第66話 お触書
翌朝、地下に下りた。
樽に耳を当てると、ぷつぷつと聞こえる。日ごとに音は減っているが、まだ、発酵が続いていた。
発酵が終わると、澱を落ち着かせなければならない。
――運び出せるようになるには、あと十日ほどかかるだろう。
運び出す前に、荷馬車を用意しなければならない。
フェリルに餌を与えて、朝食を済ませると、荷馬車を手配するために僕は街に向かった。
◇
街の職人ギルドで荷馬車を借りたいと相談すると、受付の人が奥へ入っていった。しばらくして、バーナードさんが現れる。
「ハルさん。奥へ」
通されたのは、いつもの応接間だった。
ワインを寝かすところが見つかったので、そこに運ぶ荷馬車を貸してほしいと伝えた。場所は秘密にしたいと話すと、
「わかった。うちのを一台、貸そう」
ということになった。
受付がお茶を持ってきて、立ち去ると、バーナードさんが神妙な顔でたずねた。
「敗戦のこと、聞いたかい?」
「街の広場で聞きました」
バーナードさんは、椅子に深く座り直した。
「これから、どうなると思う? ハルさんの意見を聞きたい」
「はい……。こちらのことはわかりませんが、僕がいたところでは、負けたほうが賠償金を払うか、もしくは領土を一部、あけ渡すか……」
「そうか……」
「あと、裁判で負けたほうの国の上層部が責任を負わされます」
学校で習った二つの大戦を思い出し、そう答えた。
「いっしょだな」
「でも、攻め込んだほうが負けた場合、多くは引き上げて終わります」
これが最も多かったと思う。
「もし、攻められた国に戦力が残っていれば?」
「賠償金や領土の交渉がうまくいかなければ、攻めてくるでしょうね」
「そういうことだな」
と、しばらくバーナードさんは黙った。
鉱山のトロッコの電動化も相談しようと思っていたが、それどころではない。
まして、鉱山の地下を借りることを秘密にしたいので、今、話すことではないと思う。
「荷馬車は、明日にでも用意しておくよ」
と、バーナードさんは言ってくれた。
ギルドを出て、広場にやってくると、また人が集まっていた。
昨日とは、別の貼り紙が貼ってあった。
人垣のうしろから、背伸びをして読んだ。
『以下の者に敗戦の責めを問う』という書き出しのお触書だった。
次の行から、人の名前が並んでいた。その筆頭に知っている名前があった。
『サー・ヴィルフリート・ファルケンハイト』
――ヴィリーさん……
人の名前が連なった後に、以下の文言が続く。
『名を挙げられた者の血縁は、同じく罪を問う。
かくまった者も、同じ罪とする。』
リーゼさんは、ヴィリーさんのことを大叔父様と呼んでいた。血縁者だ。
僕は急いでその場を離れた。
街の門をくぐると、顔なじみの衛兵が立っていた。かならず、あいさつをしてくれるのに、今日は目が合うと、何も言わずに目をそらした。
僕は、村への道を急ぐ。いつもは見えるまわりの風景が目に入らない。
◇
リーゼさんの家は静まり返っていた。
窓の外側の戸まで閉まっていて、物音もしない。まるで、何年も住人のいない家のようにひっそりとしていた。
呼び鈴を鳴らす。
返事はない。
もう一度、鳴らした。
ドアが、少し開いた。
「……ハルさん」
リーゼさんが、隙間からのぞいている。
「広場で貼り紙を見て……」
「知ってるわ」
弱々しいリーゼさんの声だった。
「さっき、街から人が来て、教えてくれたの。どうぞ、中に入って」
ドアが開く。
居間には小さなランプが一つだけ灯っていて、アイラさんを囲むように、村の人たちが十人ほど座っている。
「ハルさんかい?」
アイラさんが、顔を上げた。
見渡すと、リーゼさんのお父さんが見えない。
「お父さんは?」
と、リーゼさんにたずねると、
「奥で寝ているわ。知らせを聞いて、倒れたの……」
アイラさんが付け加える。
「あの人、ああ見えて、体が弱かったの。だから、昔、ヴィルフリート様にあこがれて騎士になりたかったのに、なれなくて、悔やんでいたわ」
「ごめんなさいね、ハルさん。こんなときに」
僕に謝った。
これからどうするか、ある程度、決まっていた。
母娘二人だけでも国を出る。それしかない、というところまで話は進んでいた。
村のひとりが、
「行くなら、北の港町だ。そこから船に乗れば。港町に誰か信用できるものはいないか?」
カーマインさんの顔が浮かんだ。
「知っている商人がいます。信用できると思います」
「じゃあ、ハルさん。その知り合いに手紙を書いてくれないか」
「わかりました」
と、僕は引き受けた。
「ハルさん。すまないね」
アイラさんに謝られる。
「いえ、これぐらい」
また、ひとりの村の人が疑問を投げかけ、話は続く。
「で、港町までどうするかだ……」
「あそこまで、どうやって行く? 街道は、じきに見張りが立つかもしれない」
「昼間は目立つから動けない。動くとしたら夜だけだ。そうなると荷馬車で一週間ぐらいかかるな」
「誰が港まで送る?」
と、一人が言うと、もう一人が、
「いや、だめだ。異国に女性を二人だけにするのはいけない。誰かが最後まで付き添うべきだ」
そう言うと、みんな、黙った。アイラさんがすまなさそうに口にする。
「みなさん、これ以上、ご迷惑をかけることはできません。二人で異国に参ります。皆様の恩は一生、忘れません。ありがとうございます」
沈黙が続いた。
リーゼさんとアイラさんを安全な場所に連れていきたい。
でも、そうなると、仕込んだばかりのワインをあきらめるしかない。
ブドウ畑、地下室での作業が思い出される。
リーゼさんの不安な顔が目に入った。
「僕が二人を連れていきます」
「だめよ。ハルさんにはブドウ畑があるじゃない」
「異国で、また一から始めればいいだけだよ」




