第34話「幸せのおむすび」
以前、京弥は花嫁を取り違えたと話し、離縁すると言った。それなのに書類を捨ててしまうなんてと、柚月葉は目を丸くして京弥を見る。
「取り違えたのは俺だ」
この結婚は間違っていたと、京弥ははっきりと言葉にする。
「でしたら」
「少し時間をくれないか?」
結婚を白紙にするための時間がほしいと、そう言われた気がして、柚月葉はぐっと手を握る。何もかも終わらせようとした決心が鈍ってしまうのではないかと、危惧する。優しさに包まれてしまえば、捨てられたときの絶望が計り知れない。
「どうぞ、私など捨ててください」
結婚を白紙にすることなど容易いことだと、柚月葉は離縁を願う。優しい京弥だからこそ、何か躊躇いがあるのではないかと、柚月葉は恨んだりすることは決してありませんと、安心して離縁なさってくださいと告げる。
ここで京弥が本音を漏らしても良かったのだが、進めている事がまだ途中であり、もしも失敗すれば、柚月葉を失うことになりかねないと、どうしても打ち明けられない言葉があった。
「俺にも事情がある、悪いが今しばらく耐えてくれ」
険しい顔でそう言えば、柚月葉はとても切なそうにそれを受け入れてくれた。きっと自分を責めているのだろうとは分かったが、今ここで打ち明けるのは策ではないと、京弥もまた奥歯を噛み締めた。
「腹は減ってないか?」
話題を変えようと、唐突に京弥は話を振りながら、持参してきた包みを開く。
紫の風呂敷の中より出したのは、不格好なおむすび。美坂が握ったものではないだろうと、柚月葉はおむすびに釘付けになる。
米粒が潰れていたり、でこぼこだったり、形も不揃いなものが三つ入っていた。
「こちらは?」
「ゴホン、これはだな、……俺が握った」
「京弥様がっ?!」
あまりにも驚いて、柚月葉は素っ頓狂な声をだしていた。下女がいるのだから、頼めば作ってくれるだろうに、なぜご自分で? と、柚月葉は京弥を見る。
「柚月葉がコレが好きだと言ったからな」
前に食べたいものはあるかと問われ、おむすびを食べさせてくれたことを覚えていた。飾り気もないおむすびを、美味しそうに食べていた姿が忘れられなかったのだ。
おむすびくらい簡単に作れると思っていたのだが、案外まとまらず、綺麗な形にならず、ベタベタと手につくから、結局不格好になってしまったと、話す。
無理に喰えとは言わないと言われたが、柚月葉はすごく嬉しかった。自分ために誰かが握ってくれた、何よりもその気持ちが有難いと
「いただいてもよろしいでしょうか?」
と、一応お伺いをたてる。
「味の保証はできない」
「大丈夫です。美味しいですから」
「そういうのは、食べてから言うものだ」
「そうですね」
手で掴んだら、思いっきり握ったのか、硬いおむすびで、柚月葉はなぜか笑ってしまう。京弥がどのように台所で作ったのだろうと考えたら、とても微笑ましく伝わってきた。
それを見た京弥は、『笑った』と、その笑顔に見惚れる。
しっかりと握られたおむすびは、一口かじっても形が崩れることはなく、塩味が少し強かった。
「……美味しい」
それでも京弥の想いが詰まったおむすびは、どんなものより美味しくて、柚月葉は涙を滲ませながら食べる。
「そうか、それならばよかった」
「ええ、こんなに美味しいおむすびは食べた事ありません」
幸せの味がすると、柚月葉は一口一口噛み締める。泣くほどに美味しいはずはないと、京弥も一つ口に運んだのだが、その硬さに目を開く。
店で食べたおむすびは、もっと柔らかく食感も良かった。だがこれは、団子のように固い。
「無理をしなくていい」
こんなものを無理して食べなくていいと、京弥は失敗したと落胆したのだが、柚月葉は全部食べたいと申し出る。
「腹を壊すぞ」
「こんなに美味しいおむすびを残したら、罰が当たります」
「本気で言っているのか?」
「このおむすびは、京弥様のお気持ちが込められているのです。ですから、美味しくて温かいです」
両手で包み込むようにもつおむすびを、柚月葉は幸せのおむすびだと食べる。家を出るときに急いで作った物であり、温かいはずなどないのに、柚月葉はこんなにも温かいおむすびは初めてだと涙する。
結局、柚月葉を泣かせてばかりだと、京弥は歯がゆさを覚えるが、この涙は決して悲しみから来るものではないと知る。
(こんなにも不味いものを、幸せそうに食べる)
自分で作ったものだが、捨てたくなるほど不味い。京弥はもう一度おむすびを口に運んで、
「……不味い」
と、小さく口にした。
それから、柚月葉が全て食べ終えるのを待って、京弥は蒼と話しがあるといい、軟膏を取り出すと「少しは良くなる」と、柚月葉に渡す。
「ありがとうございます」
京弥の優しさを受け取り、柚月葉はゆっくりと手をつく。それを見届け、京弥は後でまた来ると言って部屋を出て行った。
京弥が出て行くと、柚月葉はそっと軟膏を胸に抱く。
「優しい方、どうぞ幸せになってください」
見えなくなった京弥の背中を追うように、そっと頭をさげると、早く治してここを出て行かなければと、再度心に決めた。
これ以上、京弥様と周りの方々にご迷惑はかけられないと、ずっと会いたかったあの方のお姿も見れた、心残りはもう何もないと、柚月葉は自分のとるべき道は一つだけだと、強く決心した。
そんな祁答院蒼の屋敷を遠くに見ている者たちがいた。
「やはり近づけません」
鮮やかな青髪が目を引く響が、蒼の屋敷に入ることは不可能だと告げると、舌打ちをした赤髪の奏が、唾を吐きだしながら
「とっくに滅んだと思ったのにな」
と、悪態をつく。
そんな二人の背後には、顔色の優れない顕仁が佇んでいた。
「結界術を使えるとは、厄介な」
「主様、どうしましょうか?」
これでは柚月葉に接触できないと響が尋ねれば、顕仁は顔を歪める。長い月日をかけてようやく出てこれたというのに、肝心の柚月葉がいなければどうにもならないと、足元の草を踏み躙る。




