第61話 ミゼット
絞った果汁を、樽に移した。
果汁は樽の口まで満たさなければいけない。空きを残すと、空気と触れ、そこから傷んでいく。
足りなさそうだと、小さな樽に入れ、余るようだったら、別の樽に入れる。それでも余れば、それ用の一つの樽に混ぜることにした。
最後に、酵母菌として取り分けておいた澱を、それぞれの樽へ落とし、ふたをした。
あとは、発酵を待つだけだった。
――やれることはやった。あとは、運を天に任すだけ。いや、こっちの世界では女神様に任すのか。
そんな、ある日、ブルーノさんが馬車で迎えにやってきた。
「どうしたんですか?」
と、訊いたら、
「行ってみたら、わかる」
としか言わない。
行き先は、モーターの実験をした滝の近くだった。
広場のようなところで、大きな幌をかぶったものを中心に、ドワーフさんたちが集まっている。
「もう、言ってくれてもいいでしょ?」
「まずは、これを見てくれ」
と、大きな幌を外すと、中から、馬車が出てきた。
馬車と言っても馬がおらず、馬の代わりに、ハンドルのようなものがついている。
「もしかして、これって、モーターを使って……」
「ああ、そうよ」
「できたんですね?」
「まあな、すごいだろ?」
「ええ」
「乗ってみたいだろ?」
「もちろん」
「じゃあ、乗ってくれ」
「いいんですか?」
「ハルさんにはぜひ、乗ってほしいからな」
「そうですか、で、どうやって動かすんです?」
「これがスイッチだ」
と、座席の横から出てきた棒を握り、先のボタンのようなものを押す操作を見せる。
「それに、この棒を動かすと馬車の向きが変わる」
と、座席の前にあるハンドルのような横棒を動かす。
「この棒を引っ張れば、止まるんだ」
と、スイッチの棒の横にある、もう一つの棒を引く動作をする。
ブルーノさんが、笑顔で「どうだ」という顔をしている。
「それだけですか?」
と、僕は思わず訊いた。
「ああ、これだけだ」
「ちょっと、待ってください。これって、だれか動かしました?」
「いいや。怖がって、だれも」
「僕が初めてですか」
「そうだ。だから、言ったじゃないか。ハルさんにぜひ、乗ってほしいって」
「無理ですよ」
「でもよ。誰かが最初に乗らなくっちゃ」
「じゃあ、ブルーノさんが乗ったら、どうです?」
「いや、やっぱり、こういうのは詳しいハルさんに乗ってもらって、有意義な感想や助言をいただかないと……。それに、ほら、俺には嫁と子供がいるから。さあ、乗った! 乗った!」
と、ブルーノさんに押される。
「わかりました。乗りますよ。だから、押さないでください」
「そうか、乗ってくれるか」
と、ブルーノさんが押すのをやめる。
僕は、大きく深呼吸して、馬のいない『新馬車』に乗り込んだ。
――これも恩返しだ。ブルーノさんにはお世話になってるから……いや、だめだ。無理!
自分に言い聞かせようとしても、無理なものは無理である。降りようと、ドワーフさんたちを見ると、みんな、好奇心の目で僕を見ている。
――うーん……
腹をくくった。前を向いて、
「じゃあ、動かしますね」
「ちょっと待ってくれ」
というと、ドワーフさんたちが、蜘蛛の子を散らすように遠くに逃げ出した。
「いいぞ!」
と、遠くで声がする。
「……」
気を取り直し、ハンドル片手に、スイッチを押した。
いきなり、猛スピードで走り出す。
これは想定していたので、踏ん張ることはできた。でも、それからが想定外だった。
いくら平たい場所とはいえ、舗装された道じゃない。
新馬車が跳ねる。跳ねる。
そうなると、ハンドルも、ブレーキも効かない。
スイッチをもう一度、押してみたが、すでにスピードがついていて止まらない。
――僕の異世界生活も終わった。
この世界でお世話になった人の顔が次々と走馬灯のように浮かぶ。
ヴィリーさん。リーゼさん。ブルーノさん――……
結局、新馬車は滝の池に向かって走っていき、池に突っ込む前に僕が振り落とされたところまでは覚えているが、そのあとの記憶はない。
◇
「おーい! 生きてるか?」
ブルーノさんの声が聞こえる。
僕は夢うつつであったが、一気に記憶がよみがえり、跳ね起きた。
「ああ、死ぬかと思った」
「そんな大げさな」
と、串に刺して焼いた魚をくわえているブルーノさんが言った。
周りを見渡すと、ドワーフさんたちが、新馬車が半分沈んでいる池に集まって、浮いた魚を捕り、焼いて食べている。
新馬車の漏電でまた、魚が感電し浮いたのだろう。
――なんか、あきれて怒る気もしない。
「で、どうだった?」
と、魚片手にブルーノさんが訊く。
「その前に、僕にも焼いた魚ください」
ブルーノさんと魚を食べながら、新馬車について話した。
話していると、他のドワーフが集まってくる。
みんな、手には焼いた魚を持っていた。
「まず、いきなり、あのスピードはまずいです。スピードを変えられるように、ギアを変えられるようにしないと」
「どうすればいい」
「複数の大きさの違うギアを重ねて、かみ合わせるギアを動かすようにすれば、どうだろう?」
僕の車の知識は、運転免許をとるときに教習所で習った程度で、ほとんどない。だから、案を出して、あとは、ブルーノさんたちに任せるしかない。
「うーん。やってみるか。あとは?」
「車輪の軸についているバネをどうにかして、地面の凸凹したところをもっと吸収しないといけない」
「なるほど」
気づけば、集まった他のドワーフさんたちも、真剣に聞いている。
「それに魔法石から流れる電流の量を調節できれば、いいんだが……」
僕が思い浮かべたのは、いわゆる可変抵抗器でボリュームなどのつまみのようなものだったが、これに関してはさっぱり仕組みがわからない。
こちらの世界でもランプの光や、コンロの火加減で調節しているみたいだが、これも、さっぱり仕組みがわからない。
「そうだな。フロリアンに訊いてみるか」
「フロリアンさんに?」
「ああ、あいつは、北の魔法王国の出身だから、魔法については、ここらじゃ一番、詳しいんだ」
「へえ、そうなんですか……」
「そうだ。この新しい馬車に名前をつけてくれねえか」
「名前ねえ……電動荷車?」
「なんかな……もっと、愛嬌ある名前がいいな」
「愛嬌ね……」
小さな荷車で思い出した名前がある。
「ミゼットってどうです?」
「ミゼットねえ……いいね!」
今後、この荷車は「ミゼット」と呼ぶようになった。




