第62話 炭鉱から来た客
ミゼットの試乗で体の節々が痛い。
それでも、朝起きると、地下へ下りて樽に耳を当てた。
そのあと、昼にも下りる。気になれば、何度でも聞きに行かずにはいられなかった。
それでも、何も聞こえない。発酵が始まれば、ぷつぷつという音がするはずだった。
実際には聞いたことはないが、醸造所での説明でそう聞いていた。
ただ、発酵したあと、ワインを熟成させるには、この地下室はあまりにも乾燥していた。
乾燥していると、樽が縮み、その隙間からワインが蒸発し、代わりに空気が入ってしまう。それが原因でワインが酸っぱくなるのだと、祖父から聞いていた。
◇
ある日、家の前に馬車が止まる音がして、しばらくしてドアのノックの音が聞こえた。
呼び鈴を鳴らさず、ノックするのは、ブルーノさんかと思い、ドアを開けてみると、見知らぬドワーフさんが二人立っていた。
ブルーノさんたちよりは、すすにまみれておらず、肌の色も少し白く感じる。
作業着ではなく、背広のような服を着て、手には帽子を握っている。
それでも、長年、力仕事をしてきた体つきは隠せなかった。
「ハルさんのお宅でしょうか?」
「ええ、そうですが……どちら様でしょうか?」
「これは失礼しました。私、炭鉱で働いているドワーフたちをまとめている、ドルグという者です」
「初めまして、私がハルです」
「で、こっちは、息子のブッチです」
若いほうは何も言わず、恥ずかしそうに頭を下げる。
「こんなところではなんなので、中にお入りください」
と、家の中へと招き入れる。
二人が中に入ると、僕は奥へ通そうとするが、
「いえ、ここで結構です」
と、遠慮する。
「でも……」
「大丈夫です」
「わかりました。それで、何のご用でしょうか?」
「正直に言わせてもらいます。実は、今回の戦で、炭鉱でとれた鉱石を、国にただ同然で買い上げられてまして」
「それは大変ですね」
「ええ。ところが、最近、ブルーノが……いえ、ブルーノさんがクズ石はないかと訪ねてきて。いくらかあげたのですが……」
――モーターの材料だな。
「なんでそんなものが必要なんだと聞いても、あいつ、いや、ブルーノさんは答えてくれません。恥を忍んで、ブルーノさんに炭鉱の現状を伝えると、職人ギルドかあなたに相談したらいいと言われました。あなたに会う前に職人ギルド長に話したら、バーナードも、いや、バーナードさんにも、あなたに相談するように言われまして……それで、今日、お伺いしたわけです」
「そうですか……それは大変でしたね」
そういって、少し考える。
――まだ未完成だが、完成すればミゼットは大量に作られる。そうなれば、磁石として必要なクズ石がもっと必要になるはず。今のうちに買っておいてもいいだろう。
ドルグさんが、わらにもすがるような顔で見ている。
「わかりました。クズ石は私が買えるだけ買い取りましょう。値段はドルグさんを信じて、いい値で買い取らせてもらいます。買い取ったクズ石はブルーノさんのところに運んでください」
「ありがとうございます。助かります」
――なんか、商人になった気分だ。
「どうです。何か飲まれていきます?」
「いえ、おかまいなく」
「緊張と慣れない話で喉が渇いたんじゃありません? 外のベランダでお待ちください。何か冷たいものでも持って行きますから」
「そうですか、ありがとうございます。実は、もうカラカラで……」
◇
柑橘系の冷たいジュースをベランダに運ぶと、二人は一気に飲みほした。
相当、喉が渇いていたんだろう。すこし、気が楽になったのか、
「広い畑ですね。何を育てているのですか?」
と訊かれる。
「ワインをつくるブドウを」
すると、二人の顔がこわばった気がした。
「そういえば、こちらでは、ワインを好んで飲むのは炭鉱のドワーフさんたちだけだとよく聞きます。どうしてですか?」
言いたくないようだった。少しして、
「……そうですね。やっぱり、汗をかく仕事をしていると、酸っぱいものが飲みたくなるんですかね」
――だったら、ブルーノさんたちも飲むはずなんだが……
言いたくないんだから、それ以上は聞かないことにした。
「なるほど」
ドルグさんは悩んでいるようだったが、僕は気にしないでジュースを口にした。
「いや、だめだ。ハルさんは俺らに気を使って、クズ石を買ってくれるんだ。そんな人にウソはいけねえ」
「親父! でも……」
「いや、正直に話そう」
思い詰めてから、話そうとするので、僕は、
「無理に話さなくてもいいんですよ」
口ではそう言いながら、心の中の好奇心が、聞きたくて仕方がない。
「いえ、話させてくれ。炭鉱のピンチを救ってくれるハルさんにだまってちゃあ、いけねえ。本当のことを話させてくれ」
ドルグさんは続けた。僕は話を止めず、黙って聞いてしまった。
「炭鉱では、あの酸っぱいワインを樽ごと、市場で買ってくるんですが、それをそのまま飲まず、炭鉱のある場所に寝かせるんです」
――寝かせる? もしかして……
「そこは湿気の多いジメジメしたところですか?」
ドルグさんは驚いた顔をして、
「そうですが……よくご存じで」
僕は、思わず立ちそうになるが、じっと我慢した。
元の世界でワインを熟成させていた場所を思い出した。あの湿気の多いトンネルを。
「そういうところを探していたんです。でも……秘密だったんですよね?」
「ええ、炭鉱は我々にとって、もっとも大切なところです。だから、他のやつらに荒らされたくなくて。それで黙っていたんですが……」
「じゃあ、僕も訊かなかったことにします」
――残念だけど仕方がない。ドワーフさんの気持ちはわかる。自分たちが大事にしている場所に見ず知らずの人たちがやってくるのは嫌だろう。
「そいつは、いけねえ。俺もハルさんを信じて話したんだ。このままじゃあ、恩知らずになっちまう。ぜひ、あの場所を使ってくれ」
「いいんですか!」
「もちろんですとも」
僕は、自分が、これ以上ない笑顔なのがわかる。
そのあと、僕が炭鉱を訪ねることになった。
ドワーフさんたちが帰ったあと、僕は地下室に下りて、樽に聞き耳を立てる。
樽の中から「ぷつぷつ」と聞こえる。
まるで産声のようだった。
――間に合ったかもしれない。
僕は、その産声をずっと聞いていた。




