第21話 芽吹きと北風
朝、畑に出て、僕は、思わず声をあげた。
ブドウの枝の、あちこちの節から、ちいさな緑が、顔を出している。
あの「涙」で目を覚ました木が、ついに芽吹いた。
実は、もう少し時間がかかるだろうと、思っていた。ヴィリーさんの日誌にも、そう書いてあった。
産毛のような若芽は、朝日に透けて、淡く光っている。指の先で、そっと触れてみる。こわれてしまいそうな、やわらかさ。それでも、確かな、命の手ざわりがあった。
――もう芽が、出たよ。ヴィリーさん!
一つずつ、顔を近づける。どの木にも、ちゃんと、芽吹きの気配があった。クールタージュで、空洞化してしまった、あの古木にも。
――よかった。本当に、よかった。
涙を流し、芽を吹いてくれた。僕のやったことは間違っていなかったし、木々は応えてくれた。
それが、たまらなく、うれしかった。
とりわけ、あの古木の芽には、しばらく、見入ってしまった。
幹はくり抜かれ、空洞になったのに、その枝先に、ちゃんと、あたらしい芽が息づいている。
正直、自信はなかった。それでも古木を思い、ノミで幹を削った。みすぼらしくなった幹に心が痛んだが、でも、こうして、報われた。
◇
それからは、毎朝が、楽しみで仕方なかった。
芽は、日ごとに、ふくらんでいく。やがて葉になり、つるを伸ばし、秋には実をつける情景が頭に浮かぶ。
朝、ブドウ畑を眺めながら飲むハーブティーはさらにおいしく感じた。
リーゼさんがよってくれたとき、さっそく新芽を見てもらった。
笑顔でとても喜んでくれた。
「リーゼさんのおかげです」
「え! 私、なにもしていないわよ」
「いえ、リーゼさんがいてくれたおかげで……」
と言いかけて、恥ずかしくなった。
「そうだ! ドライフルーツを作ったんだ。持って帰ってほしい」
リーゼさんを残し、台所に急いだ。
容器にドライフルーツを入れて、戻ってくると、リーゼさんに手渡した。
「おばあちゃんに教わったドライフルーツなんだ。よかったら、食べてみて」
リーゼさんは受け取った容器を開けて、嬉しそうに、
「まあ! おいしそう」
と満面の笑みを浮かべた。
リーゼさんが帰ったあと、胸の鼓動が、まだ、おさまらない。
――僕は、あのとき、リーゼさんに何を言おうとしてたんだ……
◇
その日は、朝から、妙な風が吹いていた。
昼だというのに、北から、冷たい風。せっかくの春の陽気が、奪われていく。畑の葉が、不安げに、ざわめいているようだった。
――なんだか、嫌な感じがする。
夕方になると、その風が、ぴたりと、やんだ。
とたんに、しんと、底冷えがしてくる。空を見上げれば、雲ひとつ、ない。
その、あまりの静けさに、僕は、不安になった。
昼の北風。夕の無風。雲のない、冷えた空。
――まさか……
ヴィリーさんの日誌に書いてあった。
『春、芽が出たころの、遅い霜に気をつけること』
遅霜。
芽吹いたばかりの、やわらかい芽に、霜が降りれば、たやすく凍りつき、黒く枯れてしまう。
実家でも、遅霜には気を付けていた。
油断して、遅霜にやられた近所の畑もあった。せっかくの芽が、ぜんぶ、しなびて、その年は、ほとんど実がつかなかった。
遅霜が迫っていることに気づくと、一家総出で、畑のあちこちに火を焚き、かわるがわる夜通し火の番をした。そうして遅霜に立ち向かった。
今でも、その光景は鮮明に覚えている。
――この畑は、ぜったいに守ってみせる。
備えはしてあった。
屋敷の裏の、炭窯。石鹸を作るのに必要な灰を集めた場所だった。あのときは、なぜ、こんなものが、と思っていたが、日誌を読んで、わかった。万一の遅霜の夜、畑で火を焚くための、炭づくりの窯だったのだ。
畑を見回し、火を置く場所を決めていく。広い畑だ。火は、いくつも、要る。
――間に合うだろうか……
僕は、納屋へ走り、たくわえておいた炭を、畑へと運びはじめた。
季節外れの寒さに、運ぶ手が、かじかんでいる。
日が落ちる。さらに、気温は下がっていく。
――長い夜に、なりそうだ。




