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第4話「自分の部屋」

「如何しましたか?」


急に立ち止まってしまった私に、美坂が不思議そうに尋ねる。


「あ、あの、裏口はありませんか?」

「裏口ですか? 丁度ここから真後ろにございますが……」


正面玄関とは真逆にあると言われ、私はそっと頭を下げる。


「申し訳ありませんが、そこから入ってもよろしいでしょうか」

「裏口からなんて、そんなことできません」

「そ、それは大変ありがたいのですが、私にはここから入る資格はないのです」


正面から屋敷に入るのがただ怖かった。




『何度言ったら分かるんだい! お前の出入りできるのは裏口だけなんだよ』

『――ッ、痛い』

『辛気臭くて、汚い子が出入りしてるなんて、世間に知れたらどうすんだいっ』

『痛い、痛い、……髪を引っ張らないで』

ぼうっとしていて、店の正面から家に入ってしまったその瞬間、叔母に見つかり、髪が抜けるほど引っ張られて、裏庭まで連れてこられ何度も叩かれた記憶が蘇る。

『口で言っても分からないなら、体に叩き込むしかないね』

竹刀で幾度となく叩かれた。

『ごめんなさい、もうしないから』

『もうしないだって、この間もしたばかりだろう!』

『ごめんなさい、ごめんなさい、……も、ぅ、しないから、許してください』

『しっかり体に叩き込んでやるよ』

血が滲むほど叩かれた痣は、数十日も痕が残り、ずっと痛かった。だから私が出入りできるのは裏口だけ。そう刻まれた。




「奥様?」

「えっと、柚月葉と呼んでください」


これ以上京弥を怒らせるわけにはいかないと、奥様と呼ばないで欲しいと声に出せば、美坂は「承知いたしました。では、柚月葉様にいたしましょう」と、快く受け入れてくれた。


「わたしくのことは、朱珠音(すずね)とお呼びください」

「朱珠音さん?」

「どうぞ呼び捨てで構いません」

「いえ、朱珠音さんと」

「承知いたしました」


否定はされず、私は朱珠音さんと呼ぶことにした。


「さあ、本日よりここが柚月葉様の家なのですから、遠慮などいりません」


上がってくださいと、玄関の扉を引いてくれたけど、どうしても足が進まない。


「ごめんなさい。やっぱり、私はここからは入れません」


深く腰を折って、私は裏口から入れて欲しいと再度頼む。さすがにこれ以上の無理強いはできないと分かったのか、美坂は玄関の戸を閉めて「こちらです」と裏の方へ案内してくれた。

家屋の脇の細い道を通り抜けたその先に、小さな戸口が見えて、私はどことなく安心していた。ここならきっと入れると。


「本当によろしいのですか?」


上部に蜘蛛の巣が張っていた薄暗い戸の前で、美坂が再度尋ねる。


「ご無理を言ってしまって、すみません」


せっかく綺麗な入り口を薦めてくれたのに、こんな場所からでなければ入れないなど、我が儘を口にしてしまったと、眉を下げれば、美坂がそっと裏口を開けてくれた。


「何かご事情があるのでしょう。お好きなようになさってください」


叱られることも責められることもなく、美坂は微笑んでくれた。私に微笑んでくれた人なんて、幼い頃だけ。塞ぎこんでからは、誰もが薄気味悪いと私を遠ざけ、怨霊に取りつかれていると常に囁かれていた。

例えそれが美坂の本心ではないとしても、嬉しかった。


「おや、裏口から入ったのですか?」


湯を沸かすため、先に屋敷に戻っていた碧海に、妙な場所で遭遇し、驚いたように声を出す。


「柚月葉様が、裏口を見てみたいと申しまして」

「そうですか、あまり明るい場所ではないので、利用するときはお気を付けください」

「では、わたくしはお部屋にご案内いたします」


碧海にそう挨拶をした美坂は、「どうぞ、こちらに」と、私を奥へと案内してくれた。

長い廊下の先の突き当りの部屋の扉を開けば、陽の光が射しこむ綺麗な部屋があった。窓からは素敵な庭が見え、化粧台や姿見、縁側までついていた。


「このお部屋は?」


なんて素敵な部屋なのだろうと、入り口で佇んでいたら、美坂が小さく笑って見せた。


「柚月葉様のお部屋ですよ」

「わ、私の……、ぁ」


思わず大きな声がでてしまい、慌てて口を押える。狭くて暗くて、かび臭い部屋とは真逆の部屋に、私は吸い込まれるように部屋に足を踏み入れていた。

ほのかに花の香りが漂い、何よりも温かかった。

窓から見える景色は、まるで絵のように美しく、目が離せず、じっと見つめていたら、美坂が窓を開け、外の風が入り込む。


「春には桜が、夏には新緑が、秋には紅葉、そして冬は雪化粧となり、とても綺麗ですよ」


移ろいゆく季節をこの部屋から感じることができると説明を受け、私はほんの少しだけ瞳を輝かせた。例えこの部屋に閉じ込められたとしても、巡る季節を眺められるのならば、きっと素敵な事だと思えた。

この結婚は両家の利害の一致のみ。愛されることも、愛することもない、形だけの結婚であり、私はただ旦那様に嫌われず、追い出されないようにしなければならない。ただ影のように存在する、ただそれだけのこと。

だって、この部屋に居られるのならば、それだけでいいと考えてしまったから。


「朱珠音殿、そろそろ湯が沸きます」


あまりにも素敵な風景に見入っていたら、碧海が部屋に顔を見せそっとそう声にした。


「お着替えは後程ご用意しておきますので、ゆっくり浸かってきてください」

「あ、いえ、私は最後で……」

「何をおっしゃいます。温かいうちに」


一番風呂なんてもったいないと、私は二人に勧めるけど、碧海も美坂も静かに首を振る。


「本当に、最後で構いません」


お風呂を洗わなければいけないので、と、説明すれば、二人は驚いたように目を見開く。お嬢様ともあろうお方が風呂掃除などをしていたなど、寝耳に水。


「柚月葉殿……」

「あっ、すみません。よそのお家の掃除など、上手くできるか分かりませんが……」


ここは架谷家ではなかったことを思い出し、掃除の勝手が違うだろうと、先に謝罪する。こんなに立派なお屋敷だから、きっと私なんかでは綺麗に出来ないかもしれないと、肩が落ちる。


「風呂掃除など、私どもの仕事ですから、柚月葉様はお入りになるだけでよいのですよ」

「困りますっ、……私、掃除くらいしかできないから」

「ですから、掃除は私どもの仕事。柚月葉様はゆっくりとお過ごしくださればよいのです」


美坂に優しくそう言われると、私の胸は痛みを訴える。何もしないでこの屋敷に置いてもらうなど、いずれ捨てられてしまう。ここを追い出されたら、本当に行く場所がなくなってしまうと、全身から血の気が引く。



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