第14話 赤いブドウ
それから、数週間。
寝かせておいた石鹸が、ようやく、使えるようになった。
型から外すと、琥珀色の、なめらかな塊の石鹸ができた。鼻を近づけると、ハーブの、さわやかな香りがする。あの、灰くさい石鹸とは、まるで別ものだ。
さっそく、湯で、試してみた。
――おお。
手のひらの上で、きめ細かい泡が、もこもこと立つ。湯で流すと、さっぱりして、肌がつるつるになる。
――……できた!
遠い昔の祖母と祖父の石鹸づくりを見ていてよかった。まさか、こんなときに役立つとは思ってもみなかった。二人には感謝しかない。
◇
さっそく、リーゼさんに、ひとつ、渡してみた。
次に来たとき、彼女は、目を、きらきらさせていた。
「ねえ、ハルさん。あの石鹸、すごいわ! きめ細かい泡は立つし、いい匂いだし、お肌もつるつるになる。――あんなの、はじめて」
「祖母に習った、作り方なんです。よかったら、まだ残っているので、あげましょうか?」
「本当? 友達にも、使わせていい?」
断る理由もなく、
「もちろん」
リーゼさんはいくつか渡すと、嬉しそうに持って帰っていった。
そういえば、と思い出して、市場に買い物に行ったついでに、石灰を安くわけてくれた店主にも、約束どおり、ひとつ届けた。受け取ったおやじは、
「おお、これか? 使わしてもらうよ」
と、喜んでくれた。
その市場の帰り道、ロッテとグレタに、つかまった。
「ハルさん! あの石鹸、どこで売ってるの?」
「ロッテったら、いきなり……。でも、わたしも、気になってたの」
二人とも、僕の作った石鹸をすっかり、気に入ったらしい。
「いや、売ってるわけじゃ……祖母が作っていたのを思い出して、僕が作ったので」
「ええ! もったいない! あれ、絶対、売れるわよ!」
ロッテが、力説する。
売って儲けよう、なんて、思っていなかった。
――祖母の見よう見まねで作ったもの、売るなんて恐れ多い。余ったら、近所に配ればいい。
それくらいの気持ちだった。
◇
石鹸作りがうまくいって、次に気になっていたのは、野菜のことだった。
屋敷の野菜畑は、土地の広さの割に、植えている野菜が少なかった。
――ヴィリーさんが不在で、畑を世話する人がいないから、あえて、植えていないのだろう。何か植えたいな。
リーゼさんに相談すると、いい店がある、という。
「種や苗なら、エルフのフロリアンさんのお店ね。ちょっと変わってるけど、植物のことなら、すごく詳しいのよ」
連れていってもらったのは、村のはずれの、緑にうもれた、小さな店だった。
店先に、すらりとした人影。長い、耳。
――エルフだ。
以前、旅に出る前に寄った居酒屋で見かけたが、フロリアンさんは落ち着いた雰囲気に品があった。
「いらっしゃい。おや、リーゼじゃないか。そっちのお客は……はじめましてだね」
フロリアンさんは、のんびりした口調で、僕を、まじまじと見た。
「ハルといいます。畑に植える野菜を探していて」
「ほう。何を、植えるんだい?」
「いえ、まだ決めていなくて……何を植えればいいですか」
と、正直に言うと、フロリアンさんは止まらなかった。
次々と野菜を勧められる。
この土地に合う品種、種のまき時、相性のいい組み合わせ。
圧倒されるが、なぜか聞いているだけで、楽しい。
結局、いくつかの苗と種を見繕ってもらった。
◇
会計を待つあいだ。ふと、店の奥の棚に、目が留まった。
小さな、ブドウの苗。――その葉の付け根が、ほんのり、赤みを帯びている。
「これ……赤ブドウ、ですか」
「ん? ああ、それかい。あんまり、人気がなくてねえ。そのまま食べるのも、ワインにしても、すっぱいだけだから」
――赤だ。
引き継いだ畑は白系ばかりだった。赤いブドウの木は、一本もなかった。それが、
――ここで、見つかるなんて。
胸が踊る。
「あの……これって、このまま、植えても大丈夫なんですか? 病気に強いですか?」
「他に植える方法なんてあるのかい?」
「ええ、台木が必要か知りたいんです」
フロリアンさんが、きょとんと、首をかしげる。
「台木ってなんだい?」
「いえ、その……病気に弱い木を、病気に強い木で、接いで、育てる……」
「接ぐ? なるほど……」
フロリアンさんは、僕の顔をじっと見つめる。
「リーゼ、この方は、ヴィルフリート様の屋敷に住んでいる人?」
「ええ、そうよ」
と、遠くで店の花々を見ていたリーゼさんが応えた。
「そうか……」
フロリアンが、急に笑い出した。
「これは、これは、ぜひ、これからも親しくさせてもらいたい。よろしく」
差し出された手を、僕は握った。
「この木が病気に強いかって、質問だったね。実はよくわからない。言ったように、この木は人気がないんだ。誰も買わないし、誰も植えたりしないからね。だから、わからないんだ」
「じゃあ、どうして、ここにあるんですか?」
「どうも、これだけ間違って、まぎれこんだものらしい」
「そうですか……できれば、もう何本か同じものを秋ごろに用意してもらえませんか?」
――病気の耐性については、僕が調べなくてはいけないようだ。それによって台木にするか、決めよう。
「今、すぐじゃなくいいの?」
「植えるのは、秋ごろがいいので」
「わかった……」
会計が済むと、フロリアンさんは、
「いつでも遊びにおいで。歓迎するから」
「はい、また来ます」
と言って、買った苗と種を抱え、リーゼさんと店を出た。
店で見つけた赤系のブドウの木が、しばらく頭から離れなかった。




