第60話 仕込み
倉庫には、木枠に金網を張ったものがいくつもあった。そのうち、一つを地下室まで運んでおいた。
これで、房から粒を外す。いわゆる「除梗」だ。
軸をいっしょに潰してしまうと、青くて渋い味が出る。だから潰す前に、粒だけにしておかないといけないと聞いていた。
網の上で房を押しつけて転がすと、粒がぱらぱらと下の桶へ落ちて、軸が手のひらに残る。
網の目は使いこまれて、あちこち歪んでいた。
◇
簡単だと思っていたが、やってみると大変だった。
力を入れすぎると粒がつぶれて、汁が網から垂れる。弱ければ軸に粒が残る。何房かしているうちに、ちょうどいい力加減がわかってきた。
あとで「破砕」するのだから、つぶれてもいいと思うのだが、醸造所では、丁寧に外していた。
もちろん、醸造所では機械でも「除梗」は行われていた。
傾いた筒のようなものから房を放りこむと、粒だけが下へ落ちて、軸は端から押し出されてくる。人は横に立って、様子をのぞき込んで見ていた。
もう一方では、長い台の脇におばさんたちが並んで、一房ずつ、手で粒を外している。
「手で外したほうが、機械でするより、いいワインができます。でも、量が多いため、多くの人手が必要で、機械にも頼っています」
と、見学のとき、醸造所の人が言っていた。
そんなことを思い出しながら、ふと顔を上げると、一つ目のたらいがまだ半分も減っていない。
機械という誘惑に負けそうになる。
また、ブルーノさんに作ってもらおうかと思うが、
――いや、おいしいワインのためだ。それに……
実は、機械に頼らない理由が、もう一つある。
それは日記に書いてあったのだが、収穫の日には、村の人たちに手伝ってもらい、圧搾まで行っていた。
その日は、お酒や料理を振る舞い、みんなで楽しく作業をおこなったらしい。
とくに、ブドウの実を足で踏む「破砕」はおもしろいらしくて、かわるがわる、やりたがったそうだ。
食べ物に誘われてか、子供たちや老人たちまで集まり、まるで、祭りのようだったと書かれてあった。
――来年はやりたいな。
その前には、自分が一度、すべての工程を経験して知っていないといけない。そうじゃないと、来年、手伝いにきた村の人に笑われると思ったからだ。
ひとつのたらいがようやく終わり、次の工程「破砕」にはいる。
すべてのたらいが終わってから、「破砕」にはいることも考えたが、そうすると、最初のたらいが何日も待たされることになる。
涼しいうちに摘んで、夜のうちに運んだ実だ。できれば、発酵する前に、樽の中に詰めたい。
そこで、たらいごとに圧搾まで、行うことにしていた。
「破砕」には、ヴィリーさんの秘密の道具がある。地下室の隅に布をかけて、見つからないように隠してあった。
鉄でできた箱型の破砕機は、底のほうに三つのローラーがあり、横についているハンドルを回せばローラーが回って、ブドウの実をつぶすしくみになっている。
果物や野菜などを粉砕するのに使われていたようだが、ヴィリーさんが、ブドウ用に調整したものだった。
これが、なぜ秘密の道具かというと、村の人たちの、実を踏んで行う楽しみを取り上げないためだ。といっても、雨季前に間に合わなかったとき、地下室で、この破砕機を使っていたそうだ。
除梗した実をいれ、まわしてみたが、思ったよりうまくいかなかった。
ゆっくり回すと、しっかり潰れずに、実は下に落ちる。速く回すと空回りし、落ちない。
いい塩梅に回すと、実がきれいに潰れ、ぷちぷち、と皮の弾ける音がする。
地下室にブドウの甘い香りが立ちのぼった。
加減を気にしながら、ハンドルを回すと、なかなか大変で、腕が疲れてくる。
たらいごとに行ってよかったと思う。すべてのたらいの実を一気に「破砕」すると腕が持たなかっただろう。
次に破砕した実を、圧搾機に入れる。そこにふたをして、T字型のハンドルを回してふたを下げ、圧力をかける。すると、圧搾機の下のほうの口から、黄緑色の果汁がとろりと流れ出した。
それが、少しずつ樽の底に溜まっていく。
◇
たらいごとに仕込みを行って、何日か経った、ある日。
いつものように、フェリルがドアを叩く音が聞こえる。
――餌の時間か。
と、仕込みの手を止め、上にあがる。
地下室のドアを開けると、フェリルが待っていた。ところが、いつも餌をねだるのに台所に向かうはずが、玄関に駆けていく。
不思議に思い、あとをつけると、玄関に、リーゼさんとアイラさんが立っていた。
リーゼさんは、大きな籠を抱えていた。
「こんにちは」
と、どうして、家に入れたのか、不思議に思ったが、とにかく、あいさつをすると、
「こんばんは、もう、とっくに日が落ちているわよ」
と、アイラさんに、優しい声で怒られる。
「すいません」
「このところ、ずっと、見かけないし、家の灯もついていなくて、どうしたんだろうって、近所で話題になっていたのよ」
「ずっと、地下室にこもっていたので」
「そうだったの。このフェリルちゃんがドアを開けてくれなかったら、ドアを壊そうかとも思っていたのよ」
「え! お前、ドアを開けられるのか」
フェリルが尻尾をふりながら、僕を見つめている。ほめてほしい目をしている。
「食事、作ってきたから、食べて。まともに食べてなかったんでしょ?」
「ええ。まあ」
リーゼさんが、近寄って、
「生きていたのね」
と、冷たい声のリーゼさん。
「……生きてました」
「ちっとも顔を見せないから……」
怒った声のリーゼさん。
「すいません」
「心配していたのよ」
と、籠を押しつけてくる。
「ごめん」
「手伝わせてって、言ったじゃない」
「ブドウの収穫までの経験はあるけど、ワインの仕込みは初めてで、僕もよくわかっていなかったんだ。それに……」
「それに? 何?」
「男が一人で住んでいる家に、若い女性を入れるのは……」
「また、それ! 私はいいのよ」
僕が困っていると、アイラさんが割って入る。
「リーゼ! それぐらいでやめときなさい。ハルさんは、あなたのことを思って言っているのよ」
「だって……」
「親としては、そういう誠実さのある男の人がいいわ。さあ、帰るわよ」
と、アイラさんは、リーゼさんの腕を引っ張る。
二人が去ろうとするので、僕は声をかけた。
「来年、雨季までに間に合えば、ヴィルフリート様がやっていた、祭りのような収穫をしたいと思います」
アイラさんが、振り返って、
「それは楽しみね」
リーゼさんも、
「そのときは、なに言われても手伝うからね」
「こちらから、お願いするよ」
二人が去ったあと、フェリルと夜食を食べた。
久しぶりの温かい食事だった。
気づくと、雨の音が消えていた。




