第34話 商人キース・カーマイン
市場からの帰り道でのことだった。
一台の荷馬車が、ぬかるんだ泥道にはまって、立ち往生していた。
街でよく見かける幌馬車とは違う、しっかりとした木造の馬車だ。荷台のそばに、二人の男が立っている。一人は、身なりのきちんとした紳士。もう一人は、普段着の、いかにも従者といった風の男だった。
二人は、車輪の下に板をかい、反対から丸太をてこにして、なんとか馬車を動かそうとしている。紳士のほうも、上等な服を泥で汚しながら、必死だった。
「手伝いましょうか?」
「それは、助かります」
僕も加わって、三人で丸太を押し込むと、車輪は、ぬかるんだ轍を、ずるりと乗り越えた。
「ありがとうございます。本当に、助かりました」
「いえ。困ったときは、お互いさまです」
「名乗りもせず、申し訳ない。私、北の港町で商いをしております、キース・カーマインと申します。こちらは、従者のカイトです」
「カイトです」
と、もう一人が、帽子を脱いで、丁寧に一礼した。
「ハルと申します」
「ハルさん……? そうですか。これから、どちらへ」
「家に帰るところです」
「それは、よかった。ちょうど、ハルさんのお宅へ、伺うところだったのですよ」
「え?」
思いがけない言葉に、僕は面食らった。
「実は、エルフのテオさんに頼まれましてね。お米を、お届けするところだったんです」
「お米が……手に入ったんですか!」
思わず、声が弾んだ。
「ええ。北の森の魔物を、勇者様たちが討伐してくださったおかげで、北の港と、この街の行き来が、できるようになりまして。さっそくテオさんが訪ねてきて、ハルさんにお米を届けてほしい、と」
馬車に乗せてもらい、屋敷まで運んでもらった。
二人があまりに泥まみれだったので、まずはシャワーを浴びてもらい、汚れた服は洗って、日に干した。これだけ日差しが強ければ、じきに乾くだろう。
さっそく、お米を見せてもらう。
――本当だ。お米だ。
それも、玄米だった。
――玄米か……やっぱり白米が食べたいな。
実家では、近くの農家から玄米を分けてもらうと、祖母が精米していた。そんなことを、ふと思い出す。
「これで、ごはんが食べられます。ありがとうございます」
と、キースさんにお礼を言った。
キースさんが運んできたのは、お米だけではなかった。
梅に、梅酒。そうめん、うどん、そばといった乾麺。そのうえ、しょうゆに、味噌まである。
――こんなものまで。
驚く僕に、キースさんは、にこやかに言った。
「ほしいものがあれば、なんでもおっしゃってください。探してまいりますから」
「そんな、ご迷惑を……」
「いいえ。商売ですから、それにハルさんとは、長くお付き合いしたいので、ご遠慮はいりません」
「そうですか。でも、どうして、こんなものが……? 味見してもよろしいでしょうか?」
「どうぞ」
というので、しょうゆを指先につけて、味見してみた。
まさに、あのしょうゆだった。
僕が感動していると、キースさんが、
「これらは、東の国の特産品でしてね。昔、東の国に異世界人様が転生されて、その方が広めたものなのですよ」
――異世界人。
どきりとしたが、平静を装って、「そうですか」とだけ答えた。
「異世界人様の現れた国は、どこも栄えるんです。東の国も、昔は貧しかったのが、今では作物の実りで右に出る国がないほどの、大国ですから」
「その方は、今は……?」
「もう何百年も前のこと。とうに、お亡くなりです」
「そうですか……」
「――ハルさんは、その東の国の異世界人様と、ご同郷なんですね」
「ええ。……あ」
言ってしまってから、しまった、と思った。
「やっぱり」
「……ずるいですよ、その聞き方」
「商売人ですから」
しれっと返されて、僕は、思わず笑ってしまった。
「でも、東の国の立派な異世界人様と、いっしょにしないでくださいね。僕なんて、スキルがなくて、お城を追い出された身ですから」
「仕方ありませんよ。今の国王は、いけません」
キースさんの声が、少し低くなった。
「どうやら、南の国と、戦をはじめるという噂です」
「戦……」
――城にいるヴィリーさんは、大丈夫だろうか。
ふと、そんな思いがよぎる。
「南の国には、ダンジョンがありましてね。攻略のために武器づくりが盛んで。それを目当てに国を占領するつもりだとか、もっぱらの噂で」
「この街や、村は……大丈夫でしょうか」
「わかりません。ですが、万が一のことは、考えておいたほうが、よろしいかと」
「考えるって、何をです?」
「この国を、出ることです」
それは、できない。
ヴィリーさんから引き継いだ、あのブドウ畑があるのだから。
僕が黙っていると、キースさんは、ふっと表情をやわらげた。
「……先代の国王は、それはご立派な方だったのですが。残念です」
キースさんもお腹がすいているだろうと、食事を作ることにした。
うどんを茹で、冷水にさらす。冷えた麺を器にのせ、しょうゆを垂らした。肉をしょうゆで焼き、野菜をのせて、二人に出した。
梅酒もついだ。
キースさんたちは、おいしさに驚いて、あっという間に平らげてしまった。
梅酒も好評だった。
なんでも、東の国から取り寄せてみたものの、調理法をしらなかったらしい。
僕も、久しぶりの和食に、とても満足した。




