第50話 夏祭り
その日、畑に出ていると、通りを、子供たちが駆けぬけていった。
祭りは夕方からなので、大人は日が沈んで涼しくなってから出かけるが、子供たちは、我慢できないのだろう。
リーゼさんのお母さんから、祭りの前に寄ってほしいと言われていた。浴衣の着付けが正しいか、見てほしいのだそうだ。
畑仕事を終え、まだ時間があったので、作りかけの小物を仕上げる。
この世界にも扇子はある。ただ、レースや羽をあしらった西洋扇子で、浴衣には合わない。一から作るのは無理なので、西洋扇子を買ってきて、レースをはがし、骨だけにした。そこへ、ブドウの果汁を塗った紙を貼った。ゆうべの糊も、もう乾いているだろう。
紙に染みたブドウの汁は、淡い黄緑に色づいて、涼しげだった。
少し勢いをつけて、閉じてみる。
パーン。
と、乾いた音がした。
――これ、これ。この音だ。
我ながら、できすぎなくらいだった。
日が傾きはじめたころ、浴衣を着て、下駄を履き、扇子を持って出かけた。
リーゼさんの家に寄ると、アイラさんが出てきた。まだ浴衣ではなく、普段着のままだ。
「こんにちは、アイラさん。少し、早かったですかね」
「いえ、ちょうどいいころよ」
アイラさんは家の中へ向かって、
「さあ、ハルさんが来てるわよ」
と声をかけた。
恥ずかしそうに、浴衣を着たリーゼさんが現れる。
淡いピンクの浴衣に、薄赤の帯。帯とおそろいの鼻緒。手には、同じ柄の巾着を提げている。
金色のやわらかな髪、薄い水色の瞳、ほのかに桃色を差した白い肌。それが浴衣と溶けあって、透きとおったような、涼しげな空気をまとっていた。
可憐さに一瞬、見惚れてしまった。
「どう?」
訊かれて、我に返る。
「……あ。すごく、似合ってるよ」
「本当!」
リーゼさんは、はしゃいで、くるりと回ってみせた。
とくに、髪を結い上げて、白いうなじがのぞくのが、色っぽい。
「リーゼ、楽しんでらっしゃい。ハルさん、よろしくね」
アイラさんはそう言うと、娘を送り出して、さっさとドアを閉めてしまった。
「下駄、歩きづらくないですか」
「大丈夫」
そうは言っても、玄関先には数段の階段がある。僕は、手を差し出した。
リーゼさんの手が、そっと僕の手に重なる。ゆっくりと、段を下りた。
夕暮れに赤く染まった草原と麦畑。西洋風の屋敷が点在する景色の中を、僕たちは浴衣姿で、街への道を並んで歩いた。
道すがら、行き会う人に、口々に声をかけられる。
「いい服だね」
「涼しそうで、この季節にぴったりだ」
「私もほしいわ」
街の手前では、ロッテさんとグレタさん、それに湖へ避暑に行った友達が待っていた。会うなり、男たちは僕の、女たちはリーゼさんの浴衣を、じろじろとながめて、うらやましがる。リーゼさんは、浴衣がよほど気に入ったのか、むしろ得意げだった。
街に着くと、祭りはもう始まっていた。
多くの人が行き来し、出店の呼び込みの声が飛び交う。いくつもの食欲をそそる匂いが次々と鼻を襲う。
涼しげな装いの人でにぎわう中、僕たちが目に入ると、みなが、うらやましそうに振り返る。
――こんなに注目されるなんて。ちょっと、恥ずかしいな。
和の気分を味わいたかっただけなのに、と、少し後悔した。
それでも、出店で買い食いをし、くじを引き、リーゼさんたちと祭りを楽しんだ。
ひときわ人が並ぶ出店があった。行ってみると、肉屋のおかみさんが、コロッケを売っている。横では、痩せたおじさんが、滝のような汗をかきながら、次々とコロッケを揚げていた。
――コロッケなんて、教えなきゃよかったかも。
おじさんを見ると、少し気の毒になる。
おかみさんは次々、コロッケを売っている。僕に気づくと、
「ハルさん。食べていくかい」
人数分を頼んで払おうとすると、
「お代なんて、いらないよ。ハルさんのおかげで、この大盛況だ。もらったら、罰があたる」
「そうだ、罰があたる」
と、おじさんまで笑顔で繰り返す。
「あんた! 手が止まってるよ!」
おかみさんに叱られて、また揚げはじめた。
もらったコロッケを、みんなで分けた。ひと口かじると、外はカリッ、中はホクホク。それでいて、肉の味がしっかり効いている。僕が作ったものより、ずっとうまい。
――どうして、教えた料理を、みんな僕よりおいしく作るんだ。自信を、なくすよ。
食べたみんなにも、コロッケは好評だった。
「作り方、教えてね」
と、リーゼさんにねだられる。おかみさんに教わったほうがいいと思うが、約束した。
「でも、お母さんには内緒よ。私の得意料理にするんだから」
日もすっかり暮れたころ、誰かが言った。
「そろそろ、花火が上がるんじゃない?」
「じゃあ、いつもの場所へ行こう」
向かったのは、街を少し外れた高台だった。
階段を上るうち、リーゼさんが、歩きづらそうにしているのに気づく。
「足、痛くなった?」
「少し……」
みんなを先に行かせ、僕たちは残った。
階段のそばのベンチに、リーゼさんを座らせる。僕は、その前に膝をついた。ほっそりとした足から、そっと下駄を脱がせ、膝にのせる。鼻緒のあたる指のつけ根が、少し赤くなっていた。
「そんな……」
と、恥ずかしがるリーゼさんに、
「大丈夫です。気にしないでください」
鼻緒をゆるめ、履かせなおす。
「もう片方も……」
と、見上げたとき。
ヒュー……ドカン。
花火が、上がった。
その光に照らされて、リーゼさんの顔が、僕を見つめている。
――なんてきれいなんだ。
気づけば、僕はリーゼさんの肩に手を置いて、そっと顔を近づけた。リーゼさんが、静かに目を閉じる。
――だめだ。止まらない。
「ここにいたの! 花火、始まったわよ」
ロッテさんの声がした。
あわてて肩から手を離し、僕は、何ごともなかったように、もう片方の鼻緒をゆるめた。
そのあとは、みんなといっしょに、夜空に咲く花火を見上げて、楽しんだ。
僕とリーゼさんは、みんなに気づかれないように、指先だけ、そっとつないでいた。




