」
「いえ、どうぞ。カールさんは?」
「部屋にいるわ」
「ご加減は?」
「いいみたいよ。ハルさんに会いたがっているわ」
アイラさんから、そうきいて、僕は、カールさんの部屋に向かった。
部屋に入ると、カールさんがベッドの上で上体を起こしていた。
「お体の具合はいかがでしょうか?」
「ああ、二人の顔を見るとよくなったよ」
「それはよかった」
「ハルさんには面倒をかけたな」
「いえ、そんなことは……」
「今回、つくづく思ったよ。いくら体を鍛えても、大事なときに役に立たないなんて」
「そんなに気を落とさずに」
「迷惑をかけておきながら、また同じことをいうのだが、もし、私に万が一のことがあれば、妻と娘を頼む」
「え!」
「やはり、ハルさんしか頼める人はいない」
――いや、今度のは、前とは違うぞ。なんて答えればいいんだ。
「妻のアイラは心配していない。あいつは一人でも生きていけるからな。問題は娘のリーゼだ」
――話が、どんどん進んでいくぞ。
「年齢は大人だが、まだまだ幼い面があって、見ていて、こちらがハラハラする」
――ちょっと待って。この展開は……
「そこは、ハルさんに導いてほしい」
――カールさん、何言っているの?
「僕なんか、まだ半人前です。この村に来て、一杯のワインさえ作れていません」
――よし、なんとか持ちこたえた。
「いや、君なら大丈夫だ」
「過大評価しすぎです」
「すると、娘のリーゼでは不服なのか?」
――それは、ずるいよ。カールさん。
「リーゼさんは素晴らしい女性です」
「だったら」
――だめだ。ここで間を空けると変に思われる。
「わかりました。必ずリーゼさんを幸せにします」
――しまった。言葉を間違えた。
したり顔で、カールさんが微笑んでいた。
自分の部屋に戻るとフェリルが足元に駆け寄ってくる。僕は身をかがめ、フェリルの頭を撫でながら、
「どこで間違えたんだろう。これじゃあ、まるで、彼女にプロポーズする前に、一人で相手の親に結婚の挨拶に行ったみたいだと思わないか? どう思う?」
フェリルは何も言わず、ただ、うれしそうに尻尾を振っていた。
不思議と悪い気はしなかった。むしろ、心が軽く、浮いているような気がした。
しばらくして、食事に呼ばれる。
カールさんの望みで、僕は、食卓まで支えながら連れていった。四人での夕食になった。
カールさんは何事もなかったように食事を口にしていた。
僕はと言えば、いつもより、リーゼさんを意識してしまう。
食事が終わり、片付けを手伝っていると、リーゼさんに小声で話しかけられる。
「お父さんに何か言われた?」
「いや、別に」
「そう……」
「あ! 体調はよくなったって言ってました」
「それだけ?」
「それだけです」
後片付けが終わると、もう遅いので、三人に泊まってもらうことにした。
僕は風呂の掃除をして、湯船に湯をためた。
風呂の用意ができると、僕はシャワーですましたので、三人には遠慮せず使ってくださいと伝えた。
明日、村の人に手伝ってもらい、まだ本調子ではないカールさんと荷物を元の家に運ぶことにした。
部屋に戻り、ベッドに潜り込む。しばらくしてお風呂の音がした。変な想像をしないようにと布団をかぶるが、どうしても聞こえてしまう。
気を紛らわすために、部屋の隅で横になっているフェリルに声をかける。
フェリルがこちらを向くと、
「なあ、リーゼさんのこと、僕は、これからどうしたらいい?」
すると、初めて、僕に興味を示さず、向こうを向いて眠った。




