第67話 旅立ち
僕は、いったん屋敷に戻った。
太陽は沈んでおらず、外はまだ明るい。
家の前までくると、嫌でもブドウ畑が目に入る。
ヴィリーさんが育てて、僕がそれを引き継いだ。
思い入れもある。未練がないと言えば嘘になる。それでも、今は仕方がないと自分に言い聞かせる。
――ヴィリーさんも許してくれるだろう。
屋敷に入ると、まず、リーゼさんのお父さん、カールさんのための部屋を準備した。カールさんをかくまうのに、僕の屋敷に移すのだ。
カールさんの世話は村の人たちがしてくれることになっている。
もう一つ、僕が港町へ行くので、カーマインさんへの手紙は書かなくてよくなったが、かわりにブルーノさんに手紙を書いた。書いた手紙は、村の子供にお願いして、届けてもらう。
日が沈んで、暗くなるまで、動けない。その間に僕は旅の支度をした。
そのあと、僕はフェリルへの最後の餌を持って裏口から外に出た。
フェリルが僕に気づいて、足もとまでやってくる。
あいかわらず、尻尾を振って、うれしそうに僕を見つめている。
餌をフェリルの前に置くと、食べだした。
僕は、しゃがんで、首輪の留め金を外す。
フェリルは、食べるのをやめ、僕を不思議そうに見る。
「悪いがお別れだ。好きなところに行けばいい。でも、人様に迷惑をかけちゃいけないよ」
頭をなでながら、言葉のわからないフェリルにそう言って、僕は、外した首輪を手に持って屋敷に戻った。
最後に地下室に行った。
樽に耳を当てる。どの樽も、今朝と同じ発酵の音がしている。
――あと十日。
十日すれば、鉱山に運びたい。でも誰にも頼めない。鉱山のあの石灰の洞は誰にも言えない。言えば、ドルグさんの迷惑になるだろう。だから、あきらめるしかない。
ヴィリーさんが何年も追いかけて、届かなかった味が、もしかしたら、手前くらいまでは、いけたかもしれない。
そんなことを考えていると、急に別のことを思い出した。
――そうだ。港町に着いたら、職人ギルド長に手紙を書こう。クズ石と洞を借りる代金を、ラチェットばさみと石鹸で入ったお金で払うようにお願いしてみよう。
――あ! ギルド長に借りるはずだった荷馬車のことも謝らなければ。
◇
日が沈み、外がすっかり暗くなったころ、村の人たちの肩を借りて、毛布にくるまったカールさんがやってきた。リーゼさんとアイラさんもいっしょだった。
僕は、カールさんのために用意した部屋を案内した。
ベッドに横になるカールさんと、そのそばにいるリーゼさんとアイラさんを残し、僕と村の人たちは部屋を後にした。
村の人たちが家に帰るのと行き違いにブルーノさんが荷馬車に乗ってやってきた。
荷馬車の後ろには、幌をかけた大きなものを牽いていた。
「ハルさん。もってきてやったぜ」
「ブルーノさん、できたのですね」
「ああ、たぶん」
「たぶん?」
「ハルさんの言った通り、歯車も変えられるようにしたし、止まれるようにした。バネも入れて、ゆれも抑えた。少し走らせてみたが問題ない。でも、港町までだろ? そんなに長く走らせていないんだ」
「そうですか……乗ってみてもいいですか?」
「ああ、もちろん」
ブルーノさんは、勢いよく、幌を外した。
滝のそばで壊れたはずのミゼットが現れた。
運転席には、ハンドルとスイッチ、ブレーキ以外に、もう一本のレバーがついていた。
――たぶん、あれでギアを変えるのだろう。
荷台は荷馬車と変わらない。
僕は、ミゼットの運転席に座ると、ブルーノさんが説明する。
「魔法石を動かすのと、ミゼットを止めるのは前と変わらない。歯車を変えるのが、新しい棒になる。手前に引けば、遅い速度で走り、向こうにやれば、速く走るはず」
――はず?
僕は、ギアをゆっくり手前に引いた。
おそるおそる、スイッチに手をかける。
ブルーノさんがあわてて、遠のくのが見えた。
僕は、少しためらって、スイッチを入れた。
ミゼットはゆっくりと走り出した。
――ニュートラルがない。
普通、車はスイッチを入れても、急に走り出さない。ギアをかませず、車輪を動かさないニュートラルの状態がある。それを教えるのを忘れていた。
――でも、何とかなるだろう。
レバーを少し前に押し、ギアを変えてみた。少し力とコツがいる。
ミゼットはスピードを増した。
さらに、速度を上げる。
――いいんじゃない。
ハンドルを回すと、その方向に曲がる。
ブレーキも効くし、ゆれも少ない。
――これはいける。
「ブルーノさん! いいです! いい調子で!」
と、僕はミゼットを運転しながら叫んだ。
ギアを落とし、屋敷の前で止めた。
「ブルーノさん……」
ブルーノさんが見えない。
ようやく、屋敷の陰から現れた。
「どうだ! すごいだろ?」
――……なら、なぜ隠れる?
「いいです。これなら」
「そうだろうとも」
ブルーノさんの自慢げな顔にあきれるも、なぜか憎めない。
――でも、これなら、港町まで二晩でつくだろう。
――そうだ。ブルーノさんに最後に魔法のことをきかなきゃ。
「ブルーノさんにききたいことがあるんだけど、僕に何か隠していません?」
「あるさ。でも、それは、今度、会ったときに話してやる。いいな?」
僕は笑って頷いた。
――そうさ、また会えるさ。きっと。
ブルーノさんと別れて、僕はカールさんのいる寝室に向かった。
僕がドアを開けると、カールさんに寄り添っていたリーゼさんとアイラさんがあわてて目をぬぐっているのが見えた。
「行く準備ができました。持っていくものを教えてください。運びますから」
「もう荷馬車の用意ができたの?」
と、リーゼさんがたずねるので、
「ええ、馬車じゃないんですけど……」
同じように不思議そうな顔をしている三人が見えた。
カールさんが弱々しい声で、
「妻と娘を頼みます」
「任せてください」
◇
屋敷を出ると、村の人たちが戻ってきていた。荷馬車に似たミゼットを見て、出発は近いと察し、見送りにやってきたのだろう。
「これで、港町まで行くのかい?」
「ええ」
「馬はどこにいるんだい?」
「この車は、馬がなくても走るんです」
村の人たちも、リーゼさんと同じように不思議な顔をした。
リーゼさんの家から、大きなトランクを一つ、村の人たちに運んでもらい、僕は僕で、自分の荷物をミゼットの荷台に乗せた。
アイラさんとリーゼさんが、村の人たちにお礼と別れを言ったあと、ミゼットの荷台に乗った。
村の人たちに、
「アイラさんとリーゼちゃんをよろしく頼むな」
と、言われ、固く手を握られた。
「わかりました。きっと無事にお送りします」
持っていた鍵を差し出し、
「これ、屋敷の鍵です。預かってもらえます?」
「ああ、わかった」
僕は、運転席に乗り込んだ。
「すこし、ゆれますので、しっかりつかまっていてください」
荷台に乗った二人は不安そうに抱き合っていた。
ハンドルを握り、スイッチを押す。
ミゼットはゆっくり走り出す。
僕は意識して、ブドウ畑を見ないようにした。
村を抜けると、ギアを上げて、スピードを増した。




