第55話 麦刈り
朝はブドウ畑に出て、見てまわる日が続く。
いくつかのブドウの実の色は黄緑から、うっすらはちみつ色を帯びたものに変わってきた。房を手のひらで下から支えると、重たくなってきている。指ですこし押すとやわらかくなってきているのがわかる。
――収穫には、もう少しだな。
実家では、この時期になると醸造所の人が糖度計を持ってきた。そこに果汁を一滴のせて、覗いて目盛りを読んで糖度検査を行う。そうして収穫日を決めていた。
「そんなことしなくても、みりゃあ、だいたいはわかるもんだ。あとは、一粒、噛んで、種を見りゃ、いつ摘めばいいか決めりゃあいい」
と、よく祖父は言っていた。
祖父には、実際に畑で教えてもらった。実の色がはちみつ色に変わること。房を持ちあげると、水分と糖分が詰まって重たいこと。一粒を手にとって光にかざすと、中の種が透けて見えること。口に入れて甘さを確かめ、種が茶色くなっていれば、そのときが収穫だということ。
祖父の見立ては、糖度計から導きだした収穫日と、いつも同じだった。
だから、糖度計のない今、祖父の教えに頼るしかない。
◇
昼食はベランダで食べていた。
涼しくなったので、風鈴は軒先から外した。
食べていると、人通りがないことに気づく。
初めは戦争で、人が減ったせいだと思っていたが、それでも、あまりにも少ないというか、だれも通らない。近所の人も見かけなくなった。
夕方になり、夕食を食べていると、人々が帰ってきた。
――どこに行っていたんだろう?
と、通りかかった一人に訊いてみた。
「ああ、麦刈りさ。戦争で多くの男性がとられたからな。残ったもので、手伝いにいっているのさ」
「それなら、僕も誘ってくださいよ。手伝わせてください」
そうして、次の日から、朝のブドウ畑の見まわりを早めに終わらせ、みんなといっしょに麦刈りの手伝いに行った。
◇
その日は村のはずれの畑が麦刈りの日だった。
麦畑は一面、薄い金色に覆われていた。
すでに何人も出ていて、鎌の音がする。
僕も鎌を借りて刈り始めた。麦刈りなんて初めてだった。見様見真似で、みんなのすることをまねた。刈った麦を抱えるくらいの束にまとめ、藁の紐で腹を縛る。それを何束か束ねて数か所に立てる。
さすがに腰にくる。それでも、みんなの力になればとがんばった。
いたるところで、人々の話声や笑い声が聞こえる。
「悪いね。ハルさんにまで手伝わせて」
と、そばでいっしょに麦刈りをしていたおじさんが話しかけてきた。
長く垂れた眉をした人だった。その眉が、いっそう下がっている。
「いいんですよ。僕も村の皆さんにお世話になっているんで」
と、腰の痛みを隠して、笑顔で話す。
「戦争がなければ、こんなことにならなかったのに。おっと、いけねえ。つい、口が滑ってしまった。今のは聞かなかったことにしてくれよ」
「もちろんです」
そう答えると、垂れた眉が少しだけ上がったように見えた。
「ハルさん。知ってるかい? 今度の戦争で徴兵された人たちのこと?」
「いえ」
「冒険者だろ、首都の学校に通っていた学生だろ。なんでも剣や魔法の授業を受けていたらしい。それに……戦に使えるスキルをもっていたものが徴兵されたんだそうだ」
「そうなんですか……」
――そうか。それで、僕は徴兵されなかったんだ。
刈った麦の束を積んでいる場所にもっていくと、そこは隣の畑のそばだった。
隣の畑では、脱穀が行われていた。
――前に麦刈りが終わった畑だろう。
脱穀は、櫛のように鉄の歯を並べた台で行われた。歯のあいだに穂を差し入れ、手前に引く。ぱらぱらと粒が落ちる。
――千歯扱き、だったかな。
小学校の社会科見学で、こういうものを見た覚えがある。
脱穀は女性の仕事みたいだ。多くの女性たちがいた。その中に、リーゼさんが見えた。
周りの女性と楽しそうに話をしながら、脱穀をしている。
リーゼさんは、僕と目が合うと、恥ずかしそうに目をそらしていた。
すると、リーゼさんがまわりの人にからかわれはじめたようなので、僕も麦の束を立てて、次の麦刈りの場所に向かった。
そのうちに、畑のあちこちに麦の塔が建った。
日が傾くと、塔の、日があたるところが赤く照らされ、麦を刈られたところは塔と人々の長い影を残し、ほかは赤く染まっている。
どこかで見た風景だった。
元いた世界の、たぶん美術館だったか、教科書の写真だったか。まさにこの風景を描いた絵画に思える。なんて名前の絵画だったか覚えていない。作者の名前も出てこない。でも、いま目の前にある風景が、絵画のように美しく見えた。
◇
その畑の麦刈りも終わり、みんなで水を回し、休んでいると、
「これが済んだら、そろそろ降りだすころだねえ」
誰かが空を見上げて言った。
僕の隣にいた男性が、
「毎年こうなんだ。麦を刈り終えると、雨が続く。十日か、半月ぐらいな」
「そんなに続くんですか」
「続くよ。雨の日の麦刈りは大変だろ? だからこうやってみんなで急いで刈っているんだ」
――ヴィリーさんの日誌にも、この時期の雨のことは書いてあった。
そういえば、祖父が言っていた。
「摘む前の雨は、一年をだいなしにする。実が水を吸って、皮が割れ、味が薄まっちまう」
夏に一度、降られたことがある。雨については準備はできていたので、なんとかなった。
街の店で油紙を買い、継ぎ合わせて、並んだブドウの木の上にかけられる大きさにした。雨が降ったときには、それを木の列にかぶせて、雨をしのいだ。
――収穫は急がなければ。
でも、まだ収穫するには、ブドウは熟していない。
帰りは散々冷やかされたあげく、リーゼさんと二人で村へ戻ることになった。
帰り道、リーゼさんが、
「ブドウ畑も手伝わせて」
というので、
「いいですよ」
と答えた。
いつのまにか、腰の痛みがどこかへいってしまっていた。




