↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
56/61

第56話 雨の臭い

 次の朝、日の出とともにリーゼさんがやってきた。


「おはようございます。ハルさん」


 朝から元気な声に、


「おはようございます」


 と、答えるも、思わず吹き出しそうになるのをこらえる。


 リーゼさんのいでたちが、ツボにはまってしまった。


 だぶだぶのシャツにオーバーオール、作業靴を履き、麦わら帽をかぶっている。


 それが、どれも大きすぎて、彼女に合っていない。


 たぶん、父親のを借りてきたのだろう。


 やる気が服にでていて、見ていると、けなげに思える。


 何か言ってあげたいが、言葉を間違えると、傷つけることになるかもしれないので何も言えない。


 僕は、できる限り冷静をよそおい、リーゼさんにブドウのことを教えることにした。


 まずは、ブドウの実の色の変化、重さ、やわらかさなど、実際に実を触らせながら教えた。


 一粒の実を手にとり、日に透かしてみせた。透かした実をみようとリーゼさんの顔が近づく。近づく彼女の唇が気になり、僕は思わず、持っていた実を落としてしまう。


 何もなかったように、別の実を摘み、リーゼさんに味わわせてみた。


 酸っぱかったのか、彼女は顔をゆがめた。


 その顔を見た僕は思わず、


 ――かわいい。


 と思ってしまう。


 ときどき、話していて目が合うと、どちらからともなく目をそらしてしまう。それでも、何もなかったように、ブドウの話をつづけた。


 リーゼさんも、目が合うたびに頬が赤くなる。そんなことを繰り返し、僕は、ブドウのことを教えた。


 夜の散歩での出来事は、あれきり、二人とも口にしていない。


 別の日には、収穫の話をした。


「雨が降る前に収穫しなければならないんだ」


「どうして?」


「熟れたブドウに水があたると、実が雨を吸って、せっかくおいしく熟れたのに、その味が薄まってしまうんだ。そして、実が……パーン! って割れるんだ」


 僕が「パーン」というところで少し声を上げて言ったので、彼女はびっくりした顔になった。


「ごめん。脅かしてしまって」


 と僕は笑いながら、すぐに謝った。


「もう、びっくりしたじゃない」


 と、リーゼさんは少し怒っている。


 実は、僕の不安がリーゼさんに伝わらないように、できる限り、明るく説明したかったのだ。


 ――雨が降る前に、ブドウの実が熟してくれればいいんだが……。


 間に合わなければ、今まで育ててきたことが、無駄になってしまう。


「それと、今回の収穫は、夕方から早朝になりそうなんだ」


 もう一つの不安は、この暑さだ。季節が秋になって、朝夕の暑さは和らぎ、過ごしやすくなった。それでも昼間の暑さはまだ残っている。


「収穫するときの暑さも、ブドウにとっては大敵なんだ。なぜって? 暑い日に収穫すると、勝手に発酵しだして、酸化が進んだり、最悪、腐ってしまうこともあるんだ」


 リーゼさんと、そんな朝のひとときを過ごしたあと、二人で麦刈りに出かける日が続いた。


 ブドウの実は熟し、収穫してもよいころだと思う。ただ、中には、まだ熟しきっていないものもある。


 風も日に日に暑さを緩め、雲も少しずつ増えてきた。


   ◇


 麦刈りを手伝い終え、夕方になったころ、気づく。


 日が沈みかけているにもかかわらず、夕焼けが麦畑を赤く染めていない。


「このぶんだと、明日から、雨がふりそうだな」


 と、誰かがつぶやいた。


「ああ、それに風の向きもかわったし、遠くの山も、なんだか近くに見えるしな」


「雨の臭いも少しするよなあ」


 それを聞いて、僕は、


 ――今夜、ブドウを摘もう。もう少しで熟す実もあるが、しかたない。


 と、空を見上げて、決心する。


「今夜、収穫するのね?」


 と、リーゼさんに訊かれた。


「うん、そうする」


「じゃあ、私も手伝わせてね」


「それは……」


 若い女性が一人、夜中に男の家に行くのは、どうかと思う。実は、リーゼさんを、家にはなるべく入れないようにしていた。一人暮らしの男の家に入るのは、世間的にまずい。変な噂が流れて、リーゼさんに迷惑がかかるのを避けたかった。だから、


「いや、それはダメだよ。夜遅くに、若い女性が、男の家を訪ねるなんて……」


「でも……」


「ごめん」


 そう言うと、リーゼさんは残念そうな顔をした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。