第3話 ブドウ畑と屋敷とリーゼ
庭師さんから預かった布包みには鍵も入っていて、それを使うと、重厚なドアが開いた。
「やっぱり、この家だよな」
あまりに立派な屋敷なので、どこかでここではないんじゃないかと地図を何度も確かめたけど、間違ってはいなかったみたいだ。
いきなり、広い玄関ホールが現れ、正面に二階にあがる階段がのびている。
あまりにも豪華な屋敷に言葉を失った。
長い間、使われていないことがわかっていたのであろう。多くの家具には埃をかぶらないように白い布が掛けてあった。
長旅の疲れと睡魔で横になりたかった。
壁際にあった長椅子の、白い布の上に身を横たえた。
相当疲れていたのだろう。すぐに眠ってしまった。
そして、朝。
閉められた窓の戸の隙間からの朝日に照らされて、目が覚めた。
起きると記憶があいまいで、ここがどこかわからなかった。
思い出すと、まずブドウ畑が見たかった。
僕は屋敷を出て、隣のブドウ畑へ向かった。
広大なブドウ畑にはブドウの木が等間隔で整然と植えられている。近づくと葉が生えはじめ、雑草も伸び始めている。
「そろそろ、剪定と除草をしないといけない」
そうやって、一本一本状態を見て回ると、一本の木の前で、足が止まった。
その木は多くの剪定がなされていた。ずいぶん前のものから新しいものもある。それら、どれも導管を傷つけないように剪定され、傷口もきれいに塞がっている。
「これは……もしかしてガロダン?」
祖父が「木を生かす剪定」と呼んでいた、あの精密な剪定。幹の血管を守りながら邪魔な枝を切り、長生きさせる技術だった。
「ヴィリーさん、すごいな……それに、この木は庭師さんにとって、大事な木なんだ」
多くの丁寧な剪定を見ると、ヴィリーさんが、いかに、この木を大事にしているかがわかる。
ブドウについて語らった日のヴィリーさんの笑顔が思い出された。
「でも、このままじゃあ……」
◇
屋敷に戻ると、あらためて立派な屋敷に気後れしてしまう。
――僕が住むにはもったいない。
二階建ての白亜の豪邸。まるで貴族が住むような屋敷だった。
――ヴィリーさんって、何者?……庭師さんだと思っていたけどとんでもないな。
白い漆喰の壁、太い梁、使い込まれた木のテーブルに、暖炉。窓を開ければ、さっきのブドウ畑が一望できる。
まるで映画で見た貴族の屋敷だった。
――ここで、暮らすのか。
「――あなた、誰?」
振り返ると、戸口に、若い女性が立っていた。年齢は二十歳前くらい。警戒した目で、僕をまっすぐ見ている。
「ここは私の知り合いの家よ。あなた、何勝手に入っているの?」
彼女の圧に思わず、たじろいでしまう。
「あ、……いえ、怪しい者じゃ、ないんです」
僕は慌てて、朝まで寝ていた長椅子の横に置いてあった布包みを拾い、彼女に差し出した。
「この屋敷を、譲り受けたんです。城のブドウ畑の、庭師さんから」
女性は権利書をのぞき込み、そこに記された名前を見る。
「ヴィルフリート様から?」
「あの庭師さん、ヴィルフリート様っていう名前なの? 僕にはヴィリーっていったけど」
女性はまだ疑いの目で僕を見ると、
「どうして、ヴィルフリート様は、あなたに屋敷を与えたの?」
「ブドウ畑の手入れを頼まれて……でも、こんな豪邸だなんて知らなくて……」
女性の顔が緩んで、
「ヴィルフリート様らしいわね」
張りつめていた警戒が、すうっと溶けていく。
「わたし、リーゼ。すぐ近くに住んでるの。ヴィルフリート様は、わたしのおじいちゃんのお兄さんなの。あなたの名前は?」
「はるひこ、です。ゆずき、はるひこ」
「ハルヒコ? この国のひとじゃないのね」
「はい」
――異世界人って言うと、また怪しまれるので、外国人ということにしとこう。
「ハルヒコねえ……ちょっと、言いにくいわ。ハルってよんでもいいかしら」
彼女は、ようやく笑った。その明るい笑い方は見ているだけで幸せになれる気がした。
リーゼさんの誤解がとけたところで、僕は、ヴィリーさんのことを訊いてみた。
「あの、ヴィルフリート様って……どういう方なんですか」
「ここら一帯の領主様だったの。そのあと、前の王様と一緒にワインを研究するため、首都に住むようになったわ。今は年に何回か、こっちに帰ってくるぐらいかしら」
――それで、この立派な屋敷のことが理解できたが、でも、そうなら、そうといってくればよかったのに。
――そういえば、ヴィリーさん、言っていたよな。
わけあって、私は死ぬまでここの面倒を見るつもりなんだ。
――そういうことなんだ。
◇
リーゼさんが帰ったあと、屋敷の中を見て回った。感想は、
――部屋数が多すぎるよ。ヴィリーさん!
ちいさなホテル並みに部屋数があった。
ダイニングは、見たこともない長いテーブルが部屋の中央に置かれている。
――いったい、何人で食事をするつもり。ヴィリーさん!
リビングは、一目では数えきれないソファーや椅子の数。
台所は、まるでフランスの田舎にあるようなおしゃれなキッチン。多くの料理器具が整然と並んでいる。
あと気づいたのが、玄関ホール。あれはただの玄関ホールじゃない。パーティ会場じゃないか。
――こんなところで、一人で暮らせないよ。ヴィリーさん!
贅沢な悩みが増える一方、おなかがすいたので食事する。現実逃避である。
まだ旅での干し肉とパンが残っていたので、それで済ます。
次に、寝るところ決めなければと思う。
――前のくらしじゃあ、考えられない。寝る場所を決めるって贅沢すぎる。
で、どこにしたかというと、多分、使用人が使っていただろう質素な部屋にした。
質素な部屋のベッドにあったシーツと布団を外に運び、埃を払って、日に干した。
もう一度、畑を見回ると、ブドウ畑から少し離した一角に、小さな野菜畑を見つけた。
夜。
眠る前に外に出てみた。
月が輝いていた。
月の青白い光が、ブドウ畑を静かに照らしている。葉の一枚一枚が、銀色に揺れて。見上げれば、こぼれ落ちそうなほどの星が夜空を覆っている。
実家で見た夜空よりも、ずっと多くの星々が輝いていた。
部屋に戻って、布団にもぐる。日干ししたおかげで、陽の匂いに包まれた。
僕は目を閉じた。
――明日は何をしよう。




