第5話「疑心」
『あんたの仕事は掃除だよ、そんなこともできないようじゃ、捨てるしかないね』
叔母の声が響き、
『雑用係として無理して置いてやっているんだ。追い出されないようにするんだな』
叔父の声が重なり、
『その辛気臭い顔を私に見せないでお義姉様! とっとと追い出されればいいのに』
莉緒の声まで混じって、私はしゃがみ込んでしまった。
「柚月葉様! 大丈夫ですか?!」
「柚月葉殿! どこか気分が悪いのですか?」
膝から崩れるようにしゃがみ込んで、耳を塞ぐ私を二人が心配する声が聞こえる。私なんかを心配してくれる人がいる。なんだかすごく申し訳なくて、苦しくて、「ごめんなさい」と、小さく謝罪する。
「痛いところはございますか?」
背中を摩りながら美坂にそう問われても、胸の奥が痛くて苦しいなどと口にはできない。そんな私の隣に碧海もしゃがみ、背中に手を置く。
「ゆっくり呼吸をしてください」
落ち着いてと、優しく声を掛けてくれる。
碧海の指示に従い、私は息をゆっくりと吸い込んで、ゆっくりと吐きだす。耳に籠っていた声が徐々に消えてゆく。心配してくれる碧海と美坂の顔が視界に入り、私は畳に手をつくと、そっと頭を下げる。
「ご心配をおかけしました」
「謝らなくても大丈夫ですよ、痛みはございませんか?」
「……朱珠音さん、ありがとうございます」
「体調が優れないようでしたら、すぐにお布団を……」
「いえ、もう大丈夫ですから」
耳を塞いでいたあの声たちは完全に消え、外から鳥の鳴き声が響き、私はようやく気持ちを落ち着かせることができた。
「医者をお呼びいたします……、柚月葉殿?」
そう言って立ち上がった碧海の裾を思わず掴んでしまった。高価な医者に診てもらうなどおこがましすぎると、私は碧海を引き留めた。
「本当に、もう、大丈夫ですから」
「一度診ていただいた方が……」
「大丈夫です、から」
医者を呼ぶなど、京弥にご迷惑がかかる。追い出されたくないと、私は必死に裾を掴んでいた。
「分かりました。今回は見送ります」
碧海がそう言ってくれて、私は少しだけほっとする。迷惑をかけてはいけない、ここに置いてもらえるなら、私はどんなことでもすると、そっと心に決めたのだから。
「実乃吏様、少しいいでしょうか?」
一番風呂を断る柚月葉をなんとか風呂へと案内した美坂は、不安な表情を浮かべて碧海を引き留めた。碧海も話したいことがあり、二人は物陰へと身を潜める。
「何かおかしいとは思いませんか?」
「ええ、私も気になるところがあります」
ひそひそと声を潜めた二人は、険しい表情のまま会話を続ける。
「柚月葉様は、本当に参議のお嬢様なのでしょうか?」
振る舞いや行動を見ても、とてもお嬢様には見えず、まして風呂掃除など決して行うはずがないと、不信感が募った。
箱入り娘だと聞かされていたのは『りお』という名だったが、その義姉だとしても、様子がおかしいと考えられた。
「姉妹でこれほどまでの差が出るとは、考えにくい」
「柚月葉様は何かに怯えているようにも思えます」
「誰かに迷惑をかけまいと、必死のようです」
それに、付き人の一人もいなかったという点が気になった碧海は、「何か裏があるのかもしれません」と、声を低くする。
「京弥坊ちゃまは、罠にかけられたのでしょうか?」
「それは考えにくい。神白家を敵に回して得をすることなど一つもありませんので」
手広く商いをしているせいか、裏の繋がりや上客もかなりいる、それに、帝上(国のトップ)に数々の品を卸しているのも神白家だ。
そんな神白家を罠に嵌めるなど、自身の首を絞めるようなものだと、碧海は言いながらも眉間に皺が寄る。では、なぜ京弥は「りお」ではなくその義姉である「柚月葉」を妻に差し出されたのか?
その上、身なりも粗末なものを着せられ、髪に艶すらなかった。
「柚月葉様は親に売られたのでしょうか?」
美坂にそう言われ、碧海の表情は硬くなる。縁談を持ち込んだのは相手方のはずなのに、なぜこちらが騙されるようなことをされたのか? 京弥だけでなく、柚月葉も仕組まれた罠に嵌められたのかもしれないと、早々に京弥に知らせた方がよいかと、
「明日にでも一筆書いておきます」
しばらく職場で寝泊まりすると言い残していった京弥に、手紙を送ると碧海は言った。
「わたくしは柚月葉様のご様子を見ておきます」
「ええ、榎室殿の娘とは到底思えないので、よろしくお願いします」
「承知いたしました」
二人は何かがおかしいと気づき、柚月葉の様子を京弥に報告することに決めた。
そして、不可解な出来事は、夕食時にも起こった。
「どうぞ、お召し上がりください」
美坂がお膳を目の前に置き、食事を勧める。
「これは……、私のご飯ですか?」
「豪華なものは作れませんが、味の保証はいたします」
「い、いえ。こんな綺麗な食事を私なんかが食べてもいいのかと……」
シンプルな料理が好きな京弥に合わせた料理なので、高価な食材など一つも使っていないはずだと、美坂が不思議そうに見てきた。
「至って、普通のお食事ですよ」
特別なものは何一つなく、むしろ私に申し訳ないとさえ口にする。京弥が戻ってきたら、もう少し豪華な食事にしましょうと、笑みを見せてくれたけど、お膳は一つだけ。
「あの、お二人は?」
「わたくしたちは、後でいただきますので」
そっと会釈をしてから、ご飯をよそう美坂の手を止めさせた。
「朱珠音さんっ」
思わず大きな声が出てしまい、私は自分でも驚いて俯いてしまった。もちろん美坂も驚いて手を止める。
「何かありましたでしょうか?」
「……大きな声を出してしまって、ごめんなさい」
「大丈夫ですよ。苦手なものでもありましたでしょうか?」
御櫃の蓋を閉めて、苦手なものがあればお下げしますと優しく声を掛けてくれた。誰にだって苦手な食材くらいありますので、遠慮なく申してくださいと言われたけど、こんなに豪華な食事の中に苦手なものなどあるはずなんかなくて、私は「大丈夫です」と返事を返す。
ではなぜ呼ばれたのか? 美坂の顔が益々不思議そうに変わる。




