表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
16/60

16話 ぶどうの涙

 ピザ窯の土台にする石を並べながら、僕の心は、半分、ブドウ畑にあった。


 剪定を終え、古木のクールタージュも済ませた。やれることは、やった。

 あとは、木が応えてくれるのを待つしかない。


 毎朝、早く目が覚め、日の出とともにブドウ畑を見てまわる。


 ――今日も、まだか……。


 冬の間、ブドウの木は枯れ木のように見える。葉もなく、茶色い枝と幹だけしかない。まるで眠っているようだった。

 けれど春が近づき、地面が暖まると、根が目を覚まし、地中深くから、水や栄養を吸い上げはじめる。水と栄養は木の導管を伝って、木の隅々までいきわたる。


 木が生きていれば、剪定で切った枝の先から、透明なしずくがにじみ出てくる。

 それが――「ブドウの涙」。


 涙が出れば、木は生きている。根が動き、水を吸い上げている証拠なのだ。


 ――涙が出なければ……


 今は、運を天に任すしかない。


 とくに、気がかりなのは、あの古木だった。

 幹をくり抜き、空洞にしてしまった。あれだけ大きく手を入れて、はたして耐えてくれたのか。畑の主のような、いちばん古い木。もっともヴィリーさんが大切に育てていた木だった。


 ――もしものことがあれば、合わす顔がない。


 そんな気を紛らわすため、ピザ窯を作っているのかもしれない。


   ◇


 遠い昔。実家の畑で、祖父が切り口から垂れるしずくを見て、安心した顔をしていたのを思い出す。まだ小さかった僕は、そんな祖父に言ったことがあった。


「おじいちゃん、枝の先から水がたれているよ?」


 すると祖父は、しわだらけの顔をほころばせて、こう言った。


「これはな、このブドウの生きている証なんだ。冬のあいだぐっすり眠ってた木が、目覚めて、そのときに出るのが、この涙なんだ。お前も朝、目が覚めたときに、あくびといっしょに、涙が出るじゃろ? あれだよ」


「そうなんだ……」


「わしにはな、これが、今、目がさめたから、これからよろしくって言っている気がするんだ」


「ふーん」


 祖父は、このしずくを「ブドウの涙」ということを教えてくれた。


   ◇


「ブドウの涙」を流さない日々が長く続いた。ヴィリーさんの日誌を見ても、そろそろ流しだすころだった。


 毎朝、ブドウの木を一本一本、念入りに確かめても、その兆しすらない。


 ピザ窯を作りながら、ブドウ畑が気になって仕方ない。


 次の朝も、出ない。その次の朝も。

 涙を流さなかった。


 ある日、ピザ窯作りに気が入らず、畑の前でぼんやりしていると、リーゼが通りかかった。


「どうしたの? 難しい顔して」


「いや……木が、まだ目を覚ましてくれないんです」


「ヴィルフリート様も、この時期になると、毎朝この畑を眺めていたわ。今のハルさんと同じ顔をして」


 ――ヴィリーさんも、待っていたんだ。


   ◇


 そして、ある朝のことだった。


 あまり期待せずにいつものように外に出て、ブドウ畑へ向かった。その日はいつもと空気が違った。やわらかく、湿っていて、いつもより強い土の匂いがした。


 ブドウ畑を見たとき、思わず、畑のほうに駆け出した。


 ブドウの木のそれぞれの枝先が日の光に照らされ、光っていたのだ。


 もっとも手前にあったブドウの木を確認する。枝先から小さなしずくが、宝石のように輝きながらこぼれていた。


 思わず、手のこぶしを思いっきり握りしめた。握ったこぶしが震えている。


 ――やった! 生きててくれた。


 隣の木を見る。こぼれている。その隣も。


 あわてて、他のブドウの木を見て回る。どの木の枝先にもしずくが垂れていた。


「ブドウの涙」を流していたのだ。 

 

   ◇


 最後に、僕は畑の真ん中へ向かった。


 あの古木。カビをくり抜き、空洞になった、みすぼらしい木。いちばん心配していた木。ヴィリーさんが大事にしていた木。


 剪定した枝先に顔を近づけてじっくりと見た。


 ――……出ていない。


 さっきまで、喜んでいたのに、一気に気が滅入る。


 ――やはり、あの大手術は古木にはこたえたのだろうか?


 「ブドウの涙」が流れない枝先をじっと見つめた。


 ――いや、まだあきらめないぞ。この木だけ、目覚めるのが遅いだけなんだ。きっとそうだ。


 と自分に言い聞かせていると、


 すると。


 ぷくり、と。


 切り口の端に、ちいさな水玉がふくらんだ。ゆっくりと、大きくなり、重さをこらえきれなくなったのだろう。


 つーう、と一筋、年老いた幹に落ちた。


 声にならなかった。


 永く生きた、幹がからっぽの木が、水と養分を吸い上げて、生きている。


 ――この世界にきて、一番うれしい!


 ブドウ畑のすべての木が、日に照らされて、「ブドウの涙」をきらめかせていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ